『聾教育の功罪 ~手話VS口話~』

拓道館
『聾教育の功罪 ~手話VS口話~』

http://www12.tok2.com/home2/airtax04/rouk.htm


この資料は、とても参考になる。
これほど詳しく書けている資料は、あまりないと思う。
でもなぜか、この情報はなかなか見つからなかった。

筆者の「たく」さんは、ろう者のようだ。

手話言語法の意義を理解するにも役立つ情報だと思う。




〔参考情報〕


『何故口話、筆談でなく手話なのか?(つぶやき)』
〔2014年08月26日 (火)〕

>「口話、筆談だと思考が止まるこということ」


これは、日本語を母語とする健聴者、
難聴者・中途失聴者等とは逆だ。
あまり手話を使わない人が手話通訳
をずっと見ていたら、思考が止まってしまう。

一方、ろう者は日本手話だと何時間
しゃべっていても、平気だという。
他の人だと、頭も目も腕も疲れてしまう。





【追記】(2015年1月18日)


「たく」さんは

『聾教育の功罪 ~手話VS口話~』

というタイトルにしている。
しかし、私はこのタイトルに疑問を持つ。
果たして、ろう者の立場から

「功罪があった」

と言えるのだろうか。

「功罪」とは、調べてみると

「てがらとあやまち。功績と罪過。」

という意味だ。
功績と言う面では、おそらく健聴者にとっての
聾教育評価にはつながったのかもしれない。

しかし、ろう者にとっては、本当の功績になった
のだろうか。
そこが疑問なのである。

例えば、最近、下の番組があった。

Eテレ ろうを生きる 難聴を生きる
『どう育む?日本語力 (1) ―文の仕組みを知る―』
〔2015年1月11日(日)放送〕





Eテレ ろうを生きる 難聴を生きる
『どう育む?日本語力(2) ―表現力を高める―』
〔2015年1月18日(日) [Eテレ] 午後7時30分~7時45分〕
http://www.nhk.or.jp/heart-net/rounan/backnumber/2015/01/0118.html#contents




昔の口話教育では、口話ができない生徒に、
罰として廊下に立たせ、両手に水を入れたバケツを
持たせたらしい。

あるいは、両手を縛って口話教育を受けさせていた、
という話も聞いたことがある。

いずれも何の役にも立たない、昔の誤った教育法だ。

それでも先生は

「いずれは社会に出て行く、ろう児のため」

だったと言う。
それを聞いたら、私も何も言えなくなってしまった
ものだったが。



〔関連情報〕


『米国社会から見た手話』
〔2014-05-31 18:30〕





ところが、近年では平塚ろう学校でも、
外国人への日本語教育を参考に取り入れ、
ろう児への日本語教育に革命を起こしている。

2008年のろう・難聴教育研究会
(旧トータル・コミュニケーション)主催

『子どもたちの日記から、文法のあやまりがへった!
 ろう学校での日本語指導法 -江副文法を活用して』

という講演会で、それを知った。


『日本語の助詞「に」「で」「を」の使い方』
名詞+助詞+動詞の基本例文
(平塚ろう学校・国語教師の講演会から)

①「家に入る」
②「家の中で~する」
③「家を出る」
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①「電車に乗る」
②「電車で行く」
③「電車を降りる」
a0196876_8474430.jpg


このような指導法は、健聴者や難聴者が、
視覚言語としての日本手話を学習する場合にも、
かなり役立つと思う。

早瀬憲太郎講師もEテレ『みんなの手話』で、
イラストを示して問題を出すコーナーを設けているが、
日本語文章で問題を出すよりも、いい指導法だ。



『2005年スペイン日本語教師研修会講演
『日本語の助詞は二列ということについて』
学校法人江副学園理事長 新宿日本語学校校長
江副隆秀』

という資料に、江副氏は

「「これは本です」の英訳も、「これが本です」の
英訳もどちらもThis is a book.になってしまいます。
そのため、日本人は『が』と『は』の区別は
難しいと考えてしまうのではないかと私は考えています。
むしろ、『が』は情報に付き、『は』は二列目の
助詞になると図式的に教えると、
外国人の学生にとっては、混乱が非常に少なく
なります。
むしろ、これが難しくないのだ、これはやさしいのだ
と日本人に教える方が難しいというのが
私の個人的経験です。」

と説明している。

ろう者のケースでも、昔は、まるで外国人が
片言の日本語でしゃべるように、
意味もよくわかっていないのに、
どうにか日本語を使うようなケースをよく見かけた。

私が知っている事例では


ろう者:「今日は、カジュアルデーの為に財布が
忘れましたので、パスとします」

日本語:「今日は、カジュアルデーの為、
(うっかりと)財布を忘れてしまいましたので、
パスします」 パス=遠慮?(「不参加」の意味)


ろう者:「飲みは新宿がじゃなくて新江古田駅の
近いある、どうか?」

日本語文の例:「飲みに行く場所は、新宿ではなく、
新江古田駅の近くに居酒屋があります。
そこにするのはどうでしょうか?」


ろう者:「本当は参加したかったので、財布を忘れました」

日本語:「本当は参加したかったのですが、
財布を忘れてしまいました」


ろう者:「少しずつに手話を覚えて行くと」

日本語:「少しずつ手話を覚えていくと」



大人になっても、このような文章力にしかならない。

ところが、番組で紹介された指導法へ変えることに
よって、このようなことを大幅に改善できた、という。

ポイントは文章と、視覚情報による「意味の説明」と
関連付けたことだろう。
手話もいいが、手話でなく、絵・イラストや画像
・動画などでもいいのだ。
聴覚障害者に書記日本語を教えるのに、
音声言語による指導法は、必ずしも必要では
なかったかもしれない。



〔参考情報〕

『NHK大河ドラマ『花燃ゆ』 ろう者・杉 敏三郎』
〔2015-01-05 21:09〕
【追記】(2015年1月11日)
副題;『聴覚障害者と本との出会い』



『聴覚障害者が著したホームページ』
〔2012-10-03 18:30〕





同じ日本語でも、音声日本語と書記日本語は違う、
ということも理解しなくてはならないと思う。
混同して使ってしまうと、下のような例も起こりえる
のではないだろうか。


ろうあ者:「あなたも参加していいよ」

日本語「あなたも参加してください」
「あなたも参加してね!」
では? 文章マナーの問題?

音声日本語でならば「あなたも参加していいよ」は、
気軽なだけで、全然失礼ではない場合もあるが、
メールだと相手の受け取り方により、
印象がまずくなってしまう可能性もある。
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by bunbun6610 | 2015-01-14 18:30 | 手話言語法
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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610
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