佐村河内氏ドキュメンタリー映画6・4公開決定

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160309-00000018-nksports-ent


佐村河内氏
ドキュメンタリー映画
6・4公開決定


日刊スポーツ 3月9日(水)8時5分配信


14年にゴーストライター騒動で話題となった佐村河内(さむらごうち)守氏(51)のドキュメンタリー映画「FAKE(フェイク)」が完成し、公開日が6月4日に決まったことが8日、分かった。

【写真】「髪の毛は元美容師の妻に切ってもらった」と謝罪会見で話した佐村河内守氏

 「FAKE」は主に、騒動後の佐村河内氏を追った作品だ。撮影期間は、14年9月から今年1月まで。横浜市内の同氏の自宅でカメラをまわし、海外ジャーナリストから取材を受ける様子などを撮影している。14年3月に行った記者会見では、髪は短く、ひげもそった状態だったが、劇中では以前のトレードマークだったサングラスをつけ、長髪も復活。あごひげもたくわえている。インタビューなどは以前と同様に手話通訳を介して行われたという。時には身ぶり手ぶりで説明し、頬をたたいて音のリズムを表現することもあった。

 関係者によると、佐村河内氏は現在、ほとんど外出はせず、1日の大半を自宅で過ごしているという。働いているような様子はなく、静かな日常生活を送っているようだ。妻とも離婚していない。同作は全国各地、計30館前後のミニシアターで上映される見込みだという。

 監督を務めるのは、社会派のドキュメンタリー作家で、オウム真理教が題材の映画「A」で注目された森達也氏(59)。単独で新作映画を手掛けるのは01年公開の「A2」以来15年ぶりで、「単なるゴーストライター騒動をテーマにしているつもりはもちろんない」と話している。映画のクライマックスには「衝撃のラスト」が用意されているといい「視点や解釈は無数にある。1つではない。もちろん僕の視点と解釈は存在するけれど、最終的には(映画を)見たあなたのもの。自由でよい」と語った。



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森達也オフィシャル・ウェブサイト
http://moriweb.web.fc2.com/mori_t/





この映画には

「手帳のない難聴者のドキュメンタリー映画」

という切り口もありそうだ。
初めてなのではないだろうか、こういうのは。

昨年12月に公開された『レインツリーの国』は、
健聴者女優が演じて作った作品だが、
『FAKE』は手帳のない難聴者を、等身大に
映し出した作品だと言えそうだ。

そのレベルの難聴者は実生活で、どんな障害が
あるのか、わかるのかもしれない。
佐村河内氏は

「彼は聞こえていた」

と言っている新垣氏に激しく反論しているが、
それへの真実の答えを出そうとしているのでは
ないだろうか。


「聞こえていた」

というのは、聴覚障害者、特に難聴者を攻撃する
健聴者にとって、都合のいい言葉だ。
今度はそんな新垣氏の無知ぶりが、もしかしたら
暴露されてしまうのかもしれない。
難聴を、伝音性難聴でしか説明できないバカがいる
証拠だ。



〔関連記事〕


『佐村河内さん代作 新垣氏会見(1/2)』
〔2014-02-13 18:30〕






『佐村河内さん代作 新垣氏会見(2/2)』
〔2014-02-13 19:00〕





『<佐村河内氏>聴覚診断
 最も軽い6級に該当せず手帳返納』
〔2014-03-07 23:52〕





『「矛盾」「食い違い」多数…
 佐村河内氏と新垣氏の発言比較』
〔2014-03-08 00:06〕





『週刊文春の佐村河内氏批判について』
〔2014-03-14 21:31〕




【追記】(2016年6月14日)


ドキュメンタリー映画
『FAKE』
(監督・撮影; 森 達也)
http://www.fakemovie.jp/




『『マスコミがけっして伝えない佐村河内守氏会見の盲点』』
〔2015-12-18 20:00〕





【鑑賞後の感想】

副題;『人間社会の持つ暴力性とは何か』


「聴覚障害者にとっては、その障害そのもの
よりも、周囲から理解されないことが最も辛く、
この障害の怖い点である」


という話を、研究論文で読んだことがある。
このドキュメンタリー映画も、そんな面から
切り込んでいっている。
いい構成だと思う。

森監督はまずそこを撮り、視聴者にもその
辛さを感じ取ってもらうための場面が、
幾つも出てくる。

多くのマスコミによって広がった偏向報道に
よって、他の聴覚障害者へも迷惑をかけて
しまった罪悪感、苦しみ。
そして仕事を奪われ、人間関係を絶ち切ら
れた悲しみ。
それが聴覚障害による大ダメージなのだ。

自業自得という面もあるだろうが、マスコミ
のやり過ぎに思える。

佐村河内氏が言うマスコミの問題点とは、
公平な報道をしなかった点だ。
ABRという検査でも難聴を示す数値がある
にもかかわらず、この脳波による測定で聴こ
えるから聴覚障害者ではない、と勝手に断じて
報道したことによる、誤解である。
誤解でもこれは、謝罪しなければ大変な事に
なるということが、報道関係者にはわかって
いない。



『<佐村河内氏>聴覚診断
 最も軽い6級に該当せず手帳返納』
〔2014-03-07 23:52〕





みみ屋の診察室から。
『◆ 佐村河内氏の聴覚に就いての推論と問題点。』
〔2014-03-10 16:53〕


「純音検査:R:48.8dB L:51.3dB
語音明瞭度: R:71% L:29%
ASSR
ABR 40dB 60dB V波」





この映画では佐村河内氏本人だけでなく、
関係者も撮影してみたら、マスコミが報じな
かった真相が次々と見えてきた。
これは恐ろしいことだ。
よく言われる、マスコミの加害性。
何で神山典士氏が名誉ある大宅壮一賞を
授賞できたのだろうか。
授賞を取り消すべきだ。
書き方がセンセーショナルであれば、
内容の正確性はどうでもよいのだろうか。
それでは賞の価値が下がるだろう。

こんなことがあってもいいのかと思う。

「あの記者会見はおかしい」

「やり過ぎだ」

と、聴覚障害者は誰もが言っている。
だからこの件の取材になると、神山典士
氏は今でも逃げ回っているわけだ。


特に心の中で笑えたのは、新垣隆氏の
挙動だった。
彼のミニコンサート&書籍販売会に森監督
が行ったのだ。
新垣氏の目の前で本を買って、本人に
サインを求めた時、

「サインだけでなく、僕の名前も書いて」

と頼んで、自分の名前も見せた。
すると新垣氏の表情が急に固くなった(笑)。

しかも、サインをしている時、
手が震えていたのだ(笑)。

森監督はさらに、

「今度、正式に取材を申し込みますので、
よろしく」

と伝えた。
すると、新垣氏の笑顔はこわばっていた(笑)。

さらに後日、森監督が事務所に取材申し入れ
をすると、断られたという。

「やっぱりコイツ、確信犯だったんだな」

と思った。

新垣氏がテレビ出演で演奏し、最後のポーズで
「聞こえない」ポーズをしているのを観た時は、
本当に怒りのボルテージが上がった。
聴覚障害者だったら「許せない」と思っても、
当たり前だろう。

また、著作権問題についても、新垣氏は佐村
河内氏側の弁護士から逃げ回っているという。
佐村河内氏が作曲したことを示せる証拠が、
世の中に出てくるのを恐れているようだ。
これは「卑怯」というのではないだろうか?

ラストシーンでは佐村河内氏が自ら作曲・
演奏するシーンが観られる。
私には、彼の作った音楽を聴くことができない。
健聴者だけが味わうことができる至福かも
しれない。

最後に、森監督は

「(佐村河内夫婦)二人がいる姿を撮りたかった
のかもしれない」

と語っていた。
そうならば、重要な役割を果たしているのは、
やはり夫人である。
妻としてだけでなく、手話通訳者代わりとして、
あらゆる面で佐村河内氏を支えているシーンが
観られる。
この映画を撮ることができたのは、森監督の
誠意・熱意もあるが、やはり夫人がいなかったら、
なしえなかった。
それ以前に、佐村河内氏の存在をこの世で成立
させているのは、夫人だろう。



「『FAKE』は、愛と希望の傑作だ」
(脳科学者・茂木健一郎)





【外国人記者の正確な指摘に、佐村河内氏にも変化が・・・】
rino-diary テレビディレクター 岡田倫太郎です。
『映画「FAKE」を見てきました(ネタバレ注意・』
http://rokada.exblog.jp/22881926


「・・・・後半出てくるアメリカ人の雑誌記者が
非常に正しい突っ込みを繰り出して、
佐村河内さんがたじたじになるところが
本当にすっきりしました

Q 「どうやって自分のイメージを新垣に伝えたのか?」
Q 「伝えたイメージをもとに新垣が書いてきた音を、
どうやってチェックしたのか?」
Q 「指示書には概念的なことは書いてあるけど、
音楽的なことが全く書いていない。
音階はどうやって伝えたのか?」
Q 「新垣氏が作曲している証拠は山のように
あるが、あなたは鍵盤を人前で弾くことすら
しないじゃないか?
今目の前で鍵盤で弾いてみてほしい」

その通りだ!!!!

それが1時間50分の映画の 1時間35分のところで
出てくるのが正直ストレスではありました。

まあその結果、さらに森さんの一押しでああいう風に
なるわけでオチとしては良い落としどころだったと
思いますが、結局この映画は メディアスクラム
被害者とその妻の愛情物語だったというわけです。」



【真相は今でも隠されたままの、疑問点】
手帳外の軽度難聴で、しかも右耳の語音明瞭度が
71%もあって、あれだけ間近から話しかけられて
いるのに、聞き取れないというのは疑問だ、と思った。
「も」が「ぽ」と聴こえるというのは、佐村河内氏を今も
疑っている健聴者から見れば、可笑しくなっただろう。
ただ、そこで周囲の人が笑っていたのかどうかは、
聴こえない者として、その上、暗い場所にいる私には
わからない。


消えぬ疑問は、聴覚障害2級から手帳外になるまで
回復した理由についてだ。
誰も納得していないだろう。
つまり、

「最初の手帳申請時は健聴者か、あるいは本当に
難聴にはなったのだが、聾ではなかったのでは
ないか?」

という疑問である。

「佐村河内氏は聴覚障害2級取得時、偽りの申告を
していた」

という見方は決して少なくなく、今も消えていないだろう。


『厚生労働省
『第3回 聴覚障害の認定方法に関する検討会
議事録』(3/4)』
〔2015-06-29 19:30〕



【新垣氏との仲が急に悪くなった原因は?】
この映画を観て、推測したのは、なぜ佐村河内氏
と新垣氏との間に、突然トラブルが起こったのか?
 という問題。
佐村河内氏は

「理由がわからない」

と言う。

「筆談していた」

「彼はほとんどしゃべらなかった。
『この通りに作ればいいんでしょう』と言っていただけ」

と話している。
これは双方向のコミュニケーションではない。
その程度の会話ならば、実際、聴こえない者に
だってできるのである。
だから、

「新垣氏は自分の欲望に負けて、突然裏切った」

ということも考えられる。
ひょっとして、新垣氏もフェイクなのでは?
 という思いが、頭の中をよぎった。


【「神山氏もフェイク?」と疑った点】
森監督がプレゼンターを務めた授賞式の時、
神山氏は欠席した。
森監督は、代理の週刊文春の社員に

「今度取材に行きます」

と伝えたが、その後も、多忙を理由に何度も
断られたという。
神山氏も取材から逃げていたというのだ。
ひょっとして、神山氏もフェイクなのでは?
 という思いが、頭の中をよぎった。


【なせ、そんな大切なものが今頃になって?】
佐村河内氏直筆の『交響曲第二番』指示書。
曲を作るための第一手順書。
それがなぜか、

「トランクルームから出てきた」

とか。
そんなに大事なものを、なぜそんなに粗末に保管
していて、このタイミングで出てきたのか?
疑問だ。
書かれていた紙は、かなり新しそうだった。


【佐村河内氏は、本当に手話通訳が読み取れる
人なのか?】

佐村河内氏を側で支えている夫人の姿は献身的に
映っている。
しかし、隣にいる夫人は手話通訳もしているのに、
なぜか声で復唱もしている。
その様子が字幕にも出ていたから、私は不思議に
思った。
手話通訳を利用する立場の聴覚障害者から見ると、
非常に不自然だ。
本当に手話通訳が分かる聴覚障害者なのだろうか?
 と疑問に思う。
分かる者ならば、通訳者の声までは要らないのだ。
これは、2014年3月に見た記者会見の頃と、
全く印象が変わらない。


『佐村河内氏問題
 - 手話通訳を悪用した犯罪の可能性』
〔2014-03-18 21:26〕



しかし、だからと言って、これが断言できるわけでもない。
手話があまりよく分からない、つまり勉強中の難聴者
には、手話通訳を補助的に利用する人も、実際にいる。
どの程度聴こえる、聞き取れる難聴者なのかはよく
分からないが、佐村河内氏が聴覚障害を持っている者
であることには変わりない。
だから、このことはもう議論する意味はない。

ちなみに、手話の本は初歩的なものだった。
どこの本屋にでもあるものだ。
もっと専門的な手話辞典が出てこないのはなぜか?
手話を第二言語として学ぶ中途難聴者に手話通訳が
分かるようになるには、それぐらいの専門書は必要
なはずだ。


あるインタビューで、森監督は次のように言っている。

「そして彼(佐村河内守氏)は手話だけでなく口話が
できる。
だから口の動きだけで相手の話が分かるけど、
その口話も、親しい人ほどよく分かるので、
初対面の人はほとんど分からない。」

健聴者には信じられないかもしれないが、
夫人の隣で佐村河内氏に向ってしゃべっている
客の声は聞き取れないのに、なぜか夫人の声だけは
聞き取れる、というのは、感音性難聴障害では実際に
あり得るのである。
しかし、多くの健聴者は自分の耳と無意識に比較して
いるから「信じられない」と思うのだろう。
無理もないことだ。
単なる感音性難聴の性質だけではなく、言葉の聞き
取りに冗長性がどれぐらいあるかどうか、の問題でも
あるようだ。
例えば

「音声認識ソフトでも練習させれば認識力が向上する」

と聞いたことがあるが、それと同じだろう。
感音性難聴者の場合は、相手の声や話し方に慣れて
いるかどうかの影響は、非常に大きい。
つまり、耳で夫人の分かりやすい声を聞いて、
手話通訳は補助的に確認に利用している程度である
かもしれない。


『『「耳の不調」が脳までダメにする』
(中川雅文/著)』
〔2014-07-29 18:30〕




だから難聴障害とは、そういう障害であり、
健聴者には理解されにくい障害なのである。


『「FAKE」佐村河内守氏をなぜ映画に?
森達也監督が訴える「二分化への警告」』

The Huffington Post | 執筆者: 吉野太一郎
投稿日: 2016年06月07日 13時50分 JST
更新: 2016年06月09日 18時11分 JST
http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/05/movie-fake-mori-tatsuya_n_10316182.html




【視点、解釈は観客に委ねている作品。
もちろん、この映画自体が『フェイク』である
可能性も?】

おおよそ、メディア作品というものには、
ある視点に引き込もうとする力が必然的に
あると思う。
この作品だって例外ではなく、森監督も

「(その視点を)鵜呑みにするな」

と忠告している。
映画の宣伝に使われている「衝撃のラスト」
とは何だったのか?
撮影者は佐村河内氏のケツのほうからカメラ
を向けたまま、動かない。
しかも、そのシーンには撮影者の靴下が
ずーっと映るというおかしさである。
映画を観た人の誰もが

「ここでなぜ、佐村河内氏がシンセサイザー
で演奏しているシーンをちゃんと入れない
んだ?」

「佐村河内氏の音源であるという、
この決定的証拠映像をなぜ正面から
撮らないんだ?」

と思っただろう。

「ひょっとして、この映画もタイトル通り
『フェイク』なのか?」

と思った。
しかし不思議に「カネを返せ」とは思わな
かった。
撮った人にはわかるのだろうが、
あえてそれを伝えず、視点や解釈は観る人
に委ねているのかもしれない。




障害者問題につきまとう二分論
『バリバラ団の「がんばらなくていい!」に賛否両論』
〔2014-02-14 18:00〕


「「何かあったら困る」はしようがない。
当事者は許してくれるかもしれないけど、社会が許して
くれない」

・・・という理由があります」

山本;「う~ん、社会がね」

玉木;「社会って、誰?」

山本;「漠然としてますね」

玉木;「漠然としてる。
だからそれもイメージで、周りから怒られることが“社会”
だとすると、誰から怒られるのっていうことの整理とか、
あとは出す以上は商売やから、責任持って出すんやから、
どんな人であっても、責任あるわけであって、そこだけ
ちゃんとわかってもらったら」

ハヤブサ;「確かに。
でも最終的に訴訟になったとします。
裁判沙汰になった時に、それが責任の所在うんぬんで
もめますよね、当然ね。
その時に、それがマスコミにちょっと飛び火した時って、
必ずどちらかが、悪者にされる訳じゃないですか。
そうなると当然、一般的に考えたら、お店側が悪者ですよね。
一回、そうやって火が付いちゃったら、それはもう、
消せないですから。
それがやっぱり、いわゆる社会というものの怖さというか、
社会なんじゃないかなって、僕は勝手に思っちゃう」(※1)


(※1)参考情報
『乙武氏がレストランで入店拒否されたことで…。』
〔2013-05-21 23:08〕






【追記】(2016年6月21日)

〔参考資料〕


『ベートーヴェンは、本当に聴こえなかったのか?』
〔2015-04-29 09:33〕






『混同視が見られる、健聴者の説明』


『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①』
〔2014-03-14 18:30〕


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http://ttensan.exblog.jp/20330506/

偽物ですね

 2014年 02月 08日


「全聾の人に会った事がある方はわかると
思いますが発音が崩れてしまうんです。
自分で発している声そのものがわからない
から当然なんです。

あれだけはっきりと発音できるのは
間違いなく聞こえているからです。

で、当然ながら障害者手帳を持っている
ということそのものが違法行為となるわけ
ですが、佐村河内のあの要領の悪さからして
当人が考えついたものではないと思います。」



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「正しく声を出してしゃべれるかどうか?」という問題と、
「言語獲得能力」は、正比例するとは限っていない。

言葉の発音力は、大体の言葉は正しく発音できるのに、
一部の言葉は正しく発音できない、というケースもある
のである。

日本語をうまくしゃべれないろう者は、音声日本語の
獲得が十分でない。
それでも、日本語で文章を上手に書くことができる人も、
中にはいたりする。
先天性聴覚障害者であるろう者の場合は、生まれつき
で言語獲得に障害をきたしていたので、言語獲得に
大きなハンディがあった、と考えることが出来ると思う。

『「耳の不調」が脳までダメにする』(中川雅文/著)
〔2014-07-29 18:30〕


健聴者だって、例えば知的障害者は健聴者だが、
文章を書くのが苦手な人がいたりする。
もちろん、健常者にだっている。
健常者と障害者を明確に分けることは難しく、
実際はグラデーションの世界だと言われるが、
聴覚障害も同じだと考えていい。

先天性難聴者も似たようなもので、ろう者ほどでは
ないが、ある程度のハンディがあった。

一方、大人になってから聴覚障害者になった、
中途難聴者や中途失聴者の場合は、言語獲得
はできていた。
言語獲得後に聴覚障害者になったのだから、
言葉はしゃべれるのが、むしろ当たり前だろう。
社会の中にいる聴覚障害者には、このような
グラデーションが必ずあるはずだ。


実際の例を出してみよう。

「彼は誰とでも、平等に接していた」


もしも、言葉がほとんどしゃべれない人だったと
したら、上の言葉は読めない人もいるかもしれ
ない。
発音できても、かなりおかしいかもしれない。

先天性難聴者の場合はこれを読めるが、
読み方を間違える人もいる。
さらには、発音を正しく覚えていない場合もある。
信じられないだろうが、「平等(びょうどう)」を
「へいとう」と読んでしまう人も、実際にいたのだ。
小学校で覚える漢字を、大人になっても正しく
読めなかったり、発音がおかしかったりする。

大人になってから聴覚障害者になった人の場合は、
上のようなミスはないだろう。
健聴者と同様に、日本語を流暢に話せる人が
多いのである。
新しく覚えなければならない言語を覚えることが、
難しくなるだけであろう。

実験的に様々な聴覚障害者を集めてサンプルを
取ってみれば、このようなグラデーションが、
必ず顕れるはずだ。
聴覚障害者の世界では皆、それを当たり前の
ように受け止めている。

ただ、健常者は健常者だけが集まる学校、
会社で育ったから、こういう事実を知らないだけだ。





【追記】(2016年6月30日)


サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ
『佐村河内守氏を描いた映画『Fake』を観てきた』
〔2016年06月22日〕


なるほど、そういうことか。
考えさせられる。
確かに、映画を観た人の数だけ、
視点は様々にある。
森監督はこういうことになるのを意図して、
この映画を製作したのだろう。
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by bunbun6610 | 2016-03-09 21:46 | 難聴・中途失聴

ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610