燃える闘魂 - アントニオ猪木

異種格闘技世界一決定戦
『アントニオ猪木対モハメド・アリ』



読売新聞
新おとな総研
『初対面で嫌な顔をした猪木さん…藤原喜明<1>』
〔2015年01月05日 08時30分〕
http://www.yomiuri.co.jp/otona/special/prowres/20141230-OYT8T50057.html




猪木対モハメド・アリ戦――。

当時は「世紀の大凡戦」と酷評されたが・・・。
この後に猪木は、異種格闘技戦にも
使える延髄斬り(※1)を実戦投入した。

(本当はアリ戦で使うために開発された
らしいが、使われるようになったのは、
アリ戦後の異種格闘技戦からだったようだ。)


(※1)
アントニオ猪木が開発した必殺技の一つ。
“日本人レスラーとして唯一、猪木と馬場から
フォールを奪った”天龍源一郎も使うようになった。
詳細は『延髄斬り - Wikipedia』参照。




大型レスラーでも一撃で倒し、そのままフォール
勝ちしてしまうこともあった必殺技だった。

アントニオ猪木という名を聞くと、
まず一番に考えるのが、故ジャイアント馬場と並ぶ、
故力道山の直弟子だということだろう。
これも、子どもの頃にマンガの『プロレス列伝』
とかで読んだ話なのだが、力道山は馬場と猪木を、
徹底的な差別教育で育てたらしい。

恵まれた体格、そしてレスラーとして天才型と
認めていた馬場には、プロレス界のスター街道
を早くから歩ませていったらしい。

しかし反対に、猪木には付き人を長い間
させていた。

その時の話が、マンガ読者から見ても、
非常に極端だった。

猪木に何度も

「もう嫌だ。
こんな道場はやめてやる」

と思わせる屈辱を味わわせていたらしい。

詳しい話はあまり覚えていないが、
猪木のしたことに何か少しでも気に食わない
ことがあれば、客人の前でも、
力道山は靴べらで猪木の脳天を思いっきり
叩いて

「ばっかもーーーん!!」

と怒声を浴びせていた、という。

しかし、師匠からのそんな屈辱的なイジメ
にも耐えて修業を続けた猪木に、
力道山はとうとう本音を吐いた、という。

力道山が馬場と猪木に徹底した差別教育を
したのは、力道山は馬場を天才型と認めて
いたが、体格もレスラーとしてそれほど
恵まれていない猪木寛至(猪木の本名)
には、努力型レスラーとしての道しかない、
と考えて、とにかく精神を鍛えるための
差別教育をしたらしい。

どんな苦しみにも耐える精神を養った、
という師匠なりの考えだったのだろうか。
そして、レスラーとしての力がついたと
認めた時、力道山は「アントニオ猪木」
というリングネームを命名したらしい。(※2)
「アントニオ」は、力道山も知る、
ある有名な人の名前だそうだ。


(※2)
ウィキペディアでは

「アントニオ猪木」というリングネームは、
先輩レスラー豊登による命名である。
当時の名レスラー、アントニオ・ロッカにあやかって
名付けられたという説が一般的である[9]が、
単に「ブラジル帰りの日系ブラジル人」であることを
強調するため洋風な名前にされたという説もある
[要出典][10]。」

となっているが、マンガでは力道山が命名した
と描かれていた。



この話を知った時、私はまだ子どもだったので、
あまり深く考えることはなかった。

しかし、専門学校を卒業して社会に出てからは、
私だけ就職できないという苦しみを味わった。
アルバイトなどなら、どうにかごまかしてできたが、
どこへ行っても洗い場ばかりをさせられる日々
が続いた。

やっと調理の仕事に入れても、聞き取れなくて
何をすればいいか、理解できない、という有様
だった。

私が入ったために、調理場には異常な怒声が
毎日飛ぶようになった。

「こんなに迷惑をかけてまで、
自分は働いていてもよいものだろうか?」

とさえ、思い続けた。

そんな苦しみ、そして悔しさを味わう毎日だったが、
猪木の闘う姿をテレビで観ると

「もっと頑張ってみよう」

という思いが沸いた。
だから、猪木の存在は私にとって、
大きな原動力の一つだった。
どんな障害者も、この猪木から精神的影響を受け、
学べることは、きっとあるはずだと思う。




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http://www.yomiuri.co.jp/otona/special/prowres/20141230-OYT8T50057.html


読売新聞
新おとな総研
『初対面で嫌な顔をした猪木さん…藤原喜明<1>』
〔2015年01月05日 08時30分〕


アリ戦は本当の「真剣勝負」だった

なに、そのリアル・ファイトって。
てめえ、なめとんのか。
ぶっとばすぞ。

 <組長・藤原喜明にご登場いただいた。
一連のアントニオ猪木の異種格闘技戦で、
藤原が最も印象に残っているという当時の
ボクシング世界ヘビー級チャンピオン、
モハメド・アリ戦について聞いていたときだ。
記者が不用意にもらした

「今年DVD化され、『これこそリアル・ファイトだ』
と再評価されている」

との発言に、藤原は激高した>


 おれらは、ルールに基づいて、試合をやってるんだよ。
一生懸命。
リアル・ファイトだなんて、ふざけるんじゃねえ。
ルールに基づいてやってるんだよ。
いいか、

「プロレスはショーだ」

と言ってばかにするやつがいるだろう。
だけど、プロスポーツはみんなショーなんだよ。
お客さんに喜んでもらってお金をもらって、
それで飯を食ってるんだよ。
ルールに基づいて。
そういうことだよ。

 なんかなめてないか。
いまの風潮として、総合格闘技が立派で、
プロレスが下のように言うやつがいるけど、
おれはあちこちの総合格闘技のジムから
コーチにきてくれと言われてるんだよ。
ルールが違うだけなんだよ。

 おれは当時から、いい試合だと思ってるよ。
わかっていないやつが、30年近くもたって
ようやく気がつくんだよ。
要は、お金がかかってるわけですよ。
アリ側に何十億というお金を払っていて、
当時の新日本プロレスという団体はちっちゃい
でしょ。
そのお金を払って、万一アリが「や~めた」と
言って試合をしないで帰っていったら、
猪木さんは破産ですよ。
首つらなきゃいけない。
猪木さんがしょっているもの、アリ側がしょって
いるもの、それぞれあるんだ。

 アリは、ボクシングの現役の世界チャンピオン
だったんだよ。
1試合で何億も、何十億も稼げる選手。
取り巻きなんかが50人ぐらいいる。
拳銃を持っている用心棒や、情報戦で相手を
惑わせてコントロールする心理学者、
そして弁護士とか、いろんな専門家がいっぱい
ついている。
ファミリーだよ。

 万が一、アリが負けたら、そんなやつらが
みんな失業するわけだよ。
おそらく高いギャラをもらっていたはずだよ。
それで負けたら、全部ぱあだよ。
そんな状況で、あなたらが思っている試合が
できると思う。
できるわけないんだよ。
命が懸かってるんだから。

 最近、真剣勝負というけど、それはありえない。
真剣勝負というのは、真剣と真剣で、戦ったら
どちらかが死ぬんだよ。
それがほんとの真剣勝負だよ。
ほかのスポーツで、真剣勝負だといって人が
死ぬかよ。
たまに事故で死ぬ人はいても。

 だけどアリ戦は、ほんとの真剣勝負だったんだよ。
もちろんルールに基づいて試合をしているけど。
どういうことかというと、負けたほうが、どんと銃で
頭を撃ち抜くか、首をくくるかだったんだから。
つまり、自殺しなきゃならない。
しょっているものが違ったわけだよ。
だから、この世の戦いで、真剣勝負というと、
あれしかないんじゃないの。
命懸かってたんだから。


にこっと笑ってもらえるだけで十分

 <プロレス入りに至った経緯、等々力の道場
の話、札幌での長州力襲撃の真相、UWF移籍
など聞きたいことはいっぱいある。
それらの話は2回目以降に譲るとして、ファンなら
だれもが聞きたい藤原から見た「アントニオ猪木」
について語っていただこう>


 新日本に入るまでは、アントニオ猪木という
レスラーに格段の思い入れはありませんでしたよ。
選手名鑑を見て、比較的、体の小さい選手が
多かったので、「ここならチャンスがある」と
思って新日本を選んだぐらいだから。

 横浜のスカイジムの会長をされていた元プロ
レスラーの金子武雄さんがおれを当時、南青山に
あった新日本の事務所に連れていってくれて、
猪木さんに紹介してくれたんですよ。

そのとき、金子さんが猪木さんに

「こいつ、お前の若いころにソックリだ」

と言ったとき、猪木さんが嫌そうな顔をしたのを、
いまでも鮮明に覚えていますよ。
こんなガキが! と思ったんでしょうね。
考えてみれば、当然ですけどね。

結局、新日本時代は15年間、お仕事でずっと
付いていたんだよ。
もちろん、1日や2日の短い付き合いで、その人
の人となりがわかるわけではなく、時間が必要
なんだけど、その15年間では、猪木さんのいい
ところ、悪いところはわからなかったと思うな。

おれが新日本を離れ、そういった関係が終わって、
離れたり、くっついたりしている間に、だんだん

「ああ。こういう人だったんだな」

と、やっと60過ぎてわかるようになってきた。

 月並みな言い方だけど、素晴らしい人だよ。
ほんとはね、争いごとが大嫌いなんだ。
あと、とても正直だし、考えようによっては人嫌い。
優しいし、思いやりがあって、純粋で、だまされ
やすくて、人見知りなんですよ、ほんとは。
でも、仕事だから、にっこり笑うけど、腹の底から
笑うというのは、めったにないかな。

 背中で見せるタイプだよね。
どんなに忙しくても練習はしっかりやっていたし。
「朝4時に起こせ」と言われて、一緒に走ったり。
忙しいときは、夜中に練習したりもしていた。
掛けてもらってうれしかった言葉?
 言葉なんかいらないんじゃないの。

おれとしては、にこっと笑ってもらえるだけで
十分だよ。

 (続く、文中一部敬称略)
(聞き手・構成 メディア局編集部 二居隆司)



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by bunbun6610 | 2015-04-03 18:30 | 聴覚障害者版サムハル


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