健聴者にとって、聴覚障害者は面倒くさい存在?



朝礼のとき、Oさんはまたも、
筆談ボートに内容を書くのを
忘れてしまった。
そしてそのまま、普段通りの仕事に
就いてしまいまいた。

M係長も同席していましたが、
何も言っていませんでした。

私ももう、言うのも面倒…。
この会社で頑張る気が無くなって
きました。

今までに「改善するように」と本人も含め、
S課長やM係長、それに部外の人となる
人事部のM課長にも、労働組合のTさん
にも伝え

「改善する。
S課長にもOさんにも強く言う」

と約束してもらったのに、時々こうなります。
健聴者の感覚というのは時々なら、
仕方がないのだろうか?

この場合、果たしてどこまで許して
良いものだろうか?

その原因はおそらく、Oさんと私との間に、
コミュニケーションがないからでは
ないだろうか?
Oさんにとっての私は、透明人間なのだろう。

朝、私がOさんに挨拶をしても、
Oさんは素っ気無い。
Oさんは挨拶をしているのかしていないのか、
わからない様子で、
目を合わせることもほとんどありません。

上のいろいろな人に、
散々言われたはずだから、
もう私との問題から逃げたくて、
イヤになっているのかもしれません。

原因は、Oさんの人格にもありそうだが、
そればかり責めても、問題解決にはなりにくい。

やはり、健聴者にとって、
聴覚障害者は「透明人間」なのかもしれません。

(当ブログ

『聴覚障害者は『透明人間』なのか』
〔2015-04-23 18:30〕

参照)。


「『仲が悪いからコミュニケーションがない』
のではなく、
『コミュニケーションがないから悪くなる』」

    (『戦略と実行』(清水勝彦/著より)
     →http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/P48450.html

私ならば、こう言おう。

「『相手は耳が聞こえないから、
コミュニケーションができない』

のではない。
健聴者がそう思うから、できないのである。

お互いにコミュニケーションができる方法を
築こうとしないから、いつまでたっても
コミュニケーションができないのである」

理解というのは、相手の人格が悪ければ、
こっちがどんなに頑張っても、
得られないものなんだよなぁ。

だから私はこのブログで、何度も言い
続けるのだ。

聴覚障害者の基本的人権の完全保障は、
こんなあやふやな理解ではダメなんだと思う。
それは法制度にする必要があると、
切実に思うのです。

 →当ブログ

『『(仮称)情報・コミュニケーション法』って、何だ?』
〔2011-04-27 21:43〕

参照。

それは自分のためだけでなく、
子孫の権利を守り、
人類皆平等のためにもなるはずです。
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by bunbun6610 | 2015-11-13 18:30 | 就労後の聴覚障害者問題Z1

ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610