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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

『こころの段差にスロープを』(松兼功/著)(7/13)障害者にとっての“家族”とは

『こころの段差にスロープを』
(松兼功/著 日本経済新聞社/発行所
1997年10月7日/初版発行)



この記事には、私が勝手に、下の副題をつけることにする。

副題;『「わたしは、ヘレンを愛していますよ」(サリバン)――“愛”という関係性がもつ意味』



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「毎日の生活に人の手助けが不可欠な私のような重度の障害者には、
「家族」はなくてはならない存在である。
が、ここで言う家族とは、戸籍上に記される「血族」だけを指しているの
ではない。
これまで日本の障害者の日常を窮屈なものにしてきた原因の一つも、
この血族のみに頼りがちな福祉施策にあったことは確かだろう。

もちろん、親をはじめとする血族はその人を支える家族であることは
間違いないが、絶対視してはお互いの生活を束縛してしまうことになる。

障害者のより自由な社会参加を実現するためにも、それぞれの意志や
知で結ばれる新しい家族をどんどん増やさなければならない。」
(P49)


「周知の通り『奇跡の人』は、1歳半の時の病気がもとで幼いころより盲、
聾、唖という三重の障害を負ったヘレン・ケラーと、ヘレンの若い女教師
アニー・サリバンの運命的な出会いとその闘いの日々を描いた物語である。

そこで一貫して焦点があてられているものは、ヘレンに言葉を獲得させ
ようとして厳しくも献身的な教育をするサリバン先生の姿だった。
原題の“THE MIRACLE WORKER”が示すように、「奇跡の人」とは
まぎれもなくサリバン先生を指しているのだ。

そしてサリバン先生が起こした“奇跡”の一番の象徴が、あばれて水差し
の水をこぼしたヘレンを力ずくで庭のポンプに連れていき、ポンプの水を
汲ませようとした時、手に流れる水にヘレンが“WATER”と叫ぶ、あの
有名なラストシーンだろう。
彼女たちの姿は、障害者がすばらしい指導者との出会いからハンディを
克服し、社会参加していく美談として何度となくさまざまな形で紹介されて
きた。

戯曲のシナリオを収めた本の裏表紙にも

「人間社会から隔絶された本能的欲望がおもむくままに生きる少女、
そのいわば野生の生物に何とか理性の光をともす。
全てのものには名前がある。
言葉を手に入れる。
人間は言葉によって感じ、知り、わかちあうことができる。
それがはじまりであり、全てである」

と、サリバン先生の偉業をたたえた一文が記されている。

もちろん、サリバン先生に出会い、言葉を獲得したことでヘレンの世界
が大きく変わったことは間違いない。
でも、それはサリバン先生の奇跡だったのだろうか?
言葉の獲得が二人の出会いのすべてだったのだろうか?
サリバン先生と出会う以前のヘレンは、人間として目覚めていなかった
のだろうか?

いくつもの疑問が脳裏を駆けぬけた。
私は思い切って、唐突に柴崎さんにそれをそのままぶつけてみた。

すると、芝崎さんは驚いたように身を乗り出して

「実はね、私たちもずっと同じことを考えていたの。
私たちが障害をもつ人たちの芸術作品に励まされたり、触発されたり、
支えられたりするように、サリバン先生もヘレンによってたくさんのもの
を受け取っていたと思うの。
で、何とか新しいヘレンとサリバン先生の関係を舞台にしたいと思って
いたんだけど――それじゃ松か兼さん、そのコンセプトで新しい脚本を
書いてみない!?」

と、目をランランと輝かせた。」
(P51~52) 

「・・・私にも重度の四肢障害と言語障害がある。
慣れているはずの柴崎さんでも、時折、聞き取りづらい言葉もあった。
が、柴崎さんはちゃんと意味を聞き取るまで当然のように何度でも聞き
返してきた。
目の前の障害をそのまま受け入れようとする柴崎さんのような仲間が、
いまの私を支え、可能性をどんどん広げる大事な力になっている。
ヘレンにとってのサリバン先生も、障害を共有するそんなパートナー
だったような気がする。
この思いを伝えるべく、新しい脚本を鼻打ちするためにワープロの前に
座った。」(P53)


「以前、大学で宗教哲学を専攻していた知人からこんなことを聞いた
ことがある。

「奇跡とは、人類が思ってもいないことが起こること。
少しでも人が願ったり、思ったりしたことが現実になることは“奇跡”
ではなく、人間の仕業なんだ」

へレンがアニーとの出会いを通して言葉を獲得したことも、Y君が私の
脚本書きをきっかけに初恋の女性と再会したことも、それぞれの思い
が結ばれた人間業なのだろう。」(P56)


「繰り返し書いてきたように、これまで何度となく描かれてきたヘレン・ケラー
は、サリバン先生の献身的な教育によって障害を克服し、言葉を獲得
する美談だった。

でも、私の脚本作りはそれを疑うことから始まった。
どんなに厄介でも障害はその人の一部であり、個性なのだ。
それを「乗り越え」てしまえば、その人自身がこの世から消えていなくなって
しまう。
サリバン先生との出会いでヘレンが新しい世界を開拓していったことは
確かだが、言葉を獲得した前も後も彼女は一生涯、三重苦と日々つきあい
ながら暮らしていたのだ。
その事実を抜きにしては、ヘレンの人生は描けない。

ところが、新聞をはじめとする日本のマスコミは「障害を乗り越える」的な
取り上げ方が大好きで、障害をもつ人たちが登場する記事やニュースには
必ずといっていいほど、そうした類の表現なり映像が出てくる。

そういえば、テレビ局でニュース番組を担当している知人が、

「阪神大震災関連の番組を作るとき、内容と直接の関係はなくても、
倒壊した建物や道路の映像をぜったい入れろと、上から言われてしまう」

と、愚痴をこぼしていた。
多様性や独自性を旨としなければならないのに、テーマのいかんをとわず、
現実のマスコミ界には目前の部数や視聴率ばかりを気にしたパターン化、
類型化の悪い癖がはびこりまくっている気がしてならない。

Y君も今回の原稿を書く際、上司のデスクから私がワープロを打っている
姿を写真に撮ってくるようにと指示されたとのこと。

逆に言えば、その写真がなければいくらいい原稿を書いても、記事として
掲載しないということだ。

また、Y君は、文中でできるだけ「乗り越える」的な表現を避けようとしたが、
なかなかデスクのOKが出ず、何度も書き直しさせられたらしい。
文中の「不自由さを乗り越え――」は、どうしても「障害を乗り越え――」
とは書きたくなかったY君が、デスクとの攻防のあげく、しぶしぶ文字にした
妥協策だったのではないだろうか?

他方、ワープロの鼻打ちの写真だけは絶対命令だったようだ。

・・・(中略)・・・お互いのスケジュールの都合でわが家まで撮影に来る時間
がなく、事務所にあったパソコンを鼻打ちすることにした。
ちょっぴり不満そうな顔をしたY君に、私は

「デスクにはバレるわけないから大丈夫だよ!」

とウインクした。
事務所のパソコンに触ったのはその時が初めてだったのだが。」
(P58~59)


「別の日にはこんなこともあった。
友人と車イスを押してもらって、奈良で開かれたわたぼうし音楽祭に
出かける時のことだった。
テレビクルーは、彼がわが家に私を迎えに来るシーンからカメラを
まわしたいとのことで、あらかじめ彼にも了承を得ていた。
日差しに弱い彼は、黒いサングラスをかけてきた。
その日はまさに夏の炎天下で、クルーの大半の人も同じような
サングラスをかけていた。

ところが、わが家から少しだけ離れた道路で待ちかまえていたクルー
一行のカメラマンは、

「そんなサングラスをかけていると、視聴者の印象が悪くなるから
外してくれ」

と、友人に言ったとのこと。
彼も即座に

「日差しで目が痛むのでかけているんです」

と突っぱねたそうだが、これは制作側の一方的な意向で事実を曲げよう
とする“やらせ”だと思い、眉をしかめた。

少しあとになって、それをはっきり演出家に言うと

「サングラスにこちらのカメラが映ってしまうから、外してくださいと言ったん
ですが――」

という答えが返ってきた。

それも制作側の都合だ。
ドキュメンタリーの基本は、番組の土台となる当事者の事実や都合が
何よりも優先されることだろう。
それだけは守ってほしいと伝えると、演出家は

「そういうことを言ってもらえてよかった」

と、笑顔をみせてくれた。

その後、カメラ抜きの場所でクルーのスタッフたちと酒をくみ交わした。
彼らも“カメラの束縛”から逃れ、私と膝を交えた話がしたかったという。
そんな彼らにはこちらの言い分に耳を傾け、いい番組に仕上げるため、
私と最後までやりとりしていこうとする情熱がみなぎっていた。」(P63)


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by bunbun6610 | 2014-06-07 18:30 | バリア&バリアフリー