花燃ゆ - 第17話 『松陰、最期の言葉』

花燃ゆ - 第17話 『松陰、最期の言葉』



NHK大河ドラマ
 『花燃ゆ』

http://www.nhk.or.jp/hanamoyu/



花燃ゆ 白熱教室
第21回 友に綴った最後のメッセージ!『留魂録』





〔参考情報〕

日本の歴史をわかりやすく解説
『安政の大獄とは?』
『吉田松陰とは?』



松陰神社
(東京都世田谷区)





安政6年(1859)10月26日
前原一誠が小田村伊之助に『伏見要駕策』を
漏らしたために、寅次郎は江戸の伝馬町牢に
入れられていた。
入江や野村も、岩倉獄に入れられていた。

高杉は江戸の牢に入れられている寅次郎に、
硯を届けた。
これで、友たちへの「最期の言葉」を、寅次郎が書く。
それが『留魂録(りゅうこんろく)』という文書だった。
寅次郎の、最期の言葉だ。


7月9日

梅田雲浜(うんぴん)と密会した目的、理由、
及び、京の御所にて、ご公儀を批判する落とし文が
あったことについて、寅次郎を取り調べる。

この時に、寅次郎は「死罪に当たる罪を犯している
ことを告白した。
それが、ご公儀には引っかかったが、それは寅次郎
が井伊大老をおびき寄せる作戦だった。

引っかかったご公儀は、その罪について知りたがった。
そこで寅次郎は


寅次郎;
「ご老中、間部(まなべ)様を京にて待ち伏せ、
死を覚悟して、おいさめしようとした事でございます」

ご公儀;(びっくりして騒ぎ出す)
「なんと! 間部様を!?
待ち伏せて・・・おいさめ?」

寅次郎;
「いかにも。」

ご公儀;
「おいさめし、ご老中が聞く耳を持たなかったら、
どうするつもりであったのだ!?
刃(やいば)を向けるつもりであったのか!」

寅次郎;
「ふっ。
そこまでは考えておりませなんだ。」





その話を家臣から聞いた井伊は、
寅次郎をさらに厳しく取り調べることを命じる。



10月5日

寅次郎への取り調べが再び行われた。
奥の部屋に姿を隠した井伊がいた。


ご公儀;
「重ねて尋ねる。
その方、ご老中・間部様と刺し違えようとした
のではないか!」

寅次郎;
「刺し違えるなど申した覚えはございませぬ!
おいさめしようとしただけでございます!」

ご公儀;
「ご老中をおいさめしようなどと、そもそも、
ご公儀に対して不敬とは思わぬか!」

寅次郎;
「なれば、天子様のお許しも得ず、メリケンとの
条約を結んだ井伊様こそ、不敬の至りでござる!」

ご公儀;(激怒して)
「貴様、何を申すか!」
「無礼であろう!」

井伊;
「控えよ!」

ご公儀;(静まり)
「申してみよ」

寅次郎;
「徳川家が200年以上の長きにわたり、
この日本国を太平に保たれてきたは、
公方(くぼう)様が徳をもって治められてきた
からに相違なく。
しかし今、幕府は、この国の未来を憂えて
立ち上がった者たちを、次々に捕らえ、
拷問し処刑している。
徳ではなく、力で政を押しつけんとする
井伊大老に、この国の未来を託す事が
できましょうや!」

ご公儀(石谷);
「それ以上申せば、ただでは済まさんぞ!」

寅次郎;
「己の命など!」

寅次郎;
「若き日、私は日本国中、あらゆる土地を
歩き回りました。
どの地にも人がいて、暮らしがあり、皆、
己の幸せを信じて、懸命に生きていた。
その営みを脅かすものがあるならば、
異国であろうとご公儀であろうと、
私は戦いを挑む覚悟にございます!」

井伊;
「吉田寅次郎。」

(井伊が寅次郎の前まで出てきて、姿を見せる)

井伊;
「ならば言おう。
国を混乱に陥れているのは、お前たちの方では
ないか。」

寅次郎;
「我らはただ、我らの思う一歩を踏み出し、
国を救いたいと思うておるのみ。」

井伊;
「その一歩とは、攘夷か?」

寅次郎;
「異国の大筒に脅され国を開いては、
いずれ日本国は、異国の思うがままに
されてしまいます。」

井伊;
「なればこそ、国は強くならねばならん。
異国に国を開き、異国の手を借りてでも。」

寅次郎;
「草莽(そうもう)の声に耳をお傾け下され!」

井伊;
「秩序を欠いては、国は国でなくなる。」

寅次郎;
「もはや、この国は、ただ一握りの者たちでは
持ちこたえられませぬ!
万人が力を尽くし、守らねば。
徳をなくした政の果ては亡国にございます。」

井伊;
「許さぬ。」

寅次郎;(不敵に微笑み)
「もとより。
命など惜しんではおりませぬ。」

ご公儀;
「引っ立てい!」

獄吏たち;
「はっ。」

獄吏たち;
「立て。
こっちだ。」

(寅次郎は井伊をずっと睨んで、
引っ立てられていった。
井伊の表情には屈辱感がにじみ出ていた)



10月27日

寅次郎は、万が一のために、『留魂録』を2部作成した。
そのうちの一部は、同じ獄の囚人・沼崎吉五郎に

「長州の者に渡してほしい」

と頼んだ。



(一方、萩の村塾で)

前原;
「時々、考えておったんです。
17の時、馬から落ちておらんかったら、
私はどのような道を歩んでおったんじゃろうかと。
じゃが、今日、分かった。
つまずきも苦しみも、皆、己じゃ。
じゃからこそ、先生と巡り会い、こうして、
皆とも出会えた。
ただ言葉を交わし、顔を見合わせるだけの事が、
これほど力になるとは。」

文;
「前原さん・・・。」

前原;
「できれば、これからも皆さんと共に。」



10月27日

寅次郎、江戸で処刑される。
しかし、井伊大老の前で、思う存分に語った
寅次郎には、もう何の悔いも迷いもなかった。



寅次郎;
「今私は、死を前にして、心安らかです。
今更、誰を恨もうという気もありません。

それは、命について、こう悟ったからです。
春には種をまき、夏に苗を植え、秋に実り、
冬には蓄える。

人にも、同じように四季があります。

人の命とは、歳月の長さではない。
10歳で死んでいく者は10歳の中に。

20歳で死んでいく者は、20歳の中に。

それぞれ春夏秋冬があり、実を結んでいる。

私は30歳ですが、収穫の時を迎えたと
思っております。

もし、同志の中で、私の心を継いでくれる人が
いたら、私の実は空ではない。
どうか、一粒の籾(もみ)として、次の春の種
となれますよう。」


「井伊直弼(いい なおすけ)による安政の大獄は、
吉田寅次郎の処刑をもって、幕が引かれる事と
なった。(終)」


「松陰の最期は堂々たる態度で、幕府の役人も
感嘆したといいます。
死ぬ直前まで、家族や友人、そして国を案じて
いた松陰。
その志は多くの志士たちに受け継がれ、
維新の原動力となるのです。」




家族に残した『永訣(えいけつ)の書』には

「親思ふ こころにまさる親ごころ
けふの音づれ
何ときくらん」
(寅次郎の、故郷で自分の帰りを待つ両親を思いやる歌)



新約聖書の、ある話を思い出す物語だった。
http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/philosophy/spirit/chapel/chaplain/2006/04/0417.html

なぜ、こんなことができるのかと思う。

本当に「信じる」だけで、ここまでできるか?
[PR]
by bunbun6610 | 2015-04-27 18:30 | NHK大河ドラマ『花燃ゆ』
<< <統一地方選>手話の訴え、聴覚... 障害者雇用 - 日本年金機構 ... >>