補聴器と声を使うのをやめて



「補聴器と声を使うのをやめる」

ということは、ろう者にはできるように
思えるだろう。

しかし、難聴者や中途失聴者には、
初めはなかなか難しいものだ。

音声言語世界に数十年、どっぷりと浸かって
きてしまっているのだから、完全に慣れて
しまっている。
だから意志は

「もういやだ、こんな世界は。
こんなことになるのならば、もう声も捨ててしまいたい」

と思っても、身体が言うことをきかないのだ。

特に会社では絶対に無理だ。
履歴書に普通学校に行った経歴を見られたら、
しゃべれるのが当たり前だから

「しゃべるのをやめました」

なんて言えるわけがない。
だから補聴器と声を使い、それでもわからない
場合は「わかったフリ」まで使い出す。
悲しいことだが、それしかないのだ。

そういう最悪の連鎖、複合障害が次々と
顕れてしまう。
勿論、相手の健聴者には、それがわからない。
だから、会社では必ず、その悲劇が繰り返される。

そして、なかにはうつ病になってしまったり、
職場放棄をしてしまう聴覚障害者もいたりする。

我慢のし過ぎで、健康状態を悪くしてしまう人もいる。

いずれにしても、これでは会社もそうした人を
放置できなくなる。
その結果、雇止めに踏み切ることもある。
そんな悪事例がよくあるが。

補聴器も声も使わないで暮らしていると、
実は自分自身では、何も不便に感じない。
いや、正確には、それはろう者に限った話なので
あるが。

あるろう者は

「耳が聞こえないことは不便であっても、
不幸ではありません」

と言った。
それは確かに、彼らの実感なのであろう。

しかし、難聴者や中途失聴者までが、
果たしてそう思っている人はどれだけいる
だろうか。

これは当然、本人の「障害の受容」と深く関係する
のであるが、個人差が大きいようだ。
そのことを十分に頭に入れた上で、今回の記事を
読んでいただきたい。
これは私自身の体験談で、極めて個人的なケース
である。

私は小用で役所とかハローワークなどへ行く時まで、
いちいち手話通訳者を頼む余裕はない。
それで、手話がわからない健聴者とは当然、
筆談コミュニケーションなのであるが、
それで困ったことは全然ない。
もし困るような時があれば、それは必ず、
相手の健聴者に人格的欠陥が見出せるからで
あって、起きたトラブルの責任が私にあるのではない。
もし、こんな相手と出くわしてしまったら

「自分の障害の受容」

なんて、何の意味もないだろう。
それはそうだ。
相手が悪いのだから。

私だって、昔はこんな強烈なことを言う人間では
なかった。
だが、差別に遭う度に、私も人格が変わっていった。

健聴者に妥協して、補聴器と声を使い出すと、
事態は最悪になるのが常だった。(※)



(※)
『聴覚障害者に通訳を用意しなかった
警察署の理由とは?』
〔2012-03-21 19:00〕



だから私は、もう遠慮なく、こう言わせてもらおう。

「障害が悪いのではない。
あなたの人格的欠陥が原因だから、
こういう差別が起きるのです!」

皆の前で、初めて声を使って、
こう言って見せよう。
これが本音なのだ。

相手も周囲の人もびっくりして、
大恥をかくに違いない。


「言葉は、時には人を傷つける剣にもなる」

と言った人がいるが、それを最も行っている
のは、実は健聴者のほうではないのか?


変わるべきなのは、健聴者のほうだ。
しかし、それでも変わらぬ者は同じだろう。
ならば、もういい。

「腐って堕ちろ!」

だ。
こっちだって

「目には目。歯には歯」

「差別には逆差別」

「ヘイトには逆ヘイト」

で対抗してやろう。

ろう学校が聴覚障害児に発声訓練なんか
やったって、結局こうなるのだったら、
何の意味もないぞ。
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by bunbun6610 | 2015-04-15 18:30 | 聴覚障害
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