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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

インターネットと私(聴覚障害者) - 聴覚障害者ピア・カウンセリングの重要性

『インターネットと私(聴覚障害者)』

『中途失聴者・難聴者(聴覚障害者)ピア・カウンセリング
の重要性』




「精神障害者と向き合う」って、
どういうことだろう?

そんなことを考えながら調べていたら、
下のブログが目に入った。


『境界性人格障害と躁鬱を抱える患者個人のノートです』
〔2012年 09月 ( 24 )〕




私は、この方のブログを読んで、気づいた。

聴覚障害を持つ私が、他人のこういう部分に
気づくことが、今まであっただろうか?

そして、それをこうして気づけたのも、
インターネットがある今だからだと、
ようやく気づいた。

インターネットもない昔は、本当に知らなかったのだ。
いや、私の場合、そうしたことは何も知ることが
できなかった。
本なら昔からあったが、やはり本とインターネットで
見るブログなどとは、全然違う。
ブログのほうが、その時その時の、本人なりの、
心の表情が見られるような気がする。

昔は、お互いに顔を合わせて飲みながらとかで、
自分の苦しみとかを話すことしか、
ありえなかっただろう。

それができなかった自分には、
それが非常に羨ましかったものだ。
いっそのこと早く死んで、自分も普通の人間に、
生まれ変わりたかった。

大体、自分の心の中というものは、信頼できる人にしか、
話さないものだ。
信頼し合っていなければ、決してできないことだ。

たとえ、見えない障害を思い切って(音声で)
話されても、聞こえない私には無意味だ。
私は、人を見た目で判断するだけだからだ。
人の性格、人格面も、見える事象、行動とかで見る。
聞いて理解する、ということはない。

健聴者も筆談をしたならば別だが、それさえも、
まず私が見てから始まる行為(コミュニケーション)
なのだ。
だから私は、健聴者とはまるっきり違う人間なのだ。




「目が見えないということは、あなたを物から孤立させます。
耳が聞こえないということは、あなたを人々から孤立させます」
      (イマニュエル・カント〔18世紀ドイツの哲学者〕)



『飲み会に要約筆記通訳は嫌われる?』
〔2012-10-04 18:30〕







信頼関係も築けない聴覚障害者を相手にして、
健聴者が筆談でするはずがなかった。
いや、対象でなかったに違いない。
要約筆記通訳者を派遣されるなんて、
もってのほかだろう。
健聴者は、コミュニケーションも不自由な相手と、
心の対話をするはずがなかった。


しかし、そんな自分もインターネットで、
人の心の奥底を知るようになった。

インターネットの世界が、可能にしたのだ。


そういえば、ガネーシャさんと出会ったのも、
インターネットだった。


『難聴者の先輩 (3)ガネーシャ氏(ハンドルネーム)』
〔2013-03-04 18:30〕



実はそれ以前に、彼とは手話講習会で会っていた
のだが、その時は彼の心の奥底を知ることはなく、
私は彼には無関心だった。
お互いに難聴で、しかも手話もまだできず、
手話講習会では筆談をする時間もなかったので、
本当のふれあいが全くなかった。

しかし、それからずっと後になって、
インターネットで知った彼は、
私に大きな影響を与え、ターニングポイントに
なったほどだった。
彼の真価が、インターネットを通して、
初めてわかった。

これは、極めて重要なことだ。

重要度を第一に考えるなら、難聴者にとっては、
こうしたピア・カウンセリングこそが、
手話の獲得よりも重要だった。



〔関連情報〕


『難聴者対象手話講習会の意義』
〔2013-01-22 19:48〕


この手話講習会が、ちょっとしたピア・カウンセリング
の場になることもある。



また下の事例も、障害者ピア・カウンセリングの意味を
示した、一つの好事例だろう。


〔関連情報〕

『『車椅子で夜明けのコーヒー 障害者の性』 2/2 ピア・カウンセリング』
〔2013-08-26 18:00〕

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by bunbun6610 | 2014-11-13 18:30 | 難聴・中途失聴