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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

「聞こえない」と言えなかった頃の記憶 - 学校で

健聴者には、「聞こえる」か「聞こえない」の
二元論でしか、聴覚障害を識別できないらしい。
難聴の症状はほとんど知らず、無知に等しい。

私はあまりにも長い間、そのことを逆利用して、
やり過ごしすぎてしまっていた。


例えば、今からもう40年ほども昔の、私がまだ
小学生の時だ。

当時の小学校では、生徒数が1クラスで48~
53人ほどもいた。
授業前の出欠確認の時は、先生の声は聞こえ
ないか、聞こえたとしても誰を呼んでいるのか
わからない場合もあった。
だから私は、自分でその場をやり過ごす方法を
考えついた。

簡単に言えば、ごまかしていたのだが、
他人を騙そうという意図はなかったつもりだった。

聴覚障害ということも知らなかった私は、
集団社会の中でどう生きていったらよいのか、
自分なりに知恵を絞ってみたつもりだった。

心理研究でも明らかにされていると思うが、
こういう状況では自分も周囲と“同調”しなければ
ならない、という心理になり、己を曲げてしまう。

耳が不自由なのは私だけであっても、その異なる
人たちばかりの社会に溶け込まざるをえなかった。
いや、それは正確には、自己を埋没させるという
ことだったのだが。


考え出した方法の一つは、自分より5番ぐらい前の
生徒を、よく見ておく事だった。
その状況をジッと観察していて、自分の順番が
近づいてくるタイミングを、私は目で計測していたのだ。
私の目は音声情報を追尾するレーダーになっていた。

5番ぐらい前までの生徒までチェックしておくのは、
理由がある。

例えば、目印となってくれる生徒がいつも自分の近く
の席だとは限らない。
遠すぎたり、後頭部しか見えなくて状況がわかりづらい
場合もある。
私は、子どもが大きな声で返事をする時の、特有の
動きを見逃さないようにしていた。
頭部がわずかに上下するとか、顎や喉が動くとか、
である。
非常に疲れたが、それによく注意していれば、
一人や二人で読み取りに失敗した時でも、
その後にまだチャンスがあった。
レーダーはある程度の余裕があったほうが安心
できたからである。

後は、先生の口や動きに注意して、タイミングを読めば、
簡単にスルーできた。
小学校から高校まで、ずっとこの方法だった。

だから、学校の担任先生すらも、私の難聴をハッキリ
とは見抜けなかったのだろう。

けれども、クラスメイトにはそんなごまかしは完全に
見抜かれていた。
授業はごまかせても、一緒に遊んでいると「おかしい」
と誰もが気づくのだろう。
それにしても今さらながら、子どもの眼力には驚かされる。


私は、決して自慢話をしたくて、この話をしたのではない。
自分の難聴を大人が誰も理解してくれなくて、
仕方なくこうするより他になかった、悲しい事として
告白しているのである。

今さら恨み言なんか言っても仕方がない。
言ってみたところで、健聴者は誰も理解できはしない。

だがそれでも、自分が進んで告白することによって、
社会の問題点をあぶり出し、これからの聴覚障害者対応
に変化をもたらすことができれば、と思う。

この行為は“祈り”に近い。
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by bunbun6610 | 2015-02-03 18:30 | 難聴の記憶