ハンディキャップ雇用?



会社の労働組合が、障害者雇用のことを
「ハンディキャップ雇用」と呼ぶことにした、
という。

この言葉は、どうも馴染みにくい。
従来の「障がい者雇用」または「障害者雇用」
のほうが馴染んでいるためか、
まだマシだと思っています。

私は「ハンディキャップ雇用」という言葉には
強い抵抗感を抱きます。
それは

「ハンディがある者を雇用してあげている」

という意味、

「障害を考慮してハンディキャップを与え、
雇用してあげている」

という意味に受け取れるからです。

現代では、そのような考え方はすでに古く、
「障害は個性である」とさえ言われています。

そんななかで、健常者はどうしてこのような
言葉を採用することに決めたのだろうか?

これは、少し極端な話かもしれません。
全ての人間は男か女に分けられる“べき”で、
「ニューハーフ」なんてものは認めない、
というのはどうなのだろうか。

(社会は、人間を男か女かのどっちかに
決めたがる)

ニューハーフというものの存在を認めようとせず、
健常者の決めた、今までの尺度で男か女かの
どっちかだけにしてきた、と思います。
昔は、人間にそのような個性もあるということを、
認めなかったのではないでしょうか。
それは、ニューハーフの人々に対する抑圧になる、
と思われます。

これは、国から障害者と認められていない難聴者
を健聴者が「難聴障害がある」と認めないこととも、
似ている問題だと思いませんか?

難聴の人は現実にたくさんいても、
周囲の健聴者にそういう障害もあるのを認識して
もらえないことは、辛いことだと吐露する難聴者も
少なくありません。

他の障害についても同じことで

「それは人間にはつきものだ」

という当たり前のことを、
いまだに健常者はわかっていないのではないで
しょうか?

健常者は、

「生まれてきたものは『出来損ない』だった」

と言う。
さらに、

「障害者は社会の厄介者」

「会社のお荷物」

とさえ考えている。
「障害者」という言葉には、そんな意味があるの
では、と思う。

会社でも今や能力主義が批判されているよう
ですが、それと同じ見方をしているという、
一つの現われが「ハンディキャップ雇用」では
ないか、と思います。

私にはどうも、この言葉は

「障害者は能力が無い者、劣る者」

と決めつけているようなものに思えてなりません。

「ノーマライゼーション」を「歩み寄り」と
勘違いしている健常者もいるようです。

社会で一緒に暮らすためには、勿論、協調性は
大切です。
しかし、問題は健常者の言う「歩み寄り」の意味
です。
障害ゆえにできないことでも

「あなたも頑張って克服しろ」

ということです。

私もその押し付けを昔から、
今働いている会社でも受けてきました。

残念ながら、この会社は

「健常者も障害の克服方法を理解することが、
真の歩み寄りの第一歩になる」

ということは全く理解しようとしていません。

入社前、M課長(人事部)にS課長、M係長
も交えて面談したときは、仕事のやり方を
説明するときは「筆談する」と言っていましたが、
実際にはほとんど誰もしていなかったのです。
そういったことは現在、解消されましたが、
はじめは、会社と障害者の双方の努力ではなく、
会社は何もしていなかったのです。

それだけではありません。
ハンディキャップがあるから

「あなたの仕事はこれだけ(職域差別)なのは、
当たり前。
これは『差別』ではありません。
むしろ、当社の障害者に対する合理的配慮です」

という主張が、会社では今でもまかり通り続けて
いる。
実に馬鹿馬鹿しい、誤った考えだ。

職域差別は能力の過小評価(差別的評価)や
待遇格差(差別)にも連鎖してゆきます。
三菱東京UFJ銀行の聴覚障害者への差別裁判
(※)
も、

 ※ →http://kansaigodo.blog42.fc2.com/blog-entry-311.html

   →http://障害者就職.seesaa.net/article/117076790.html


そのことを会社に指摘しているのです。

「ハンディキャップ雇用」という名称は、
まさに会社や労働組合の障害者雇用の方針を
示していると言えます。

では、どんな名称がいいのだろうか。
他に使われている例では

「チャレンジド」
(→http://www.prop.or.jp/about/challenged.html

という言葉があります。
竹中ナミ氏(プロップステーション代表)という、
障害児を持つ母親が使っています。
この人も健常者です。

私は「チャレンジド」という言葉を聞くと、
まず、障害を持つ働く人を「チャレンジする人」
と置き換えたんだ、というイメージを持ちます。

それに、ADA法に関する『哀れみはいらない』
のなかにあるような、

「障害者は頑張り屋さんだ。そうでなければならない」

というイメージにも、似ているような気がしてなりません。


しかし、他の障害者が

「(障害者就労問題の解決に)チャレンジ(努力)
しなければ
ならないのは、障害者を雇う企業の側も、
同じではないのか」

という意見が出されました。
これには「なるほど」と思いました。

これも「企業努力」とか「企業の社会的責任」の
一つになると思われます。
本当は決して、一方(障害者)だけが「チャレンジド」
ではないはずだ、と思います。

結局、どういう呼び名にすればいいのかは、
まだ思いついてきませんので、
私は、当面は従来の「障害者雇用」、
あるいは障害者の呼称だけを変えて
「障がい者雇用」とすればいいのではないか、
と思っています。

ただ当然ですが、これは呼び方よりも
中身の方が大事ですよね。
企業も雇うだけでなく、本当に働く場の環境整備に
向けて、努力しなければならないと思います。


※「障害者」という呼称について

聴覚障害者は、今も差別を受けていることを充分
感じており、そのために健常者が障がいを持つ人
に対しては「害」を持つ人、すなわち「障害者」と
呼ぶことは当たり前だと思っています。

決して、障害者側がそれを認める、という意味では
なく

「健常者とはそういうものだ」

という考えに基づいているのだと思います。

ただ他の種別の、身体障害者の中には
「障害者」という呼称そのものに
反対している者も少なくないようです。

このことは、内閣府の障害者制度改革推進会議
でも議論されました。
これからは「障害者」をやめて「障がい者」や
「障碍者」がいいのではないか、という意見も
出されています。
[PR]
by bunbun6610 | 2016-03-24 19:30 | Z1.クレジットカード会社
<< スマホ中毒になる人が増えている 『精神障害のある人の雇用促進が... >>