我という唯一性と、交換可能な障害者雇用の相反性


2013年8月に、私のいる特約店部が、
新宿店から板橋店へ引っ越した時のことだ。

「新宿店は壊して、建て替えるので」

という理由での引越しだった。
この時はまだ、特約店部の縮小はなかった。
だが、法人部と分かれて、建物も小さくなったので、
清掃員はいなくなった。

それで、部署の人で毎朝、清掃をすることになった。
その為の清掃用具を、E上司が購入した。
E上司の指示で、最初は全員でグループ交替制で
やっていた。
しかし一週間も過ぎると、だんだんとやらない(サボる)
人が出てきて、次第に抜けていった。
そして、手抜きの清掃を少しやるだけの人もしばらくは
いたが、我慢できなくなったのか、
とうとう誰もやらなくなっていった。

発起人のE上司はやらなかったのだが、
そのことについて文句を言える人など誰もいない。
だが、ルールは知らんぷりになっていった。

部屋はすぐに、どんどん汚れていったが、
それでも誰も掃除をする人はいなかった。
障害者にもいなかった。

営業マンは商品を売ってなんぼ・・・の仕事だから、
掃除なんかやってもしようがない。
売上アップさせて、清掃員を雇うことは夢のまた夢
の話で、自分の首の皮一枚をつなぎ止めるのが
精一杯だった。


そこで、その清掃は私が一人でやることにした。
勿論、営業サポートの仕事を優先しながら、
手の空いた時に清掃した。
そのかいがあって、部屋はとてもきれいな状態を
保っていた。
しかし、それ以来ずっと、私以外に清掃をやる人
はいなかった。


昔、私は、あるレストランでバイトをしていた時、
自分よりずっと年上で、ベテランのおばさんに、
こう言われたことがある。

「あなたがいると、誰もこういう仕事をしなく
なっちゃうのよ」

皮肉なことだ。

真面目にコツコツとやる人間がいると、
他の人はサボり出すのだ。

それで

「そういうことは、どこの職場でもあることなのだろう」

と思った。

皆が真面目にやりたいわけではない。
では、真面目にやりたくない人は、一体何の役に
立っているのだろうか。
それはその会社の中で、ではないかもしれない。

例えば、給料を貰っても、金遣いが荒い男がいたとする。
それは会社や家には貢献しない男だが

「社会にお金をたくさん落としていってくれる男」

という見方はできる。
掃除をしない人たちも、様々だろう。
やっぱり、この世に要らない人間など、
いないのではないか。


ところで、最後に、その掃除や、掃除をする人は
どうなったかも、読者は知りたいだろう。

私は、3月15日で、この会社を去る。
おそらく、その後は誰も掃除をする人はいなくなる
ことだろう。

でも逆に考えてみれば、それは一人ひとりが、
そういうかけがえのない存在だということなのだ。

会社は、そんな障害者でも助成金目当ての
使い捨てにするだけだったが。
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by bunbun6610 | 2015-03-05 18:30 | E.大手カー・ディーラー
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ある聴覚障害者から見た世界


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