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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

手話サークルを辞めていく健聴者

昔、手話サークルに通っていた健聴者と
たまたま会い、少し立ち話をした。

その健聴者Hさんは、手話講習会に通っていた時は、
手話サークルにも熱心に通っていた。
だが、手話講習会の上級クラスへの昇級試験には
落ちてしまった。
それでもしばらくはサークル通いを続けた。

しかし、毎年入ってくる、新しいサークル入会者の中
には、手話が上手な人もいて、その人たちを見ている
うちに

「あぁ、自分はやっぱり、手話を覚えるのは無理
なんだなぁ」

と痛感したそうだ。
劣等感に打ちのめされて、さらに自分の年齢のせい
もあることも認めていた。
何もかも、諦めるしかなかったようだ。


同じ頃にも、Nさんという難聴者が、この手話サークル
に入会したが、すぐに辞めてしまい、
今は別の手話講習会に行き、別の仲間を見つけ、
手話を続けている。

Hさんはすでに、そうした環境にもとどまらなくなり、
昔覚えた簡単な手話も忘れかけていた。
そして、私の表す手話も「わかったふり」をしながら
見ているだけのようだった。

それでもHさんは

「あなたの手話のほうが、
ろう者の手話よりもはるかにわかりやすい」

と言った。
それはそうだ。
私のは“日本語対応手話”なのだから。


手話は、みんなのための言語になるのかというと、
そうでもない。
それはまず何と言っても、ろう者のための言語だろう。



『手話言語法って、何? (1)』
〔2012-01-16 21:06〕



(しかし、ろう者の中にも

「手話のなかには、ろう者と健聴者が
つくった手話もたくさんある」

という主張も少なくないし、その“歴史的事実”がある。
それゆえ、それは決して、ろう者のためだけに
つくられたのではなく、双方をつなぐための言語でも
あった証拠ではないだろうか)


少数派言語であっても、その権利を保障することが、
さまざまな人の権利保障である。

しかし一方で、手話がわからない人にとっては「逆差別」
のようにも思えることだろう。
手話が分かる者同士だけで手話で話すことを、
他の人はやはり、決して良くは思っていないはずだ。

手話は、健聴者にとっては難しい言語だ。
だから健聴者にとっては、手話言語法にも
「諸手を挙げて賛成」というわけにはいかないかも
しれない。

昔、蛇の目寿司事件という、ろう者と健聴者との
ケンカ事件が起きた例がある。


『蛇の目寿司事件』
http://www3.ocn.ne.jp/~oneyes/kobushiza/pri03.html



例えば私も、こんな誤解を受けたこともあった。

『手話に対する、健聴者の受け止め方』
〔2011-10-08 10:28〕



異なる言語を認めることによって問題が解決する
こともあるし、新たな問題が起こることもあるだろう。




〔参考情報〕


『日本語対応手話の言語的特徴と
教育上の意義について』
(伊藤 政雄  竹村 茂)

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kem/library/niha-igi.htm




『[PDF]日本手話 : 書きことばを持たない少数言語の近代 URL』
一橋大学機関リポジトリ
『日本手話 : 書きことばを持たない少数言語の近代』
(岡, 典栄)
〔2012-03-23〕

http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/22860/3/0201102602.pdf
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by bunbun6610 | 2015-07-03 19:40 | 手話言語法