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三國清三 - オテル・ドゥ・ミクニ〔東京・四谷〕オーナー・シェフ

 
『三國清三 - Wikipedia』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E6%B8%85%E4%B8%89


エピソード[編集]

「三國君は私が総料理長だった当時、札幌グランドホテル
から帝国ホテルに志願してやってきた。
正社員の枠がなく、パートタイマーで採用したが、やる気が
あって、よく気がつく男だった。
何にでも一生懸命で、良い意味での「欲」があった。

 駐スイス大使への赴任が決まっていた小木曽さんが

「専属コックにいい人はいないか」

と打診してきたとき、頭に浮かんだ何人かの候補者の中から、
私は三國君を選んだ。

当時、三國君はまだ20歳の若者、しかも帝国ホテルでは
鍋や皿を洗う見習いだったため、料理を作ったことが
なかった。

では、なぜ私は三國君を推薦したのか。
彼は、鍋洗い一つとっても要領とセンスが良かった。
戦場のような厨房で次々に雑用をこなしながら、下ごしらえ
をやり、盛りつけを手伝い、味を盗む

ちょっとした雑用でも、シェフの仕事の段取りを見極め、
いいタイミングでサポートする。
それと、私が認めたのは、塩のふり方だった。

厨房では俗に「塩ふり3年」と言うが、彼は素材に合わせて、
じつに巧みに塩をふっていた。
実際に料理を作らせてみなくても、それで腕前のほどが
分かるのだ。

(村上信夫著「帝国ホテル厨房物語」(日経ビジネス人文庫)
より、またこのエピソードは三國自らが出演した
『この日本人がスゴイらしい。』 (テレビ東京)
でも取り上げられている)


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>「味を盗む

とある。
ここに注目しよう。
それは、どうやって?


例えば、私は以前の記事


『インデアンカレー 丸の内店』
〔2015-01-12 18:30〕



で、カレーの薬味の秘密についての話をした。
これは『包丁人 味平』の話からなのであるが、


『『包丁人 味平』(原作:牛次郎、漫画:ビッグ錠)』
〔2015-04-01 18:30〕


こういうことに気づく力が、“味を盗む”ためには
必要だと言える。


「なぜなのか」

「なぜそうなるのか」

自分で考えなくてはならない。
化学的知識も必要だ。

それには己で己を鍛え、勉強し、育てるしかない。
職人世界では、誰もそれを教えてくれないのが
当たり前だ。


以前に健常者から

「あなたは聴覚障害者なのに、
どうしてそこまでの技術を身につけることが
できたのか?」

と言われたことがある。
その答えが、これなのである。

だから繰り返し言うが、自分で考えなくては
ならないのだ。
その力を身につけることが、すなわち修業
なのである。

それは障害者も健常者も関係ない。


料理人の世界に限らず、何でもそうだろう。
サラリーマンの仕事でも料理人でも、
プロ・サッカーでもそうだろう。
教えてくれることだけで満足してしまう者は、
そこまでの者なのだ。

上司、先輩が教えてくれることもあるが、
それは最低限の仕事なのだということを、
覚えておくべきだろう。
教えた先輩は、実は教えたこと以上のことを
知っていて、持っているのだ。
自分の持っている全部までは教えないのが、
当たり前なのだ。

このことは『包丁人 味平』でも述べている通りだ。


『『包丁人 味平』(原作:牛次郎、漫画:ビッグ錠)』
〔2015-04-01 18:30〕




もう一つ、話を加えよう。
帝国ホテル出身の職人と一緒に、
働いたことがある。
帝国ホテルの厨房内では、先輩の後輩への
接し方(上下関係)が厳しく、
いじめもあった、という。

しかしそんな職場環境でも、彼はオムレツの
焼き方を覚えた。

「どうやって覚えたのですか?」

と聞くと

「先輩がやっているところを、
目で見て盗んだ」

という。
教えてもらったのではなかった。

(料理を覚えようと思って)先輩の仕事を
見ていると

「何見ているんだ。
さっさと自分の仕事をやれ!」

と怒声が飛んできた、という。
だから彼は、気づかれないようにして、
見て盗んだ、という。
そしてオムレツ用のフライパンを買って、
自分の家で何度も練習した、という。

こういう方法はパティシエでも、
よくやる人がいる。
フランス修行中に飴細工などの技術を覚え、
コンクールに入賞した職人なんかは有名だ。
フランスのアパートでは、トイレが大理石でできていて、
そこで飴細工の練習をしていたらしい。





昔、テレビで天才料理人と騒がれるようになった
頃の三國清三(みくに きよみ)氏を、
テレビで観たことがある。

三國氏が手がけた料理、それは

「洗い場に下げられてきた皿の上には、
食べ残しが全くなかった」

という。

それは

「食べた人の誰もが満足している」

という証拠として、テレビ局側も注目して映像化し、
視聴者に紹介した、ということだ。


皿の上に何も残らない、ということは、
そこのレストランで働くスタッフも名誉なことには
違いない。

ただ、それは下っ端で働く者にとっては、
洗い場ばかりさせられて、三國氏の作る料理の
味を盗むチャンスがない、ということにもなる。

極端に言えば、これでは苦労してこの店に入店
した意味がなくなる。

皿の上に残された料理を、ソース一滴だけでも、
自分の舌でなめて覚えることこそが、
唯一のチャンスだからである。

確かに、客がそうやすやすと残すような料理
だったなら、そんな味を盗めても意味はない
だろうが・・・。

しかし、調理スタッフは皆、本当は三國氏の味を
盗みたくて、このレストランに入店したはずなのだ。
それなのに、師の味を一向に盗めない、
ということには、随分と歯軋りがしたのではない
だろうか。

『グルマン』を著した山本益博氏も絶賛したほどの
三國氏だが、彼は単なる天才ではなかったらしい。


北海道・増毛町の貧しい半農半漁の家に生まれ、
義務教育しか受けていなかったそうだ。
最初から調理師専門学校へ行ったわけでもない。

修業時代の有名な話がある。
彼でさえ、帝国ホテルで3年間、洗い場の仕事
しかさせてもらえなかったそうだ。
しかし、彼はその段階から、すでに非凡な才能を
発揮していたらしい。
彼が洗った物は全て、まるで魔法にかかったかの
ようにピカピカになり、見た者は誰もが驚いたそうだ。
そしてそれは、その後にも、色々な人に語り継がれ
るようになったらしい。

その後に彼は、いきなり外国の大使館料理人に
推薦されて、欧州での本格的な料理修業が始まる。

昨年ノーベル賞を授賞した日本人にも、
米国で頑張った中村修二氏がいるが、それと似て
いるといえば似ている。
外国のほうが誰にでもチャンスが与えられるのかも
しれない。(※1)
それだけに、日本とは違う意味での厳しさがあるそうだが。


(※1)
『ノーベル賞、勝因は「怒り」=日本企業に苦言も―中村さん』
〔2014-10-08 19:07〕




そして、ミシュランガイドの三ツ星を獲得した
フレディ・ジラルデに師事する。

そして帰国すると、表舞台で華々しい活躍を見せるように
なった。

詳細はウィキペディア「三國清三」を参照。


この三國氏のことを調べると、誰もがきっと、
何か感じることがあるはずだ。

障害者も健常者も関係ない。

帝国ホテル元総料理長・村上信夫氏(※2)も、
彼の努力を見ていた、その一人だったそうである。


(※2)
フード・ラボ(柴田書店)
『若いうちに外に出なければいけない』
(村上信夫氏(東京・元帝国ホテル料理顧問))



そして、ジラルデにも出会えるチャンスも、
彼の努力が手繰り寄せたものといえるだろう。

料理人、パティシェを目指す聴覚障害者も、
この話を覚えておいて、損はない。


(2021年1月26日追記記事)



by bunbun6610 | 2015-04-05 18:30 | 聴覚障害者に向いている仕事を考えてみる

ある障害者から見た世界


by bunbun6610