会社で補聴器を外した理由


当事者(聴覚障害者)の立場から見れば、
の話ですが、見えない障害とは、
健聴者にとっては何と都合のいいもので
あろうか、と思います。

会社で、補聴器を外すようにした理由は
二つあります。
本当は、会社の人から

「補聴器をつけて下さい」

と、何度も言われたのですが、
私はもう、拒否し続ける決心をしました。
その理由が、下の通りです。

仕事中、周囲の人の話し声ばかり聞こえて
いるだけで、自分はその内容がわかりません。

(何のために補聴器をしているのだろう?
会社の人に命令されているから?

でも、補聴器をしたからといって、
誰かが話しかけてくるわけでもありません。

仕事の説明を聞くことが多くなるわけでも
ありません。
健聴者にとっては、面倒でない奴隷の方が
助かるから?)

私が補聴器を外したのは、理由がわから
ないのに、つけ続けることが嫌だからです。

音が聞こえるにもかかわらず、その疎外感、
孤独感に我慢を続けるだけで、
そのうちに耐えられなりそうだからです。

そこに居るだけでも、苦しく、耐え難くなる
ことが、周囲の人にはわかりません。
自分がなぜ、そんなに気にして、
苦しむのかもわかりませんが。

もう一つは、補聴器に依存すれば、
筆談などの合理的配慮が全く得られなく
なってしまう現実があったからです。

これは、歩み寄りなんかじゃない!
補聴器をすれば、健聴者は

「筆談する必要がなくなるから」

と思っているだけに過ぎません。
補聴器をして、それで何度も聞き返す
ならば、健聴者は

「この人は聞こえている」

と思い込みます。
そうすると健聴者は、聞き取れなかったら
何度も繰り返して、言うようになります。
それが親切、理解だと思い込んでしまって
います。

しかし、私にとってのそれは、拷問に近い
のです。
聞き取れればいいのですが、
聞き取れないとわかっているのに何度も
言われるのは、拷問に近いです。

こういう精神的苦痛を受けているという
ことが、健聴者にはわかりません。

コミュニケーションとして30%も通じれば、
その次も、またその次もと、
話しかけられ続けます。
そうして、自分には不得手な音声言語の
世界へと引きずり込まれてしまう。
そうすると、もう完全なコミュニケーション
など一生ダメです。


決して、自分のコミュニケーション方法だけ
に引きこもっているのではありません。
少なくとも私は、その見方には納得でき
ません。

健聴者は親切のつもりで何度も言って
くれるつもりなのでしょうが、
私の立場からは、何度聞いてもわからない
とわかっているのに、
我慢して聞き続けるのはとても辛いことです。

それに応じれば、私は最終的には
わからなくても「わかったふりをする」
昔のクセをまた出さざるをえなくなる。

なぜならば、人によっては、
2度目に言う時は、
言い方も表情もきつくなるので、
なおさらなのです。


どちらの理由にしても、あまりひどい
状況になってしまうと、
相手を殴ってやりたい、
という衝動に駆られる場合もあります。
しかしそんなことをしたらクビになります。
だから人間不信になろうと、我慢する
しかないのです。

結局、どこまでもガマンする。
それは、自分が壊れるまで続くのだろう
と思います。

そんな苦しみを健聴者に分かってもらう
なんて、無理だろう。
やはり、この苦しみは一生続くのだろう。

だから、私は補聴器を外した。
どっちも苦しいのだから、自分で選んだんだ。

わかりもしない健聴者の言うことなんか、
聞く必要はないじゃないか。

音が嫌いなわけではないが、外さないと、
私はもう、人間がもっともっと嫌いになる
だけなんだ。

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by bunbun6610 | 2016-02-22 19:30 | Z1.クレジットカード会社
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