『障害者の経済学』と「バリアフリー社会実現」の関係

あるパチンコ店には『イズムの芽』と呼ばれる制度がある。それは、リッツカールトンホテルの社員教育で使われている『サクセス・ストーリー』と同じもので、著者は社員の人たちである。その中でも、特に賞賛に値するエピソードに選ばれると、「殿堂」入りする。殿堂入りしたエピソードは映像再現し、DVD化されているのだが、中には障害を持ったお客様とのコミュニケーションをテーマにした作品が2つあった。一つが、手話を用いる聴覚障害者、もう一つは弱視障害者との話だった。

私はそのDVDを何度も繰り返し見たのだが、聴覚障害者バリアフリー製作でなかった為、残念ながら正確な内容となるとわからなかった。
だが、聴覚障害者との場合、初めはパチンコ店スタッフも、その方が耳が聞こえない方だとはわからなかったそうである。それでお客様のほうから、そう自己紹介するだけだったようだ。しかしその後、そのお客様を気にかけたスタッフの一人が、独学で手話を学び始めたようだ。手話本を見ながら、職場での休憩時間に練習をする状況が、映像になっていた。まずは挨拶の言葉から覚えて、実際にお客様の前でやってみた。すると、お客様の顔は映像には映らなかったのだが、それでも非常に喜んでいる様子が、手話表現を見てわかった。すると、そのスタッフも喜んだのか、さらに簡単な日常会話の手話まで覚えて使い、その後は耳の聞こえないお客様ともスムーズにコミュニケーションができるようになったらしい。さらに、職場に手話を使う仲間も増えた。

もう一人登場する障害者は弱視で車椅子の方なのだが、この方は耳も不自由(難聴?)なのか、あるいは声が出せないのか、よくわからないが、スタッフがフォントサイズを大きくした文字プレートを製作して伝えたり、五十音順表を持って来て、指差しで言葉を伝えてもらう、などの工夫をしていた。
このようなことから、障害者たちは、最初は一人でパチンコを楽しみたくて、たまたま、そのパチンコ店へ行っただけに過ぎなかったのかもしれない。
しかし、それにスタッフによる人間的ふれあいが加わったことで、店でも大切な常連客になっていったようである。

パチンコ店ではよく、費用対効果のことが言われる。当然、社会の中でわずかな数しか存在しない障害者のことなど、かまっていられなかったり、後回しにしてしまったりする事例はよくある。そんな中で、同じお客様とはいえ、手の掛かってしまう社会的弱者に手を差し伸べるサービスをするというのは、確かに費用対効果が合わないことであると考えられがちで、しかも、なかなか勇気のいる行動なのではないか。しかしそれでも、障害者が社会に出てゆくと、良くも悪くも、色々な事が起こったりする。中には、思わぬことだったりする場合も少なくない。健常者も経験不足故に、大いに戸惑ったり,障害者側にも不平不満がこぼれたりする。今まで、やったことがないことをするのだから、両者とも困惑することが少なくないだろう。
正解は何なのか、わからないのだけれども、それでも前へ進もうとしてしてもがき、変化していることは確実だ。そして、その変化の中にこそ、生きている証があり、人間としての秘めた可能性を見出すのであろう。
それを大切にしていくならば、我々は何を理解し、何をしなければならないか。
今年7月に、「障害者なんか、いなくなればいい」と断言した犯人による、知的障害者殺傷事件が起きた。それは、この世界を否定するものだ。
そうではなく、逆に障害者がもっと、このことを世に知らしめる存在として、社会に出て行ったとしたら?
しかしそれには、障害者にも収入(経済力)がなければならないだろう。この世では、障害者もお金を遣う立場にならなければ、先に紹介したエピソードのようにはいかなかっただろう。
ただ単に、「障害者には障害者福祉手当を与えればいい」というような発想ではだめだ。もはや、障害者福祉だけではなく、障害者就労を完全実現し、その質量を上げてゆかなければならないだろう。
そうして初めて、障害者も健常者も、真の自立ができるのだ。だから、障害者の労働問題は『障害者の経済学』上で、重要な鍵となっているのだ。
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by bunbun6610 | 2016-10-15 08:59 | 就労後の聴覚障害者問題F

ある聴覚障害者から見た世界


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