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蒼穹 -そうきゅう-

『こころの段差にスロープを』(松兼功/著)(8/13)ホスピス

『こころの段差にスロープを』
(松兼功/著 日本経済新聞社/発行所
1997年10月7日/初版発行)




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ホスピスについて
「痛みをコントロールする薬を飲む時間を定めたり、傷口のガーゼの
汚れをチェックするなど、必要最低限のことはスタッフ側から患者さん
に促すこともある。
が、基本的には患者さんの意思と選択で毎日を設計していくのである。
ときにはホスピスのラウンジを使って、子供の結婚式や仲間たちとの
“最後の晩餐”を開きたいという患者さんもいるとのこと。

「正直言って初めてのときは、そんなことをやられたら困っちゃうんじゃ
ないか、と戸惑うこともありました。
しかし、一度やってしまえば、次に同じことを言われても、そのときには
戸惑うことはありません」

と、百戦錬磨の黒川婦長。

一般にホスピスというと、どんな「わがまま」でも通る場所なのかと思わ
れているそうだが、当の患者さんはわがままを言っているつもりは毛頭
ないのだ。
限りのある命を最大限に自分らしく、悔いなきものにしようと精一杯の
注文を出している。
そう考えることが、聖ヨハネホスピスを支える大切な価値観なのだろう。」
(P71)


「「たとえば患者さんが

『頭が痛い』

と言ったときに、

『ではお薬を飲んで下さい』

とは言いません。
まず、

『何かお薬飲みますか』

と聞くのです。
それが私たちの基本なのです」

黒川さんの言葉に

「僕も、ホスピスにはこれまで日本人が一番苦手だった自己決定の大切
さを社会に発信していく役割があると思います」

と言った、その舌の根も乾かないうちに、周りの目ばかりを気にして、
自己決定を遅らせている私。
その恥ずかしさに照れ笑いしながら、黒川さんに

「やっぱりビールをいただきます」

と、告げた。
すると、山崎さんも

「それじゃ、僕もビールにしよう」

と、ニコニコした。

山崎さんの話によると、ホスピスに入院する95%の人が自ら末期ガン
であることを知っているとのこと。
つまりホスピスへ入ること自体、一般病院での意味のない延命治療を
拒否し、残された時間を最大限に自分らしく生きようとする患者さん
本人の自己決定なのだろう。

患者さんが自己決定するには薬や病状に関する正しい情報の提供が
必要になる。
ところが、死を医療の敗北と考え、タブー視する一般病院では、患者に
真実を隠したままその場しのぎの治療を行い、患者は苦痛と不安を抱い
たまま息を引き取ることも多い。
それは決して「納得できる死」ではないはずだ。

一方、少しでも病気を治したいと願う患者の方も、自身が置かれた事情
がよくわからないまま、最初から医師に「おまかせします」と、言ってしま
いがちだ。
黒川さん曰く、

「人は誰しも亡くなるということを前提に、患者さんとおつきあいするところ」

だという桜町病院ホスピスでは、そうした「おまかせします」も、医師の
一方的な治療も考えられない。

「痛みで食事ができなくなった方に点滴をする場合も、カロリーの高いもの
にするか、低いものにするかをお伺いするのです。
その際、高いものにすれば、長く生きられるかもしれないが、ガン細胞にも
栄養が行き渡るから痛みがひどくなって、余計に苦しむことになるかもしれ
ないという点まできちんとお話しします。」

山崎さんの説明を聞いて、ホスピスがいかに民主的で、かつ、厳しさも
備えた場所かを痛感した。
実際、患者さんの中にも

「自分で選択しなければならないから、厳しいところだね」

と言った人もいるという。

考えてみると、医療の世界に限らず、私たちはこれまで権威や専門知識
をもつ人たちに答えを委ねるばかりで、自分自身の判断と責任によって
進路や物事を決めていく習慣があまりなかった。
自らの死について他人(医者)まかせにしてしまっては、あまりにも悲しい
ことではないだろうか。

もちろん、患者さんが

「自分だけでは判断できないから、どちらがいいと思いますか?」

と、問うこともあるという。
そう言われて初めて、医師や看護婦さんは専門知識に基づいた自身の
意見を口にするだろう。

また、最初は自己決定をしていた人も、病状の変化に伴い、だんだん
考えることが辛くなって

「一番いいと思う方法でやって下さい、おまかせします」

と言う場合もあるそうだ。
これはむやみやたらな「おまかせします」とは、まったく違った類の

「おまかせします」

だろう。
患者さんとホスピススタッフの間には、それまでの情報や意見のやりとり
で培われた信頼関係があるのだ。
その信頼にはきっと、

「この人なら、安らかな“納得できる死”へと導いてくれる」

という思いが込められている気がする。

死は誰にとっても、人生で最大にして最後の未知なる体験である。
だから、とてつもない不安や恐怖がつきまとう。
が、山崎さんも黒川さんも、安らかな死を迎える患者さんたちを見送って
いると、自分の死がこわくなくなったという。
患者さんたちが死と向き合いながら、自分らしく生きる日々の尊さを示し
てくれているからだろう。
それは、その人の最後の伝言でもあるのだ。」(P73~75)


「たとえば4年前、療育センターの紹介を受けて入院のために直行した
T病院でのこと。

まず初診を受けるように言われたのだが、40度近い高熱があるのにも
かかわらず、外来待合室で車イスに座ったまま一時間近く待たなければ
ならなかった。
ようやく順番が回ってきて、5,6人いる医師ごとに壁で仕切られた診察室
へ入ろうとすると、出入口も中のスペースも狭く、車イスの先端が何度も
壁にぶつかってしまった。
やっとの思いで中へ進むと、今度は50歳前後の医師が見下ろすような
口調で、

「こっちの言っていることはわかるの?」

と、母に尋ねた。
彼は、私が車イスに乗っているというだけで意思疎通ができないと思ったの
だろうか?
私の怒りを代弁するように、母は憮然と答えた。

「もちろん分かります。
一応、大学を出ていますから」

が、その医師はそれ以降も母にばかり質問を向け、私の目を見て話そうと
しなかった。」(P87~88)


「『付添いが入院の交換条件?』
T病院は看護婦さんだけが患者の世話をする基準看護で、私的に雇う
付添いさんはもちろん、原則的に家族の付添いも禁止されていた。
が、婦長さんは入院した直後、母に、

「申しわけありませんが、人手不足なのでご家族の方に付添いをお願い
したいんですが」

と、切り出した。
それは、私のような手間がかかる重度障害者やお年寄りが病気で入院
しなければならなくなった時、多くの病院で家族に求められる交換条件
(?)なのだ。
母は、苦笑いして、

「はい、そのつもりで来ましたから大丈夫です」

とはいえ、四六時中の付添いは60歳を前にした母にとって、やはり
過度の負担となった。」(P89)


「『もっと他の言葉を!』

「目が覚めるように、そばにいる時はできるだけ声をかけてあげてください」

同室の脳梗塞のAさんの家族に、看護婦さんが言った。
そのアドバイス通り、長男家族のお嫁さんとお孫さん二人が毎日欠かさず
交代で病室に来て、あれこれと話しかけていた。
その中で必ず、選挙演説のごとく連呼されるのが、

「おじいちゃん、頑張って!」

家族以外の見舞い客も同様の言葉を発していた。
でもそういう時、Aさんが目を開けることはほとんどなかった。

「どうして私たちが来ている時に目を開けてくれないんだろう・・・」

20歳前後の孫娘が残念そうに言った。隣のベッドで聞いていて、つい、

「毎日、同じことばかりを言われて、Aさんも閉口しているんだよ」

と、つぶやいた。
障害とともに生きる私は、健康な時でもよく人から「頑張って!」に類する
ことを言われ、「努力」を強要されがちだ。
過日も私の著作『障害者に迷惑な社会』(晶文社)を読んだテレビの番組
制作会社のお偉方から、

「障害があるのに、ライターとして頑張っておられるので番組をつくりたい
のですが・・・」

との打診の電話を受けた。
その瞬間、

「こういう人こそ障害者に迷惑なんだ!」

と思い、それを皮肉を込めてこう伝えた。

「私はお酒を飲んだりオールナイトの映画を観に行ったり、“不良”ばかり
していて、少しも頑張っていないんです。
ですから、そちらの番組意図には合わないと思いますよ」

意外な反応に、その人は唖然とした口ぶりで、

「あっ、そうですか・・・それではもう一度検討してみます」

あれから一年以上が経つが、二度目の電話はかかってこない。
たぶん、不良障害者の番組はとても作れないとあきらめたのだろう。

こういう経験を繰り返しているうちに、どうも人一倍「頑張って!」に抵抗感
を抱くようになったらしい。

さて、「頑張って!」にはなかなか目を覚まさなかったAさんも、家族が
いない折、若い看護婦さんが身の回りの世話をしている時にはたびたび
目をパッチリ開けて、彼女たちの体にタッチしようとした。

「まったくAさんたら、エッチなんだから!」

看護婦さんのたてる声に、おじいさんがただ無気力になっているのでは
ないことがわかって、こちらも笑顔になった。」(P114~115)


「もちろん、患者の家族は早く元気になってほしいという願いも込めて
「頑張って!」を口にするのだろう。
それが大きな励ましとなって、衰えかけた生命力や自然治癒力を蘇らせ、
回復のきっかけになることもあるだろう。
でも、むやみやたらと使ったり、相手の状況を考えないで口にすれば、
患者の苦痛にしかならない場合も多いのでは?
とくに、頑張っても治らない病と向き合う患者にとって、これほど残酷な
言葉はないだろう。

大江健三郎さんが家族で実家の四国に帰省した折、知的障害をもった
長男の光さんは、年老いたおばあさんからよく

「いままでたいていのことは体験してきたけれども、死ぬことだけは
初めてだから、しっかりしていなければならない」

と、問わず語りされていたそうだ。
それが頭にこびりついていた光さんは、東京に戻る際におばあさんへ
贈る言葉を考えに考えた末、大きな声で、

「元気を出して、しっかり死んでください」

それを聞いておばあさんも、

「はい、元気を出して、しっかり死にましょう」

大江さんのエッセイ集でそんな二人の会談を読んで大笑いし、久し振り
にとても温かい気分に包まれた。
と同時に、「頑張って!」よりはるかに吟味された光さんのその言葉に、
驚きにも似た感動を覚えた。
実際、その後おばあさんは大病をされたが、光さんの

「元気を出して、しっかり死んでください」

が一番の励ましになったとのこと。」(P116)



「『回診の威圧』
ドレーンがまだ挿入されていた入院3、4日目のお昼前、婦長さんが
穏やかな口調で、

「今日の午後、回診がありますのでよろしくお願いします」

それを聞いて、また「T病院とは違うなあ」という思いが走った。

T病院でも毎週水曜日の午後に、内科の部長やら副院長やらの
回診があって、その30分前ぐらいになると、病室に、

「もう少しで先生がいらっしゃいますから、部屋を片付けておいてください」

と、準備をせかす看護婦さんのあわただしい声がした。
そう言われるとこちらも「急がなければ・・・」と焦ってしまい、身動きがとれず
自分では何もできないものの、ベッドの周りをキョロキョロ見渡した。
いざお偉い先生が婦長さんと十数人もの部下(医師)を引き連れてやって
来ると、威圧されているようで心細くなった。
そして、付添いの母はこの時に限って病室の外に出され、私一人が医師
たちの勉強台にされた。
彼らの間ではわけの分からない専門用語が飛び交うばかり。
聞いているだけであれこれ余計な心配が走り、妙に胸が騒いだ。
それは回診後も増幅され、いっそう具合が悪くなってしまったことさえあった。」
(P117)


「とはいえ、510病棟でも決して人手が足りているわけではなかった。
平日であれば、午後になってもいろいろな検査、処置、膨大な薬の仕分け
などに追われ、看護婦さんが患者の散歩に付き添う余裕はとてもなかった。

その点、休日は勤務につく人数は2、3人少なかったものの、緊急の場合
を除いてはふだんの仕事がない分、散歩などの時間をつくりやすいように
思えた。

別の日、朝の清拭の後、看護婦さんが声のトーンを落として、

「ほんとはこんなことしたくないんだけど・・・ごめんなさいね」

と言いながら、Aさんの両手をヒモでベッドの柵に縛りつけた。

Aさんは病後まだ食事がとれず、鼻に通した管から栄養を補給していた。
この管は、かなり太いものらしく、点滴のように注射針を使って挿入する
際には、うめき声が上がるほど苦しい思いをしなければならなかった。
挿入された後も管がどうにも邪魔のようで、無意識のうちに手で抜き
取ってしまった。
とはいえ、管はAさんの命綱。
抜かれたままにはできず、悲痛なうめき声の中、医師と看護婦さんが
再度苦心して鼻へ。
それが2、3回繰り返されるうちに、仕方なくヒモで手を縛るようになった
のだ。

「ずっとそばについてあげられればいいんだけど、とてもそうはいかない
からね・・・」

手を縛りおえた看護婦さんが、自分に言い聞かせるように忍びなく
言った。
縛られる側、縛る側、双方を苦しめる日本医療の一つの現実を見る
思いがした。

にもかかわらず、東京都はナースの数を削減しようとしているとのこと。
看護婦さんの間では冗談半分で、

「(人員削減を決めるような)都議会議員が病院に来ても診てあげない」

という怒りが飛び交うこともあるらしい。」(P124~125)


「『初心の感動』
時間は少し前後するが、入院して一週間ほど経った頃、Oさんが、

「今日の午後は手が空きそうだから、久しぶりに頭を洗おう!」

と、言ってくれた。
入院前と合わせて20日以上も風呂に入っておらず、頭がかなりかゆ
かったので、車イスに乗って洗面台で頭を洗ってもらっていると、

「ワァー、気持ちいい!」

心の底から感嘆の言葉が飛び出した。
すると、Oさんはちょっと申しわけなさそうに、

「もう少し手があれば、もっと頻繁に洗ってあげられるんだけどね・・・」

それを聞いて、ふと4年前のT病院での看護学生のことを思い出した。

三週間の病院実習で私の担当になった彼女は、朝8時から午後の
4時まで、諸々のミーティングや自分の食事時間以外は私のそばに
いた。

ある日、彼女も病室にお湯をいっぱい入れた洗面器を持ってきて、

「きょうは足浴しましょう!」

とニコニコして言った。当時も高熱と痛みのため、ぬれタオルで体を
拭いて
もらうだけで、入院前を合わせると一か月半以上も風呂に入って
いなかった。
それだけに足だけとはいえ、久しぶりにお湯につかれるチャンスに
歓声を上げて、

「そんなの初めてだなあ・・・」

彼女はちょっと怪訝そうな顔をして

「一か月間、一度もやってくれなかったんですか?!」

小さくうなずくと、一瞬腕組みをして、

「どうしてなんだろう?」

彼女が習ったばかりの看護マニュアルでは、足浴はもっとひんぱん
に行われることになっていたのだろうか。
もしかしたら、そこに看護の現実とのギャップがあったのかも知れない。

母が横から背中を支えるなか、ベッドに腰掛けて彼女に足を洗って
もらうと、洗面器に一か月分の垢が浮かび上がり、何とも言えない
快感に包まれた。
Oさんに言ったのと同じように、

「ワァー、気持ちいい!」

彼女は満面の笑顔を浮かべて、

「そう言ってもらうと、本当に嬉しいです」

あれから4年が過ぎた今、看護の一線で活躍しているであろう彼女は、
あの時の“初心の感動”をどれぐらい覚えているだろうか。
そして忙しい現実の中で、ひと月にどれぐらい患者さんの足浴をしている
だろうか?」(P125~126)



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>「おじいちゃん、頑張って!」


これにはもう、本当に笑ってしまう。
Eテレ『バリバラ』でも

「障害者はこの言葉が、健常者から一番言われる」

と言っていたのを思い出す。


(参照記事;『バリバラ団の「かんばらなくていい!」に賛否両論』


障害者のいる現場へ何度も行って、そして実情を理解している
記者ならば、もうわかるのだろうが、わかっていないのは頭の人
(編集長)だということが暴露された記事だ。
写真だけは絶対というのは、要するに健常者は、障害者を見世物に
するのが好きなのだろう。
お涙頂戴モノを読むのが大好きで、それで自分も励まされる、
と思い込んでいるようだ。
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by bunbun6610 | 2014-06-08 18:30 | バリア&バリアフリー