『こころの段差にスロープを』(松兼功/著)(10/13)『思わぬ告白と思わぬ抗議』

『こころの段差にスロープを』
(松兼功/著 日本経済新聞社/発行所
1997年10月7日/初版発行)



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『思わぬ告白と思わぬ抗議』
『1.思わぬ告白』
障害がある人でも気軽に楽しめるプレイスポットを紹介する雑誌の
仕事で、編集者のMさんに車イスを押してもらって、伊豆の洋ラン
パークを体験取材した。

ひと通りの取材が終わり、昼食を食べにパーク内のレストランに
入った。
メニューを見ると、何種類かのカレーが目に飛び込んできた。
カレーならスプーンを口元に運んでもらえさえすれば、とりあえず
用は足りる。
食事介助に慣れていない彼にもさほどの負担がかからないと思い、
その中からタイカレーを注文した。

すると、取材に同行していたカメラマンと雑誌のアドバイザーも、
それぞれビーフカレーと和風カレーを頼んだ。
頭をかきながら最後まで迷っていたMさんは、仕方なさそうに

「それじゃ、僕もビーフカレーでいいです・・・」

オーダーした皿がくると、さっそくMさんが私に食べさせはじめた。
でも、私の皿が三分の一ぐらい減っても、自分のカレーには口を
つけようとしなかった。
私の介助に精一杯で、食べる余裕がないのかと

「Mさんも食べてください」

と声をかけても、

「僕はあとから食べますから大丈夫です」

そして、私の皿が半分ぐらいになると、彼は咳き込みはじめ、
テーブルの上の紙ナプキンで額の冷や汗を拭き出した。

その場にいたほかの三人が口々に

「どうかしたんですか? 大丈夫ですか?」

と心配気に尋ねると、彼は苦笑いしながら

「実は僕、肉の形が丸々わかる料理を見ると、元の牛や豚や
鳥が殺されている場面を連想してすぐに気持ち悪くなっちゃう
んですよ」

思わぬ告白に、私たち三人が

「そうなんだ・・・」

と唖然として相槌をうつと、Mさんはさらに

「これもてっきり肉はカレーや野菜にまぎれて、そのままの形
は見えないと思って注文したんだけど」

と、自分の皿の牛肉のかたまり2、3個を苦々しく眺めた。

結局、額の冷や汗を拭き拭き私に食べさせるだけで、彼は
自分のカレーには一口も手をつけなかった。

カメラマンと雑誌のアドバイザーがもう一度パーク内の写真
を撮ってくると席を立つと、今度は少々リラックスして、事の
おこりを話しはじめた。

それによると、35歳になる彼の幼稚園時代、家から持たされ
たお弁当に牛肉を使った献立があったそうだ。
食べている途中でお腹が一杯になった彼は、その脂身の部分
を残そうとした。

ところが、幼稚園の先生は

「残してはいけない」

とむりやり口を開けさせ、脂身を口の中へ押し込んだ。
そのあとすぐ、気持ちが悪くなった彼は食べたものはすべて
吐き出してしまったという。

以来、彼は30余年も“肉恐怖症”に取りつかれているわけだ。
その恐怖は私の障害と違って、目に見えない分だけ内にこもり、
より大きなストレスになっていたのではないだろうか。

実際、これまで彼は家族以外の人間とはなるべく一緒に食事
をしないようにしてきたというし、そこまでのルーツを人に話した
のも私が初めてだそうだ。
いやおうなく、障害をむき出しにして生きていく私を前に、
ちょっぴり気を楽にしてくれたのだろうか。


『2.思わぬ抗議』
前項の「思わぬ告白」が、日本経済新聞夕刊の連載コラムとして
世に出た翌日の夕方、編集担当のNさんが深刻な声で電話を
かけてきた。

「昨日のコラムを読んで、東京都食肉市場(芝浦と場)から正式な
抗議がありました」

折りしも、集団発生した病原性大腸菌O157による食中毒で、
感染した子供たちへのいじめ問題が発生して、日本中が揺れて
いた8月の下旬のことだった。

抗議を受けた箇所は、

「実は僕、肉の形が丸々わかる料理を見ると、元の牛や豚や鳥が
殺されている場面を連想してすぐに気持ち悪くなっちゃうんですよ」

という表現。
それが、と場で働く人たちへの差別につながっているというのだ。

思ってもみなかった抗議だった。
電話を切って一時間余りで、対応を話し合うため我が家に駆けつけた
Nさんは、

「なるべく早いうちに、直接先方へ行ってこちらの真意を説明するか、
コラムのスペースを割いて説明のコメントを載せるかしたほうがいい
と思います」

と、言った。

言うまでもなく、私にはと場で働く人たちを差別しようとする意識など
みじんも働いていなかった。
ただ、Mさんの「肉恐怖症」の現実と、それが彼自身の見えない障害
として心の大きな負担になってきたこと、そして原因となった幼稚園
時代の一件を引き起こした先生の横暴さを伝えようとしただけだった。
だから私には、新聞社がどう言おうと、謝罪したり、原稿の内容を
訂正するつもりは毛頭なかった。

その一方で、相手に面と向かって私の心持ちを話さなければという
思いに駆られた。
Nさんもその意向に同意してくれ、コラムが出たちょうど一週間後、
言語障害の言葉の通訳として母にも付き添ってもらい、芝浦と場
へ出向いた。

現地に向かう車の中で、Nさんが

「今日は言いたいことを存分お話しください」。

と場に着くと、新聞社の文化部長と、法務室の室長さんがすでに
到着していた。

会議室に通されると、まず経営者側にあたる都の職員3人と面談し、
その後で労働組合の役員5、6人と相対した。
それぞれ一時間半余り、合わせておよそ3時間を費やした。
法務室長さんは都職員とも組合員とも以前から面識がある様子で、
再会の挨拶を交わしていた。
面談の冒頭、Nさんが口火を切った。

「松兼さんは障害者をはじめ、一貫して社会的な弱者に対する差別
と闘うために文章を書き続けている方です。
ですから、今回のコラムでも、と場で働くみなさんを差別しようとする
意図はまったくなかったと思います」

まさにその通りだった。
それを受けて私も、問題の箇所の表現はMさんの“見えない障害”
を説明するほかの何ものでもないことを力説した。

コラムの中では字数の関係で書かなかったが、Mさんには幼稚園
での一件以前に自宅の庭で鶏が首を絞められる場面を見た経験が
あったそうだ。
Mさんにとってもそれは自分たちが生きていくためのごくごく自然な
光景だった。
ところが例の一件以来、「肉恐怖症」に陥り、仕事の席や宴席で出さ
れたステーキに吐き気をもよおして上司との関係が気まずくなるなど、
数えきれない苦労を強いられてきた。

そのあたりの事情を補足したうえで、

「私は出産時の酸素欠乏によって手足が不自由になりましたが、
それと同じようにMさんの場合、幼稚園の先生の横暴がきっかけで
肉の形が丸々わかる料理を見ると、元の牛や豚や鳥が殺されて
いる場面を思い浮かべて気分を害してしまうんです。
それは彼にとって生活のさまざまな場面でマイナスになっている
生理的な見えない障害なんです。
だから、問題の箇所は彼の障害の説明であって、そこに差別意識
があるはずもありません」

それを聞いて、組合書記長のA氏も、

「そういうことってよくあるよね・・・私も小学校の時分に同じような
経験をしたことがあります」

と、小さくうなずいた。
A氏は最初の自己紹介のなかで、と場での仕事のかたわら、長年、
障害をもつ人たちの自立生活を支援する活動に関わっていること
を話してくれていた。
そのためか、私を見つめる視線も自然で、張りつめた緊張状態の
なか、なぜか彼にはホッとさせる雰囲気が漂っていた。

その一方で、別の組合員の一人は少し声のトーンをきつくして、

「Mさんや松兼さんの中に差別意識がないことはよく分かりました。
でも、“殺されている場面を連想して”という言い方をされると、
私たちにしてみれば自分らの職業を否定されているようで黙って
いるわけにはいかない」

たしかに発信者には相手に対する差別意識や悪気がなくても、
受け手にとっては不愉快な結果を招くこともある。
以前、着替えを手伝ってもらっていた大学時代の友人に

「お前をこうやって介助していると、将来、自分の赤ん坊ができた
時も世話には困らないだろうなあ・・・」

と、笑って言われたことがあった。
友人にしてみればとても素直な気持ちだったのだろうが、

「俺は赤ん坊と同じなのか?!」

と、ちょっと不愉快な気分にもなった。
とはいえ、友人の素直な気持ちを差別意識だとは思わなかったし、
その場で声に出して怒ることもしなかった。

物を書いて世に出す立場にある者は、己の文章が他者を傷つける
恐れがあることを自覚して仕事に臨まなければならない。
ところが今回、私は思わぬ抗議を受けるまで、と場で働く人たちの
存在や彼らに対する差別が根強く残っている現実をまったく頭に
入れていなかった。
それはやはり物書きとしての私の落ち度だった。

組合員にも、私の認識不足を認めた。
そのうえで、次のように問いかけた。
恐ればかりにとらわれていたら、書き手それぞれの視点や想像力
が封殺されてしまうことだってなりかねないからだ。

「人は個々にいろいろな考えをもって生きていますから、すべての
人が納得するものを書くのは難しいと思います。
仮にそれが現実になるとしたら、戦時中の国家による言論統制と
同じ状態を意味して、むしろとても危険なことではないでしょうか?」

先の組合員は、

「それでも新聞などの大きなメディアでああいったことを書かれると、
書き手の松兼さんの意思には関係なく、一人歩きして私たちに
対する差別を助長してしまう危険性があるんですよ」

「障害とともに生きる私もこれまでたくさんの差別と遭遇してきました
し、これからもあらゆる差別と闘っていきたいです。
それにはまず、差別の状況を分かりやすく一般の人に知らせる
必要があると思います。
その際、場合によっては差別を受ける当事者にとって嫌な表現も
使わなければならない時もあります。
でも、それは決して差別を肯定しているのではなく、差別と闘う
第一歩なんです。
私は人から“かたわ者”と言われても頭にきません。
障害をもった自分にプライドをもって生きているから、言葉で攻撃
されても何ともありません。
むしろ、それを口にした人の心の貧しさと闘っていこうと思うんです。

小きざみに体を左右にゆらし、つばきをまき散らしてそう言った
私の姿に一瞬、会場全体がシーンとなった。」
(P173~180)


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by bunbun6610 | 2014-06-10 18:30 | バリア&バリアフリー


ある聴覚障害者から見た世界


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