ブログトップ

蒼穹 -そうきゅう-

実在した盲ろう者の映画『奇跡のひと マリーとマルグリット』

フランス映画
『奇跡のひと マリーとマルグリット』


フランスに実在した、盲ろう者の実話物語だ。
勿論、「手話」と「触手話」が出ている。
マリー(盲ろう者)役には、本物のろう者を
起用している。

2015年6月から、東京などを初め、
順次、全国公開される。






〔参考記事〕


『「盲ろう者」について』
〔2011-04-09 09:34〕




『コミュニケーションは、人間が生きるために必要なもの』
〔2012-02-18 01:19〕




『『ヘレン=ケラー自伝』
(ヘレン=ケラー/著 今西祐行/訳)(1/5)三重苦』
〔2014-05-01 20:00〕






【追記】(2015年6月21日)

映画館の入場券売り場には、
鑑賞券を買う人の列が出来ていた。
そのなかに、カトリックの修道女もいた。
日本語で誰かと話しているようだった。

その時私は、昔、中途失聴者・難聴者対象
手話講習会で出会ったKさんを思い出した。
Kさんはカトリックの修道院で奉仕活動を
していた。

Kさんが手話の勉強を始めた理由は、
まず自身が難聴になったことと、
もう一つの理由があった。
それは

「カトリックのろう者に、聖書を手話通訳して
ほしい」

という修道院からの要望に応えるためだった。

ところが、最初は挫折してしまう。
Kさんは山登りが好きで、手話を覚えるためにも、
ろう者の山登りの会に入会しようとする。
しかし、「難聴者です」と自己紹介しただけで、
あっさりと無視されてしまったのだという。
それで最初はショックを受けてしまった。

しかし、使命感のある人だったので、
ろう者に手話通訳をすることは、諦めなかった。
そしてとうとう、ろう者の手話を覚え、
使えるようになるまで上達した。

50歳を過ぎてからの手話学習・修得だったから、
相当の努力家だったと思う。
普通の難聴者だったら、ろう者の手話からは
逃げてしまう人がほとんどだというのに。



〔参考情報〕

『『ヘレン=ケラー自伝』
(ヘレン=ケラー/著 今西祐行/訳)(1/5)三重苦』
〔2014-05-01 20:00〕




『コミュニケーションの神秘性』
〔2011-08-30 00:40〕



「誰かとある形のコミュニケーションを保つこと、
友情をともにすることは、
絶望に身を任せるか、
限りない希望へと導くか、
二つの違いを生じさせるのである。」


          (スーザン・シャラー)



『言葉のない世界に生きた男』
(A Man Without Words)
【序文】オリバー・サックス
スーザン・シャラー(Susan Schaller)著
 中村妙子訳
(1993年6月25日発行,晶文社)より引用。

 →http://www.ne.jp/asahi/wtnb/2000/recommend/genre4/schaller.htm





『狼にそだてられた子』
(アーノルド・ゲゼル/著 生月雅子/訳
 家政教育社/発行)
1967年5月20日第1刷発行
アーノルド・ゲゼル
(元イエール大学教授ゲゼル児童研究所長)


「孤立児にはそのほか、社会学者のギングスリ・ディビス
が報告した二例がある。
一例は先天性の精神薄弱らしいが、もう一つの
例は興味がある。
これは耳も口も不自由な母親といっしょに、
暗い部屋のなかに、六年半も入れられていた
コドモであるが、発見されたときには、
まったく人間らしさがなく、白痴のような状態で
あった。
しかし、じゅうぶんに学習させた結果、
二年後にはじゅうぶんに話をすることが
できるようになり、知能指数(I・Q)は三倍にも
達し、十四才にはまったくふつうの頭のコドモ
になっていた。」
(P10~11)



この本の話は、現在では「ウソ」だとされている
らしい。


『世界が騙された「オオカミ少女」というウソ』



しかしそれでも、人間が人間社会で生きていく
ためには、適切な教育が必要だということは
確かだろう。

ヘレン=ケラーも、サリバン先生からの教育を
受ける前は、野生児のように暴れていた、
という自伝記録がある。


耳の聞こえない赤ちゃん』
〔最終更新日 2004.01.26 08:48:19〕



『【感動の話】 あるろう者の苦悩と、幸福観』
〔2015-04-02 23:06〕




マリーは36才の生涯ながらも、マルグリットとの
物語は映画『ゆずり葉』(※)を思い出させるものだった。
マルグリットからマリーへ、そして次の盲ろう者を
この修道院が受け入れ、手話で教育していったそうだ。
そのあたりは、映画『ゆずり葉』を思い出す。


(※)
全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画
『ゆずり葉』




また、手話言語法の必要性を強く感じさせる
映画でもあった。


『「教育をしない者の罪」
 教育に捧げた人生 ―古河太四郎 生誕170年―』
〔2015-05-21 19:30〕



聖書に

「光があるように」

といった言葉がある。
マルグリットの人生にとって、マリーが「光」
となった。
マリーにとってもマルグリットが「光」だった
ようだ。

では「言葉」は何だ?
それが「聖霊」の働きの一つなのだろうか?
[PR]
by bunbun6610 | 2015-06-02 19:44 | ろう者世界