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蒼穹 -そうきゅう-

手話 - ろう者と難聴者の違い



『聴覚障害者理解とは?
 - ろう者と難聴者の違い』


『Deafとdeafの違い』



聴覚障害者の料理教室に行ったことがある。

ろう者が集まる料理教室と、
難聴者が集まる料理教室の両方に行った
ことがある。
それを比べて、幾つかの違いが見られた。

同じ「聴覚障害者」と呼ばれていても、
かなり違うのだ。
だから、よく社会で、例えば手話講習会とかで
「聴覚障害者理解」という題目のセミナーなどを
やっているのを見かけるが、ろう者と難聴者を
混同して説明してしまうと、後でまずいことに
なりそうに思った。


以下は、私がそれらの料理教室で思ったこと。

ろう者の料理教室に行った時は、当然ながら、
言語に手話も入っていた。
健聴者もいたので、二カ国語のバイリンガル
みたいな環境だ。

講師は外部へ依頼して来ていただいた専門者で、
健聴者だった。
講師は手話ができない方だったので、
手話通訳者が通訳をした。
作り方の説明やアドバイスは、手話通訳を通して、
ろう者は理解していた。

健聴者生徒も音声は使わない。
ただし、必要に応じては、音声付きで日本語対応
手話も使う。
例えば、手話が分からない講師もいる場合に
限ってはとか。
なぜなら、ろう者がいるのだから、
基本的には、ろう者になるべく通じやすい手話を
使うのが当たり前だ。
したがって、通訳の場合はできるだけ、
ろう者世界で使われる日本手話だ。

そんなふうなので、自然とろう者と健聴者との溝が
消えていく。
可能な範囲で、音声無しの“日本手話”という言語
で統一されていくのだ。

講師の作り方説明が終わると、ろう者も健聴者も
一緒になって、手話で話し合い、それぞれの役割
分担を決めて、てきぱきと料理を始める。

作業が始まると、利き腕、そして時には、
両手が使えなくなる場合だってあった。
それでもろう者は、手話を止めることはなかった。
左手での片手手話に切り換えたり、身振りや、
目つき、顔を動かすだけでコミュニケーションを
してしまう。

「あれはすごいな」

と思った。

あれが、彼らの手話なんだ。
健聴者には、とても真似ができない。

どんな時でも、ろう者には手話が必要、いや、
手話がある。

「手話を使うと、料理がしづらいのではないか」

と思っていたが、そんなことは全くない。
楽しそうに、しかしテキパキと動いて、
周りの人とコミュニケーションを取りながら
料理をしていたのだから、驚いた。

ろう者だけのキッチン・スタッフで、
飲食店をやることだって、決して難しくはないだろう。


ある時には、健聴者経営者とかで

「ろう者が手話を使い出すと、仕事が進まなくなるから」

という心配の声を漏らしていたのを、
聞いたことがある。

そうなることもあるだろうし、そんなことはない
かもしれない。
どうなるかは、結局は、手話のせいではなくて、
労働者の意識・意欲次第なのではないだろうか。

それに、音声コミュニケーションよりも、
ろう者の使う日本手話の方が、情報伝達が速い
場合だって、よくあるのだ。


『聴覚障害者に向いている職業 (案2)ピザ職人』
〔2015-03-30 19:00〕




日本語対応手話しか知らない人だと、
それも知らないでものを言う人がいたりする。


難聴者の料理教室に行ったこともある。
難聴者も手話を使っていた。
講師の説明は音声説明で、それに手話通訳や
文字情報(要約筆記的な情報保障)、
パソコンでパワーポイント(スライド資料)も
使用していた。

最初は、難聴者も手話で、周囲の人と
コミュニケーションをしていた。

ところが、料理が始まると、手話が消えてしまった。
皆、声でコミュニケーションをしながら、
料理を始めた。
それで聞こえない私だけ、何をすればいいのか、
わからなくなってしまった。
皆に先を越されているみたいで、つまらなく
なってしまった。
これでは、手話を知らない健聴者の集まりと
変わりないではないか。
一体、何のために手話を覚えたのだろうか?

理由は明らかだ。
これが日本語対応手話の欠点だからだ。
両手が使えない状況になると、日本語対応手話
は使えなくなってしまうのだ。
その時、日本手話者のようなN.M.Sをほとんど
使わない彼らは、音声言語に逆戻りしてしまう
のだろう。



N.M.S・・・ノン・マニュアル・シグナルズ


『誰でもできる 難聴者、中途失聴者との
コミュニケーション方法』
〔2014-03-27 19:00〕




『カラス、身ぶりで「会話」する?』
〔2011-11-30 20:00〕




『2020年東京オリンピックに
 - 注目! 日本手話を学ぶメリット!!』
〔2014-11-17 18:30〕





だから彼らはよく、こう言う。

「手話って大変で、不便だな」

しかし、だからこそ、逆に考えてみると、日本手話
のほうが優れた点を持っている、ということにもなる。


そして、なるほど・・・。
ろう者が難聴者を嫌うのは、これが理由なのだな。
ろう者は取り残されてしまう。
自分は、残っていることをやるだけだった。

調理道具を洗う時には、コミュニケーションが通じず、
私が怒ったこともあった。

熱くなっている調理道具を、洗い場に持っていった。
洗い場に行くと、難聴者がいた。

私が手話で

「ちょっとちょっと!
これは大変熱いですから、そこをすぐどいて!」

の意味の手話を表した。
ところが、その難聴者には全然通じないようだ。
まさか、手話を知らない?!
そうだったのかもしれない。

とにかく、難聴者の手話レベルは、人によりかなり違う。
上手な人もいるが、ほとんどは声付きの
日本語対応手話を使う。
基本的に声に頼るので、その手話は時々、
表現が曖昧になったりする。

音声世界だけで生きてきた難聴者には、
こんな状況も理解できなかった。

待っている間に、私の手まで熱くなってきたので、
もう我慢できなくなった。
仕方なく強引に割り込み、熱いものを洗い場に
置かせてもらった。
コミュニケーションが通じないと、ヒヤヒヤするものだ。

それだけではない。
こんな人たちと一緒にいると、何をやっていても、
ストレスも溜まるものだ。
手話教室だってそうだ。
だからろう者は、難聴者には手話を教えたがら
ないのだろう。

なぜこうなのかというと、難聴者にとっても、
やはりその手話でさえも、
難聴者の言語として合わないからだろう。
実際、日本手話と日本語対応手話は
「水と油」に等しいものだ。

ただ難聴者が集まっても、仲良くできるわけではない。
障害の受容、育ってきた環境なども、
そしてコミュニケーション方法や、その力も、
個人差が非常にあるものだ。
悩みも、それぞれに違う。
多種多様な人たちがバラバラに、
混沌とした状態でいるだけなのだ。

そのあたりが、ろう者とは全然違う。

そんな難聴者が集まって、一緒に話をする
だけでも、ずいぶんと大変なのだ。
だから、まずは「手話ごっこ」をして、
難聴者同士のつながりが自然に生まれるのを
期待するしかない。
とにかく何でもいいから、新しいことを
一緒に学ぶと、誰もが同じスタートライン
から始まるので、いろんな差を気にしなく
なるものだ。
年齢や経験、考え方の違いも、そうやって
乗り越えられる。
それで、難聴者向けの手話教室や講習会が、
あったりするのだろう。(※)


(※)
『難聴者対象手話講習会の意義』
〔2013-01-22 19:48〕




『日本人健聴者が手話を覚えられない理由』
〔2014-07-14 18:30〕





ろう者は違う。
ろう学校や、ろう者社会によって昔から
すでに築かれていたろう文化によって、
関係性を持っている。
だから、会話だってよく

「あなたはろう者?」

「どこのろう学校を卒業した?」

から始まる。
それだけで同じろう者だと分かれば、
すぐに親しくなってしまう。



『ろう者のコミュニケーション、文化的財産』
〔2011-09-22 22:47〕




だいぶ話が逸れてしまったので、
難聴者の料理教室の話に戻す。

難聴者は手話も使う人がいるといっても、
母語が日本語であることには変わりない。
手が使えなくなる状況になると、
すぐ音声コミュニケーションに戻ってしまう。
手話が絶対に必要なわけではないのだ。

難聴者が手話を学ぶ目的は、
ろう者とコミュニケーションをするためでは
なく、仲間探し(仲間作り))、
自分たちの世界を構築するための、
一つのバリアフリー手段に過ぎないのだと思う。




〔関連記事〕

『日本人健聴者が手話を覚えられない理由』
〔2014-07-14 18:30〕

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by bunbun6610 | 2015-04-27 18:30 | 聴覚障害