映画『レインツリーの国』(有村浩/原作)

=========================


〔難聴者の恋愛・参考情報〕

『レインツリーの国』
(有村浩/著)


この小説では、女性のほうが難聴なのだが、
この女性は自分が難聴であることを隠しつつ、
恋をしている。

実はこの作品は、有村氏が実際に難聴者協会
の難聴者から取材して構成した作品で、
モデルがあるのだという。

今年11月に実写化するという情報もある。
難聴者を主人公にしたドラマや映画は珍しい。

http://raintree-movie.jp/



=========================




以上、

『ベートーヴェンは、本当に聴こえなかったのか?』
〔2015-04-29 09:33〕

より引用。



難聴の人は(年齢層別で大きく異なるが)
「100人に一人ぐらいの割合」、
高齢者ではもっと多くの割合でいるそうだ。

補聴器メーカーが、補聴器の潜在ユーザー数を
試算したところでも、推定600~2000万人
いるそうである。

そうした人たちにも身近なテーマの映画なのだから、
関心が高いと予想され、この映画はヒットしそうな
気がする。

原作は「歩み寄り」ということについて、
深く考えさせられる内容だったので、
健聴者の恋人同士の人も是非観てもらいたい、
と思う。

私は

「ところで、この映画、字幕は付くんですかね?
ホームページを見ても、情報を探すのが面倒くさい。
どうせまた、付かないんだろう。
なら、いつも通り、観に行かなくていい」

そう諦めているが。
原作は聴覚障害者にもバリアがない活字だったから、
売れたのかなぁ?

(携帯電話も、たまたまメール機能が聴覚障害者
にも使えたから、爆発的に売れた、と言われている。)

でも、難聴者をテーマにした日本映画なのに、
字幕がなくて難聴者には楽しめない映画なんて、
本気でやるのか、オイ!!


『日本映画は聴覚障害者差別映画』
〔2015-08-11 18:30〕




ちなみに下のサイトには、原作を読んだ難聴者
の読後感想や、実体験談等が書かれている。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/30250/1163773144/l50


(2015年9月投稿記事)






【追記】(2015年10月6日)

この映画に、日本語字幕が付くことに決まった、
という。
おー、これは素晴らしい。

『レインツリーの国』
(2015年11月21日〔土〕公開)
『日本語字幕についてのご報告』
http://raintree-movie.tumblr.com/post/130597178217/日本語字幕製作についてのご報告

原作と同じく、東京都中途失聴・難聴者協会
の協力を得て映画製作し、字幕についても
検討してきた結果だという。

それなら、観てみるか。







【追記】(12月4日)

ヒロインの人見利香は中途難聴者で、
コミュニケーションには補聴器、読話、筆談を使う。
手話は使わないが、実は世の中でも利香のような、
手話を知らない聴覚障害者の方が、ずっと多いのだ。


『なぜ手話ができない聴覚障害者が多いのか?』
〔2014-07-19 18:30〕



補聴器は比較的小型タイプの耳掛け型を、
両耳に装用していたようだから、
中度難聴といった人物設定だろうと思える。

最初に見る利香と、最後に見る利香の全く
変わった表情が印象的だ。
これは映画だからの演出に過ぎないのかというと、
そうでもないような気がする。
下の記事を読んでみてほしい。



『聴覚障害者心理』
〔2011-09-26 23:48〕


【5.聴覚障害者心理の段階説、喪失の過程】

聴覚障害者心理は不安定で流動的な性質があり、
今のところ5段階説があるようです。

①「ショック期」 ②「あきらめ期」
③「再適応の芽生え」 ④「再適応の努力期」
⑤「再適応期」

この段階を、必ずしも①から⑤へ、スムーズに行くとは
限らないし、どうなるかはその人の運命だと思います。




この映画でも、そのプロセスが当てはまる。
つまり、実話に近い物語設定となっているのだ。

利香は伸と出会い、まず「再適応の芽生え」が生じる。
そして、伸の諦めない真心が、利香に「再適応の努力」
を促し、一緒に「再適応期」まで進む。
これは決して、利香だけが辿った軌跡ではなく、
伸も同じなのだ。
「関係障害」という性質を持つ聴覚障害の場合、
障害の克服には双方の努力が必要になる。
ここが、この映画の重要なポイントだろう。

映画の後半には、職場の上司が筆談コミュニケーション
のもどかしさにうんざりしていたが、
これも実際の障害者雇用では日常茶飯事のことである。
職場では決して、恋人同士のようには、
うまくいかないものだ。
私もよく上司に「優先順位がある」と言い訳され、
結局、合理的配慮などされずじまいになってしまう
ことは、うんざりするほど沢山経験している。
ほぼ実話と同じ、と言ってもいいだろう。




〔関連情報〕


元記事
『自伝に書かれた思い出もニセモノ
 …佐村河内氏の“偽り人生”』
〔2014-02-13 19:30〕
より、引用。



(※)『(障害による)喪失の過程』
東京大学教授・福島智氏。「喪失の過程」「再生の過程」
http://plaza.rakuten.co.jp/masami2008/diary/200806220000/




『基礎からの手話学』
(神田和幸,藤野信行/編著,福村出版,
1996年6月20日初版発行)



「a.聞こえない世界
聴覚障害者のパーソナリティの特徴としては、従来よりも精神的な固さ、
融通性のなさ、自己中心的であることなどが指摘されている。
しかし、いずれもコミュニケーションが十分行えないために、人間関係に
おける誤解や無理解から生じた場合がほとんどである。

耳が不自由な場合、音を通じて次に何が起こるかを予測することが困難
である。
問題が生じた場合でも、健聴者なら速やかに適切な助言や指導が得られ
るかもしれないし、常識や社会規範などの目に見えない抽象的事象も
言語を介して身につけられるが、それらが困難な聴覚障害者は絶えず
抑圧と不安のなかに身をおいているといえる。

たとえば、何かの集まりがあったとする。
少し遅れて会場に入ったが、あわてていたのでドアを強く閉めてしまった。
大きな音がしたが、本人は気にせず席に着いた。
そこで、まわりの人はどのように反応するだろうか。

おそらく、ひとこと謝るべきだ、何と非常識な人だと眉をひそめるだろう。
聞こえないことの意味を「非常識」の一言で片づけられてしまう怖さを
改めて考えさせられる。

とくに自分の良き理解者であるはずの家族や周囲の者とのコミュニケ
ーションが不十分な場合は、さらに混乱に拍車をかける。
当然、不安や不満も増大するであろう。

理解されにくいといえば、三木安正が教師を対象に「障害者の中から
最も気の毒な障害者はどれか」という調査をした結果がある。

結論からいえば、視覚障害者、肢体不自由者、精神薄弱者、聴覚障害者
の順であった。

これを三木は、教師がより悲劇的と感じた順に並べた結果であると
述べている。
見方を変えると視覚障害者や肢体不自由者はある程度、外見からも
障害の困難さが理解されるが、聴覚障害者は外見からはほとんど
理解されないということである。
誤解を受ける要因の1つもこのへんにあり、聴覚障害者の悩みや不安
は深刻である。」(P20~21)


「b.中途失聴者の心理
人生の途中で起こる失聴という事態が、その人の心理にどのような
影響を与えるだろうか。

障害そのものが人格に与える影響も無視できないが、自分の障害を
どのように受けとめるかが実は最も重要なことである。
言い換えれば自分が障害者であることをどの程度納得しているかが
ポイントになる。

キャロル(Carroll,T.J.)は中途失明者について「20の喪失」として
分かりやすくまとめている。
対象は異なるが、聴覚障害者にもあてはまると思われるので、
聴覚障害者に置き換えて紹介する。

(1)心理的安定の喪失(身体の完全さの喪失・残存感覚の信頼性の
喪失・環境把握の困難性・音のもたらす安らぎの喪失)

(2)生活動作の喪失(日常生活の困難性・行動力の減少)

(3)コミュニケーション手段の喪失(音によるコミュニケーションの喪失
 ・会話の容易さの喪失・情報入手の喪失)

(4)文化享受の喪失(音で楽しむことの喪失)

(5)職業・経済基盤の喪失(職歴、職業目標、就業の機会の減減少
 ・経済的安定の喪失)

(6)結果としての人格の完全さの喪失(自立性の喪失・社会的適切さ
の喪失・自尊心の喪失・豊かな人格形成の喪失)

これらは障害の違いや時代の違い、個人差などを考慮した場合に
必ずしもすべてがあてはまるとはいえない。
しかし、心理的安定の喪失をはじめとして中途失聴者が必ず直面する
課題であることにかわりはない。」(P21)


「c.中途失聴者の障害受容
中途失聴者は、障害を受けてから、それを受容し、再出発するまでの
間の心理的状況はさまざまであり、この心理的過程を4段階に分ける
ことができる(図1-2参照)。

第一段階は障害の発生から失聴宣言を受けるまでで、医療を中心と
した時期である。

第二段階は将来の見通しが立たず悶々とした日々を過す心理的葛藤
の時期である。
言うに言われぬ不安感、周囲の者に対する依存、そして劣等感にさいな
まれるもっとも辛く苦しい時期でもある。


第三段階は生きる意欲や目的を見出し新たな人生を踏み出す障害受容
の時期である。
この頃になると「読話訓練」、「聴能訓練」、「手話訓練」などにも積極的に
取り組むようになる。

第四段階は職業決定の段階で、既婚者であれば経済的基盤の確立が
成るか否かの瀬戸際に立たされる時期でもある。

すべての人が同様の過程をたどるとはかぎらないが、中途失聴者の
社会復帰までには数年を要するのが普通である。
」(P22)





【追記】(2015年12月12日)

難聴コンプレックス
利香は、中途難聴者に多い、一人ぼっちの難聴者だ。

健聴者から見たら

「すごい難聴コンプレックスだな」

と思うかもしれないが、同障者から見たら、
別に珍しくはない。

世の中に、伸のような人が、もっと増えてほしい、
と思う。


この映画には、至る場面で難聴者心理が
描かれていることは確かだ。
ただ、やはり映画だから、演出がやや大げさで、
現実より遥かに、悲壮感あり過ぎだと思った。
実際はもっと淡々として、それでいて難聴者の
心の中だけが辛い場合が多いものだ。
それが健聴者には全然、気がつかないのだ。


これは字幕無しで観て、その後に日本語字幕付き
(期間限定)で観た感想である。
両方の感想がごちゃ混ぜになっているので、
健聴者には読んでも理解しにくいかもしれないが、
やはり、日本語字幕はあったほうが良かった。




〔参考情報〕

『映画化レインツリーの国のネタバレ含む感想!
ヒロインに隠された秘密』



この映画は、伸がひとみ(利香)からのメッセージ
(メール)を読むシーン
(「字幕無し」では「音声」のみのセリフ)
が多い。

最初は「女の子の声」という字幕で出ている。
これはおそらく、西内まりやさんの声だろうから、
健聴者には

「この声がひとみ(利香)なんだろう」

と分かっただろう。
しかし、聴覚障害者には、その声がどんな声なのかは、
わからない人もいるわけだ。
つまり、健聴者と変わらない難聴者の声なのか、
それとも発音がおかしい聴覚障害者の声なのか、
わからないということになる。

そして、もし原作を知らない聴覚障害者が、
字幕の無いこれを観たら

「あ、今、伸がひとみからのメールを読んでいる
ところなんだな」

ぐらいにしか、思わないだろう。
その内容が何だかは、全くわからないのだ。

だが、そこにひとみの重要な告白、秘密がある
ことが、字幕付きを観て、初めて知った。
字幕無しでは、それを全て見落としてしまって
いたのだった。

伸と利香の初顔合わせは、とにかくチグハグだった。

普通は、相手(伸)がオススメする店なら、
よほど都合が悪くない限り、断らないだろう。
それなのにその店に入ってから、利香は

「混んでいる場所は苦手」

と言い出して、変更を求める。
そして、混んでいない店を探してわざわざ移るが、
そこでもひとみは、料理を食べ残してしまった理由
について

「辛いものが苦手」

と答える。
正直に答えたのだが、伸に気まずい思いをさせてしまう。

二人で映画鑑賞をした時だって、難聴障害のことは
言わないで、字幕付きに執拗にこだわった。
で、結局、どっちも観たくもない作品を我慢して
観るハメになる。
セリフがわからないと、後で感想を言い合えなく
なってしまうので、そこで聴覚障害のこともバレる
可能性がある。
だから利香は、字幕付きにこだわったのかもしれない。
全ては、利香が隠し通そうとしてきた難聴障害から
起きた問題だった。
そして、それがバレる決定的契機になったのが、
エレベーターでのことだった。




(1)初対面の待ち合わせでなぜ、
静かな本屋でヘッドフォンをしている?
おそらく、理解されにくい難聴障害を隠すため
だったのだろう。


(2)コミュニケーションの時に、ルールを強要する?
また、あるシーンでは、初デートの会話場所に、
席が空いていても、利香は混雑した場所を避ける。
そして、健聴者にとっては聞き取りやすい、
静かな場所でも、コミュニケーションをする時、
相手に様々な注文(話し方のルール)をつけるので、
伸は面食らってしまう。
そういう点は、健聴者から見れば

「何だ? コイツ」

「面倒なヤツ」

で、関わりたくなくなる存在だろう。


(3)ある時は健聴者、ある時は難聴者、
そして、ある時はろう者?

自分に都合のいい話しか聞かない、
高慢な性格と勘違いされやすい、感音性難聴者。
特に職場では、人間関係に大きく響いてしまいやすい。

「カラオケボックスのような場所では
聞き取りやすくなる」というのは本当だ。
このように難聴障害によっては、
環境条件で克服可能な場合だってある。

エレベーターに乗った場面などは、
ろう者と同じ状況だった。
両耳に補聴器をしていても、わからない場合だってある。

私のケースでも、例えば、すぐ後ろに自動車が
ついてきたのに気がつかなかった、という経験がある。

『静かになったクルマの音は・・・』
〔2015-06-15 18:30〕


感音性難聴の度合いにもよると思うが、
利香の場合は、おそらく30年ほど前の国産補聴器を
使っていた時の事例に、容易に当てはまるような気が
する。
つまり、事実ではあったが、それほど古い事例を、
今の映画に使っているように思えたのだが。

昔の国産補聴器は、ノイズがひどく、ボリュームを
上げればノイズ音も簡単に上がっていた。
エレベーターのブザー音は高音のジリジリと切れた
ような音がするので、高音が苦手な利香には、
ブザー音が強いノイズに埋もれてしまい、
聞き取りづらかったのかもしれない。
すると、それが何の音なのか分からない場合
だってある。
それが、自分の身に危険が迫っているような
場合でも。

あるいは、音声が聞こえなかったのが問題
だったのかもしれないが。
色々な人が何かブツブツと言っていたが、
そんな時に特定の音声を聞き分けることは
難しくなるのも、感音性難聴障害だ。


(4)後ろからわざとぶつかられた時
自分の存在自体を消す、否定してしまうかのような
生き方(強い自己否定感)

健聴者と難聴者を同等に扱うことを否定してしまう
生き方

自分が傷つきたくない、
他人に迷惑をかけたくない、

難聴障害は、どうせ説明しても理解してくれない
という、諦めの思い。

この3つの思いで、心理的不安定であることが、
健聴者にはわからない。
自分の好きな人が目の前にいても、
自分の気持ちを打ち明けられない、コミュニケーション
ができない、という状態にいることは、正直、
かなり辛いことだ。
自分を隠して生きる。
しかし、本当の利香は、本心を自身のブログ
『レインツリーの国』で明かしている。
この強い自己矛盾が、難聴者特有の世界に思える
かもしれない。

娯楽映画作品としてなら、ここでエキサイトした
ケンカになったほうが、観客受けするストーリーに
なったかもしれない。
しかし、原作、脚本とも、難聴者をありのままに描く
ことを考えたようだ。
この作品は、難聴の当事者団体も関わって、
製作されている。
健聴者は善悪の判断をするが、難聴者はそうではなく、
障害を隠すことと、トラブルが起きてしまった場合は、
諦めることに徹しようとする。
ここは、その難聴者心理を見せている場面だといえる。
このような曖昧さが、真に理解し合える人間関係の
構築を、一層困難にしてしまうことも少なくない。


(5)職場で
職場の上司にとって、障害者雇用促進法で雇用され、
配属されてきた聴覚障害者は、厄介な存在だ。

健聴者は、世の中にはいろいろな聴覚障害者が
いることを知らないし、理解しようともしない。
字幕が無かった時は、委託上司の村川が利香を
襲った理由が何なのか、あまりよくわからなかった。
推測では当たっていたが、字幕付きを観て、
やっとハッキリと分かった。
聴覚障害者だからといって、皆しゃべれないとは
限らない。

ミサコの話し声が、利香には聞き取りにくかった
のだろう。
それで、ミサコも誤解しているようだ。
しかし、誤解なのか、それとも恋のライバル意識
からの策略なのかは、観ているほうには分かりにくい
ものだ。

特に、知らない人との、外でのコミュニケーション
での悩みで、条件によっては1対1でのコミュニケー
ションなら、ほぼ問題ないが、
他に誰かが割り込んでくると、
会話が止まってしまうシーン。
3人以上での、放射状コミュニケーションには、
利香は非常に弱いようだ。
皆と一緒にやるのが苦手だから、
協調性がないとも見られやすい。


私も、職場の上司にはよく

「あなたはなぜ、他のスタッフと話をしないのですか?」

と言われる。

上司は、このような放射状のコミュニケーション
場面になると、私が聞き取りづらくなり、
誰も気づかずに孤立してしまうということを
知らないのである。
それでも説明はするが、結局、それでも分からない人
が多いのが現実だ。
伸のような人は、なかなかいないのだ。


上司の

「これからは残業はしなくていいよ」

という配慮に対し、利香は最初、筆談ボードに

「大丈夫です」

と書くが、上司の待つ顔色を見て
(あるいは、もしかしたらこの時は聞こえたか、
察したのかもしれない)

それを消し

「わかりました」

と書き直す。
「筆談が面倒」だと思っている上司と判断し、
本音のコミュニケーションはやめ、
そうしてしまったのではないか?
とも思えた。
自分が「わかりました」と言えば、
それでもう終わるのだから、上司は助かる。
これはむしろ、利香の上司への配慮だ。

ところで、このシーンではどうして、
しゃべれる利香まで、わざわざ筆談ボードに
書いて上司に伝えているのか、
健聴者の読者にはわかるだろうか?


『バカがいつまでも聴覚障害者差別をしている時代に』
〔2013-04-03 18:00〕




『音声言語世界の中で生きる、
ろう者の現実と、手話が持つ可能性』
〔2014-08-25 18:30〕



やっぱり健聴者中心の社会なのだから、
聴覚障害者にとって、声のパワーはとてつもなく
大きく感じる。
それに(合理的配慮が)押しつぶされないように
するために、あえて声を使うのをやめる方法を
選択する場合だってある。

特に会社の中で、上司とのコミュニケーションでは、
聞き間違いや聞き漏らしがないようにするため、
筆談でしてもらうことは、私もよくある。
利香にとって、上司の声が聞きづらいと感じていた
ならば、なおさら声での会話は避けるのが当たり前
だろう。
自分がしゃべってしまうと、相手の健聴者も筆談を
忘れてしやべってしまう人が、世の中にはうんざり
するほどたくさんいる。
それで、あえて口でしゃべるのをやめてしまうのでは
ないだろうか。
実際に私も、場面や相手によっては、そうしているのだ。

「ああ、この人はしゃべれないんだな」

と思ってもらったほうが、健聴者はお情けでちゃんと
書いてくれる。
そのほうが、トラブルにならないから。
聞き取れる自信がない時、情報を正確に知りたい場合は、
書いてもらうようにするしかないのである。

職場での問題に悩み、言いにくい。
私も、このブログでしか、正直には言わない。

言いやすい人がいるとすれば、それは同障者か、
障害をきちんと理解してくれている、
ごく一部の健聴者(手話・要約筆記通訳者など)
だけである。
会社のコンプライアンス・ホットラインにも、
労働組合にも、決して言わない。
信用していないのだから、当たり前のことだ。


(6)障害の受容
補聴器をしていると、ジロジロと見られるから、
男女とも長髪にして、隠す場合が多かった、
というのも、昔の話で、今はあまり抵抗感も
なくなってきた。
昔は目立たない肌色ばかりだったのが、
今ではカラーも豊かになり、
スケルトンまで出ている。
ネイルアート、デコレした補聴器まであり、
それらは逆に派手に見せている。


【5.聴覚障害者心理の段階説、喪失の過程】
を書いた心理学者は健聴者だろうから、
その視点で「再適応期」と書いている。
しかし私の体験から言えば、「再適応期」という
言葉は好きではないし、少なくとも自分には
あまり馴染まない説明だと思う。

「新しい自己の創生期」と言ったほうが合う、
と思う。
映画で最初に見た時の利香と、
最後のほうで見た時の利香の表情の違いは、
そのためだと思う。

これは、障害を持つようになった人に限らず、
健常者でも、古い自己を棄て、新しい自己を獲得
する(矢内原伊作『自己について』参照)、
というサイクルを、誰もが持っているはずで、
人間ならば持つべきものだと思う。
それには、他者との関係性において、お互いに
成長する存在だという点が見逃せない。
そのことにおいて、聴覚障害者は今の社会では
まだまだ、決して軽いとは言えないハンディを
抱えている、と言えないだろうか。
この映画を観ただけで、そこまで気づくのは難しい
かもしれないが。




同情と、優しさは違う。
甘えることと、寄り添うこととは違う。
愛とは、寄り添うことだと、
最後に利香は語っている。




投稿日; 忘れた(2015年9月)
更新; 10月6日
再更新; 12月4日
再々更新; 12月12日
[PR]
by bunbun6610 | 2015-12-12 00:22 | 難聴・中途失聴


ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

カテゴリ

全体
はじめての方へ
街風景
自然風景
祭典
動物
食べ物
食べ物(ラーメン編)
食べ物(カレー)
sweet
製菓の話
お酒
観光(北海道)
観光(関東)
観光(四国)
観光(中国)
観光(九州)


薔薇
紫陽花
聴覚障害
聴覚障害者心理
ろう者世界
難聴・中途失聴
難聴の記憶
手話
コミュニケーション能力
手話言語法
補聴器、福祉機器等
情報保障・通訳
情報保障・通訳(就労)
情報保障(テレビ字幕)
国連・障害者権利条約
社会
人権、差別
障害者問題・差別
原発問題
六本木ヒルズ回転ドア事故
バリア&バリアフリー
医療バリア&バリアフリー
障害者の経済学
運転免許制度への疑問
哀れみはいらない
だいじょうぶ3組
NHK大河ドラマ『花燃ゆ』
就職活動・離職
就労前の聴覚障害者問題A
就労後の聴覚障害者問題B
就労後の聴覚障害者問題C
就労後の聴覚障害者問題D
就労後の聴覚障害者問題E
就労後の聴覚障害者問題F
就労後の聴覚障害者問題G
就労後の聴覚障害者問題H
就労後の聴覚障害者問題M
就労後の聴覚障害者問題R
就労後の聴覚障害者問題Z1
職場の回想録
ブラック企業と障害者雇用
聴覚障害者版サムハル
Eテレ『バリバラ』
生活保護を考える
年金・無年金障害者の問題
人気記事(再掲)
雑談
未分類

以前の記事

2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 10月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月

フォロー中のブログ

おばば奇譚
ボーダーコリー モリーが行く!
但馬・写真日和
九州ロマンチック街道
東京雑派  TOKYO ...
大目に見てよ
Photo Galler...
おっちゃんの気まぐれ絵日記
松浦貴広のねんきんブログ
qoo's life
poiyoの野鳥を探しに

検索

タグ

(178)
(94)
(51)
(47)
(40)
(33)
(31)
(13)
(7)
(6)
(5)
(4)
(2)
(1)
(1)

ブログパーツ