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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

映画『レナードの朝』

映画『レナードの朝』



『泣ける!!
”あたりまえ”のありがたみを
教えてくれる映画
「レナードの朝」』




久しぶりに映画『レナードの朝』を観てみた。

初めて観たのは、もうだいぶ昔なので、
この映画は古い作品だ。

その頃は、まだ自分が「障害者」だということを
自覚していなかった。
それで、普通の人と同じように、観終わっても

「感動のヒューマンドラマだった」

といった感想しかなかったように思う。

しかし、今は自分が障害者であることを強く
認識しているし、障害者問題も毎日考える
ようになっている。
私の今の状態は、ある意味ではだが、
レナードと似ていなくもない。
身体障害者として、社会から“役立たず”の
扱いを受けていて、単純労働マシンとして
働いて給料をもらって、単純な生活を毎日
送っている。
だが、パスカルの

「人間は考える葦である」

とはよく言ったもので、私の脳内は活発なの
かもしれない。

今、『レナードの朝』を観たら、改めて色々な
ことに気づかされた。
私は今、この原稿の一部分を、マクドナルドの
中で執筆している。
そこで周囲を見渡すと、様々な人たちがいるが、
ほとんどの人はスマホを見ている。
それ以外には雑誌や新聞や本を読んでいたり、
数字パズルみたいなものを解く作業をしている
人ぐらいである。
つまり皆、受動的に脳を使っているに過ぎない
ような気がする。
この中に今は、誰も自分自身について考えたり、
人生について考えることも、
主体的に考えたりする人はいないようである。

レナードは30年間眠り続けていた、ということ
らしいが(これは正確ではないだろうが)、
それでも意識はあったそうである。
彼の生涯は、まず幼少期までは健常者だった。
それが発病して、病気のため療養生活に入る。
それが重度化し、障害者になる。
そして入院し、セイヤー医師の薬物治療を受けて、
奇跡的にまた健常者に戻る。
しかし、それは短い期間のことで、彼の病気は
再発し、そして重度障害者へ戻されてしまうの
だった。

中途障害者にも“喪失の過程”を経験するが、
重度障害者から健常者に戻るという話は、
聞いたことがない。
こういう経験をした人も、稀だ。
だから奇跡なのだ。
レナードが素晴らしく、観る人に感動を与えたのは、
彼がその奇跡を生かしたからのように思えて
ならない。



レナード;
「先生、かけて」

セイヤー;
「どうした、何事だ」

レナード;
「皆に知らせるんだよ。
いかに、すばらしいか」

セイヤー;
「何が?」

レナード;
「新聞の記事を読めよ。
悪い事ばかり載ってる。
皆、生きることのすばらしさを忘れてる。
持ってるものの尊さを教えてやらなきゃ。
人生は喜びだ。
尊い贈り物だ。
人生は自由で、すばらしい!」

セイヤー;
「“我々は感謝の心を忘れてる”と。
仕事 楽しみ 友情 家族への感謝。
朝の5時までしゃべり続けた。
開放感からか、躁状態なのか。」

病院職員;
「愛では?」

セイヤー;
「そうだな。
確かに僕らは、生き方を間違ってる」



医師;
「何か話があるとか・・・・」

レナード;
「簡単な事です」

医師;
「何だね?」

レナード;
「普通の人間のように、自由に散歩を」

医師;
「散歩は自由だよ」

レナード;
「本当に? 一人で?」

医師;
「なぜ、一人で?」

レナード;
「犯罪者ではない。
誰かに危害を加えるわけじゃない。
なのに、一人での外出を禁じられてる。
あんた達が目覚めさせたのは人間で
物じゃない」

医師B;
「ロウ(レナード)さん、無意識的に
私達に敵意を持っているようね」

レナード;
「無意識を意識できるので?」

医師A;
「ノラ、よせ。
参考までに、一人で外出して何を?」

レナード;
「散歩して、いろいろ見て、人と話す。
どっちの方向へ歩くか、自分で決めたい。
あんた達と同じようにね」

医師A;
「それだけ?」

レナード;
「ええ」

医師;
「分かった。
君の望みを考慮して、我々の結論を
出そう」

セイヤー;
「大丈夫か?」

レナード;
「緊張したので、けいれんが・・・・。
結論は?」

セイヤー;
「治って、まだ日が浅い。
“もう少し観察して、診断を下すべきだ”と。
外の世界は病院の中とは違う。
何かあれば病院が責任を問われる。
結論は“ノー”だ」

レナード;
「あんたは何と?」

セイヤー;
「僕の意見は弱い」

レナード;
「賛成を?」

セイヤー;
「ああ・・・・。
安心するのは、まだ早い。
この引きつりも心配だ。
あの薬は実験段階だ。
もっと観察を・・・・」

レナード;
「さよなら」

セイヤー;
「どこへ?」

レナード;
「散歩さ」



一人で散歩に出ようとしたレナードは、
警備員や病院職員たちに、
強引に連れ戻される。

それから再び病魔に冒されるように
なった時、彼はこう言っている。



「病人は奴らだ!
奴らこそ治療すべきだ!
我々は最悪の経験を生きのびた。
連中は違う!
それを恐れてる!
おれ達から、ある事を学んだからだ。
答えの見つからない病気がある事を、
我々から学んだ。
それを分かりもせず、病気を治せると思うか?
なのに、それを認めたがらない。
問題は奴らだ。
おれ達じゃない!
奴らが悪いんだ!」

「病気と闘って、やっと戻ってきた。
30年だぞ。30年間闘い続けた。
今も闘ってる。 あんたは?
あんたに何がある。
孤独で、何もない生活。
眠ってるのは、あんただ!」



皆は、薬の副作用でおかしくなったとか、
性格が変わってしまったとか言っていた。
しかし、彼は全然、間違ってはいないし、
おかしくもない。
おかしいのは、むしろ健常者のほうだと、
観ていて思った。

これを観ると、障害者問題や、障害者運動
はどうして起こるのかが、よくわかる。


以前に、

『<働かない働きアリ>
集団存続に必要 働きアリだけは滅びる』
〔2016-02-16 23:02〕




を紹介した。

社会から見れば、レナードも、そして私も、
障害者の多くは、同様なのかもしれない。
しかし、そういう人が実は、他の人には
気づかないことに気づいていて、
何かとても重要なメッセージを社会に
向けて発信しているのかもしれない。
ただ、社会はその声を聞かないだけだ。
優先順位うんぬんで結局、いつもその声は
埋もれていってしまうのだろう。
きっと、たくさんのそんな声があるはずだ。
しかしそれでも、その声はそれで死んだの
ではない。
きっと、何かの役に立つ日が、いつか来る
のだろう。
その声を拾って活かす誰かとは、実は
「働かないアリ」のような人間だったりするの
かもしれないのだ。
だから、信じたい。
イエス=キリストの話にも、似たような話が
あったのを覚えている。



レナードとは違う病気だが、佐々木正さんという、
手術を繰り返して生き続けた障害者がいた。


『難聴者の先輩 (3)ガネーシャ氏(ハンドルネーム)』
〔2013-03-04 18:30〕

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by bunbun6610 | 2016-05-09 21:30 | 障害者問題・差別