花燃ゆ - 第16話 『最後の食卓』

花燃ゆ - 第16話 『最後の食卓』



NHK大河ドラマ
 『花燃ゆ』

http://www.nhk.or.jp/hanamoyu/






〔参考情報〕

日本の歴史をわかりやすく解説
『安政の大獄とは?』
『吉田松陰とは?』




百合之助;
「標(しるべ)やったんじゃ。」

亀;
「標?」

百合之助;
「文にとって寅次郎は、道を照らす掛けがえのない
明かりじゃった。」

亀;
「塾のお世話も賄いも、文さん、それは楽しそう
じゃったもんねぇ。」

百合之助;
「今、文は何より、己のよりどころを見失うとるん
かもしれんな。」





標。
道を照らす、掛けがえのない明かり。
それが、光のことではないだろうか。
証しではないだろうか。

文が寅兄に


「ならば、証しを見せてつかぁさい!」

『花燃ゆ - 第5話 『志の果て』』
〔2015-02-08 10:25〕


と叫び、求めていたものではなかったか。
それがいつの間に、すぐそこにあったではないか。

それを思えば、松下村塾は教会にも似ている。

聖書の中にも、似たようなことが記されている。
神の栄光を見たいと、しきりに民が神に求めていた。
それに対し

「私の栄光は、それで十分である」

と、むしろ民に満足させられない部分があった。
そういう、目立たない、目には見えない何か
なのだと思う。
だから寅次郎は

「花が・・・、花の香りがする・・・」

と、しきりに言っていたのではないか。

高須は

「その花は、高いところで咲いているので、
隠れて見えない。
けれども、香りを感じることはできる」

と語っている。

あの物語には、そういう意味があるように思う。
この物語は、極めて聖書的だ。




江戸奉公所から召喚状が来たことを知らされた
寅次郎は、自分の意見をぶつけるチャンスと考え、
進んで受け入れた。


百合之助;
(文に)「お前の叫びごときで揺らぐ兄ではない。
寅次郎はとうに覚悟を決めておる。
この上、お前が背負うことではない。」

文;
「ですが・・・。」

百合之助;
「お前は、兄ではない!
我らは、我らを生きねばならん。
たとえ、寅次郎をなくしたとしても。」







梅太郎;
「できんと言うた兄を恨むか?」

文;
(「いいえ」と、首を横に振る)

梅太郎;
「己を偽り、思うところを語れん寅など、
それはもう寅ではない。」







高須 久子;
「至誠 而 不動 者 未 之有也
二十一回猛士」
(至誠にして動かざるは、いまだ、これ、あらざるなり
孟子)

至誠を尽くせば、人は必ず動く。
変わることができる。

あのお方(寅次郎)は、何も揺らいでいないのです。
獄にあっても、家にあっても、あの人の魂は、何も。」

文;
「そのために、身を滅ぼす事になっても?」

高須;
「誰も、あの方を滅ぼす事なんて、できませんよ。
己の志を、江戸のほかならぬ、ご公儀の面前で、
思いの丈、述べることができるのです。
あのお方にとって、それ以上の幸せがありますか?」

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by bunbun6610 | 2015-04-20 18:30 | NHK大河ドラマ『花燃ゆ』

ある聴覚障害者から見た世界


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