ベートーヴェンは、本当に聴こえなかったのか?

『聴覚障害者と音楽』


本題の話をする前に、ちょっと別のところから
入ってみたい。

以前に、『ろうを生きる 難聴を生きる』という
テレビ番組で、若い聴覚障害者が手話ソング&
ダンスに取り組む様子が放送されていた。

耳が不自由でも、なぜか音楽が好きな人はいる。

そればかりか、聞こえづらい音楽に合わせて、
歌を手話で表したり、ダンスをする聴覚障害者も
いる。

音が聞こえなくても、リズムを身体で覚えて、
踊るのだという。
聞こえなくても、そういう方法で音楽を楽しむ
聴覚障害者がいることは事実だ。

勿論、こういうものには、好きな人と嫌いな人が
いるわけなのであるが。
それと、音楽をどのように楽しむかは、
その人の自由だろう。

私は、本当は音楽が好きなのだが、
そんなことはもう決して、したくないほうである。



映画『愛は静けさの中に』(※1)にも、
それが描かれている。



(※1)
『手話パフォーマンスをどう思うか?』
〔2014-06-24 18:30〕




『心の叫び (3)『愛は静けさの中に』』
〔2014-11-03 18:30〕




この映画では、ジェームズ先生の指導により、
ろう学校の生徒が学園祭で、手話ソング&
ダンスを披露した。
しかし、生徒のリディアたちを見たサラは、
否定的な反応を見せる。

理由はハッキリ分からないが、サラの劣等感
かもしれない。

その原因となる、リディアとサラとの違いは
何だったのだろうか?

リディアは、もしかすると難聴だったのかもしれない。
一方、サラは、ろうあ者だ。

その違いが、声も出して歌えるか、そうでないかを
分けていたのかもしれない。

この場合は確かに、聴力と発声能力は正比例すると
いえるかもしれない。

しかし、中途難聴・失聴者の場合は、完全に正比例
するわけではない。
そこが、健聴者の知らない聴覚障害の領域であり、
誤解が広く行き渡ってしまっているようである。

その証拠に、中途難聴・失聴者には手話歌が好きな
人が結構いるものだ。

もしそれを見たら、健聴者は

「偽聴覚障害者だ」

と言うのだろうか。


だから、それについての話をするために、ベートーヴェン
の例を出してみたい。





『ベートーヴェンは、本当に聴こえなかったのか?』



テレビ朝日『林修の「今でしょ!講座」』



2015年4月28日(火)放送
『科学で料理が美味しくなる
 &葉加瀬太郎の音楽講座3時間SP』

http://www.tv-asahi.co.jp/imadesho/backnumber/0030/



『NPO みみより会』



みみより会 丸山一保氏
『ベートーヴェンの耳』




〔参考情報〕

マンガの中の聴覚障害者
『ベートーベンの耳は聞こえていた』




>「自分の作った音楽を確認することができなかった
というベートーヴェンの悲劇は、そんなことは実際に
はなかったはずなのですが、お茶の間の視聴者に、
改めて深い同情を呼んだのに違いありません。」



丸山氏のこの話を読んで、気がつく人もいるだろう。
佐村河内守氏が著した『交響曲第一番』だ。
そこには、次の文章がある。



>「「『死んだ“作曲家”』
指揮者のもとに行くと、彼は楽譜のある小節を指差し、紙にペンで記しました。

〔この一小節は実際に鳴らして(演奏して)みると、一つのパートがほかの
楽曲群にマスキングされてほとんど聞こえなくなるのですが〕

「このパートは瞬間的なサブリミナル的効果をねらったものだけれども、
あなたの指摘も否定できない」

私はそう答えながら、まさかこの箇所の不具合を鋭く指摘してくるとは、
と内心思っていました。
じつは作曲中、この部分の実験的試みを行うべきか否か、一度悩んだのです。
しかし、あまりに時間がなかったので、頭の中で時間をかけてしっかり響きを
確認するということを怠ったまま、見切り発車的に記譜していました。

〔このパートが入ることで全体の響きが一瞬にごって聞こえるので、
これをカットしたバージョンを聴いてもらって気に入っていただけたら・・・〕

指揮者はそこまで書き、瞬時に顔を青ざめさせ、

「聴けないんでしたね。
すみません」

と謝罪しました。
私も瞬時に青ざめました。」


『『交響曲第一番』(佐村河内守/著) 4/11』
〔2014-02-04 18:30〕



(実際は佐村河内氏が作曲したのではなく、
しかも難聴者だったので、この話はあくまでも

「交響曲というものはどういうものか?」

ということを理解する意味で、読んでいただきたい)


これほど複雑な曲だったならば、なお一層のこと、
聞こえていなければ作れるわけがないのではないか。

だから健聴者は

「重度聴覚障害にあまりにも同情してしまって、
この矛盾に気がつかなかった」

ということになる。

あるいは、もしかしたら世界中の健聴者は、
ベートーヴェンに引っかかり、それで
佐村河内氏にも騙されたのかもしれない。

それほど、健聴者は聴覚障害について、
ほとんど知らないということではないだろうか。

医学では

「後天性難聴から全聾にまで聴力が失われる
ようなことは稀だ」

と言われているのだから、それは十分ありえる
と思う。
伝音性難聴だけで、全聾になるまで悪くなることは
珍しいそうだ。


>「天才少年演奏家として、デビューしたベートーヴェン
が、中耳に病気のある伝音系の難聴者だったという
ことは、同じ病気のために孤独な少年時代を送った
ぼくには、だれよりもよくわかるのです。」


おそらく、ベートーヴェンは伝音性難聴障害なのでは
ないかと思う。
現代医学でも、後天性難聴者には多い難聴障害と
考えられているからだ。



>「ベートーヴェンは、生涯にたくさんの恋をしますが、
その恋は一つとして成就しませんでした。
彼は、生涯独身でした。
・・・(中略)・・・
しかし、このことは、ぼくにとっては不思議でもなんでも
ないことでした。
 ベートーヴェンの耳が、実は、少年時代からの
難聴だったと考えれば、そこにはまったく謎が
ないのです。」


この部分も、私は非常によくわかる。
難聴を経験したことのある人ならば、
間違いなくわかるだろう。

おそらくベートーヴェンも、非常な難聴コンプレックスを、
心の内に抱いていたのだろう。

シラノ・ド・ベルジュラックがデカ鼻のコンプレックス
から純愛を貫き、過ちを犯し、それを償うために、
生涯独身だった物語と似ているように。(※2)



(※2)
『シラノ・ド・ベルジュラック(エドモン・ロスタン原作)』
〔2011-04-13 22:56〕





ムーラン・ルージュで有名な画家・ロートレックも、
本命の相手と恋をしたが、コンプレックスに苦しみ、
そのことが理解されなかった。
異常な面があるのは、果たして天才ゆえの人格的
欠点だけだからだろうか。


Movie Walker
『赤い風車』(1952)
〔1953年5月28日公開〕



ベートーヴェンも、難聴に苦しみながら、
ひとすじの生き方を通したかったのだろうと思う。
ひょっとしたら、その苦しみと祈りに満ちた難聴体験
こそが、世界中の人々を感動させる名曲を生み出す
源泉だったのかもしれないのだ。

他の人とは違う仮説になってしまうが、
難聴体験は必ず精神に影響を及ぼす。
ベートーヴェンの音楽がもし、精神性溢れる作品
だとしたら、その影響を受けて作られたものに
違いないと思う。

あの突然の「ジャジャジャジャーン!」で始まる、
ドラマチックな楽曲も、己の難聴・失聴の運命を
衝撃的に表していると言えないだろうか。
あれこそ、難聴、そして失聴と闘いながら曲を
作り続けた、彼の運命を鮮明に表していると
思うのだが。
彼は己の悲運と、独りで闘った男なのかもしれない。


〔難聴者の恋愛・参考情報〕

『レインツリーの国』
(有村浩/著)


この小説では、女性のほうが難聴なのだが、
この女性は自分が難聴であることを隠しつつ、
恋をしている。

実はこの作品は、有村氏が実際に難聴者協会の
難聴者から取材して構成した作品で、モデルが
あるのだという。

今年11月に実写化するという情報もある。
難聴者を主人公にしたドラマや映画は珍しい。

http://raintree-movie.jp/



ちなみに

『耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由』

の著者・金 修琳氏も、インターネットの「お見合いサイト」
で相手探しし、結婚しているという。




葉加瀬氏はベートーヴェンを「偏屈な男」と評して
いたが、難聴コンプレックスに苦しめば、
誰だってそうなる。


「ベートーヴェンは79回も引っ越した」

という理由だって

「掃除ができないから」

という説だったが、これも、それだけではなかった
かもしれない。
つまり

「近所の人に難聴を知られたくなかったから」

という理由もありえる。
これも、実は難聴者にはよくあることだ。

障害者にネガティブな見方をするのが当たり前の
時代にあって、類稀な才能で名声を得ていた人
ならば、なおさら隠しておきたかったのではない
だろうか。
少なくとも、必要以上には知られたくないことだ。
結婚相手も探していたのなら、なおさらそうだろう。

だから、葉加瀬氏の評は「的を射ていない」と、
同障者である私ならば思う。


それでも、葉加瀬氏がベートーヴェンを第一位に
選んだ理由は

「聴こえないのに、曲を書こうとする意志が驚き」

としている。

これも確かに、本当に全聾であったならば、
それは「驚き」かもしれない。
しかし、この場合も、医学的な意味での「全聾(deaf)」
と、ろう者(Deaf)とを、混同していないだろうか。(※3)


(※3)
『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①』
〔2014-03-14 18:30〕



それと、障害を持つ人を、何だか“哀れみの対象”
としてしか、見ていないようにも思える。
本当は障害ゆえに、恋も激しかったのかもしれないし、
あのような名曲を数多く作れたのかもしれないのだ。

「恋愛は、二人の間に障害があればあるほど、
激しく燃えあがる性質がある」

ということは、遠藤周作が書いた『恋愛論』を読んで
もわかる。
シラノがまさにそうだった。

残念ながらそこ(障害と恋愛との関係や、障害と
精神的活動力との関係)には、全く注目されて
こなかった。
昔も今も。


中途難聴者や中途失聴者も聴覚障害者(deaf)
である。
中途失聴者には「全聾(deaf)」の人もいるだろう。
しかし、だからといって、「全聾者」は「ろう者(Deaf)」
と全く同じなわけではないのだ。
音の世界を持ってきた彼らにしてみれば、
第一言語は当然ながら日本語であり、
音のイメージ力も十分、ないし、ある程度は残って
いるのは当然だ。
そこは、生まれつき聴こえないろう者(Deaf)
とは決定的に違っていて、当然である。

テレビ番組では、ベートーヴェンの聴覚障害を

「20代できこえづらくなり、30代で難聴になり、
40代でほとんど聴こえなくなった。
名曲『第九』は聴こえなくなってから作られた」

と、説明している。
これでは、ゲストも視聴者も感銘を受けるのは
当然だろう。

しかし、本当にそうだったのかどうかは、
疑問が残るかもしれない。
「聴こえない」という意味は、当時でも聴覚障害者
の言うように

「言葉が聞き取れない」

という意味であって

「音声が全く聴こえなくなった」

という意味ではないかもしれないのだから。
だとすると、聴覚障害者の実情と健聴者との
解釈との間には、かなりのズレがあることになる。

ベートーヴェンの音楽に、高い芸術性を認める
ことができ、音楽に初めて物語性を取り入れ、
ロマン派の先駆者になった、という点では、
評価できると思う。
それまでBGM的なものとして用いられ、
そのために作曲していた音楽に、革命を起こした
のだから。
誰もが立ち止まって、聴き入ってしまうような音楽を
初めて作った人、という点で、ベートーヴェンは
高く評価されて当然だろう。

しかし

「『聴こえないのに『第九』を作曲した』

と解釈するのは、果たして正確なのだろうか?」

と思わざるをえない。

歴史上の偉大な人物ほど、誇張されてしまうことは、
よくあることだ。

さらに、作曲家としての偉大さに、あれほどの脚光を
浴びても、難聴障害の苦しみについて、何も語られて
いない点についても、疑問に思わざるをえない。

難聴でもあそこまで苦悩に耐えて名曲を残していった、
ということがもっと語られていて、同障者にも知られて
いたなら、同障者の励みになっていたかもしれないし、
ベートーヴェンも喜んだに違いない、と思うのだが。
それを誰も研究してこなかったことが、残念である。

やはり音楽とは、そしてベートーヴェンの功績とは、
ただ健聴者のためだけにあるものなのだろうか。

それ以外の部分、特に難聴障害については、
誰にも顧みられなかったことは、
同障者から見ると寂しいことだと思う。
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by bunbun6610 | 2015-04-29 09:33 | 難聴・中途失聴


ある聴覚障害者から見た世界


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