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蒼穹 -そうきゅう-

『こころの段差にスロープを』(松兼功/著)(3/13)不況というリトマス紙

『こころの段差にスロープを』
(松兼功/著 日本経済新聞社/発行所
1997年10月7日/初版発行)




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『不況というリトマス紙』
忘年会、新年会が続く季節でも、ここ何年かは驚くほどに簡単にタクシーが
つかまる。
やはり、戦後最大といわれる不況の影響らしい。
世間ではこの不況による生活の圧迫が盛んに叫ばれているが、歩行器や
車イスを使って異動する私にとって、タクシーがつかまりやすくなったことは、
とても望ましい状況だ。

障害者や妊婦、老人といった、身体に何らかのハンディをもつ人たちが、
階段だらけで、乗り降りにもかなりの時間的制約がある電車やバスを利用
するには、精神的、物理的に想像以上の労力が要求される。
制約に適応できず、不意の事故に巻き込まれる危険性も常に潜んでいる。
とくに、他人の顔だらけの“人の群れ”をかいくぐっていかなければならない
都会では、そうした不便さ、危険性がいっそう増してしまう。

その点、タクシーは乗り降りに階段もなく、ドライバーとの一対一の関係で
あれこれと融通もきく。
時には関係がうまくいかなくて、気まずい思いをすることもあるだろうが、
それでもこちらが車内にちゃんと入っていないのに発進させられる心配は
ほとんどないだろう。

私のそんな事情をあまりよく知らない人たちは、タクシーを使ったというと、
冗談めかして「リッチな人はいいわね・・・」、「さすが、作家先生はスゴイ!」
などと皮肉な眼差しを向ける。
悪気はないとわかっていても、そう言われるとつい、心の中でその相手を
にらみつけてしまう。

電車、バスが自由に使えない現状にある人にとって、タクシーは必要不可欠
な交通手段なのである。
決してぜいたくな乗り物ではない。
だから、障害の程度に応じて、料金の一部を補助する自治体も増えている。

そうはいってもドライバーによっては、歩行器や車イスを見ただけで乗車拒否
する人がいまだ相当数いることも事実である。

バブル景気が全盛だった数年前の暮れのこと。
私は仲間との忘年会を終え、友人と二人して新宿駅東口のタクシー乗り場
で順番を待つ長蛇の列に並んだ。
ところが、タクシーはポツリポツリとしか現われず、いたずらに時間だけが
過ぎていった。

アルコールの酔いも醒め、すっかり体が冷え切ってクシャミが止まらなくなり
だしたころ、ようやく、私たちの前にいた三人組がタクシーに乗り込んだ。
列に並びはじめてからその時点で、ゆうに一時間以上は経過していたと思う。
とりあえず、

「あと一台来れば、この寒さから解放される!」

という思いが駆けめぐり、私たちは顔を見合わせてニッコリした。
が、肝心のあと一台が現われるまで、結局また20分ぐらい待たなければ
ならなかった。
そして、20分後にも悲劇の幕は閉じなかった。

ターミナルの入口にようやく次の一台が見えると、友人は車道に降り、
ドライバーに私の歩行器をトランクに入れてもらおうと身構えた。
友人の合図に気がつくと、車はスピードを落としながらこちらに近づいてきた。
ドライバーの視界に歩行器姿の私が映った瞬間、タクシーは急にまた
スピードを速め、逃げ去るようにして私たちの前を通り過ぎていってしまった
のだ。

「ちょっとアンタ! 一時間半も順番を待っていたのに、どうして止まらない
んだよ?」

激怒した友人はそう叫んで、タクシーの後を、3、40メートル追いかけたが、
無論、彼の声はドライバーに届くはずもなかった。
恐らくドライバーは、年末のかき入れ時にトランクの開け閉めなど余計な
手間がかかる私を乗せるより、別の場所で他の客を拾ったほうが効率的
だと考えたのだろう。
実際、その日はどこへ行ってもタクシーに手を上げる人たちが右往左往
していた。

昨年の暮れ、夕方の6時過ぎに仕事関係の知人と二人で渋谷のタクシー
乗り場に並んだ。
並んだといっても、その場の順番待ちは私たちを含めて三組しかおらず、
一方、タクシーは20台以上が列をなして客待ちしていた。
完全な買い手市場のためか、順番がまわってきたドライバーは歩行器に
ぶらさがった私を見ると、さっと車から飛び出し、トランクを開けてくれた。
おかげで、5分もしないうちに車に乗り込むことができた。

走行中、新宿駅でのあの忌まわしい一件を思い出しながら、知人に

「最近は暮れでもタクシーがつかまりやすくて助かるよ」

と話していると、下町育ち風の40歳前後のドライバーがこう口をはさんだ。

「そうなんだよ・・・この不況でめっきり客足が減って、昔みたいにこっちが
客を選り好みしている場合じゃないからね。
客があふれていたバブルの頃は、もしかしたらおれだって、お客さんみたい
な人は乗車拒否していたかもしれないよ」

正直すぎる言葉に、一瞬度肝を抜かれ、知人と苦笑した。
それからしばらく、窓の外の景色を眺めているうちに、不況による就職難
のあおりで、これまで人気がなかった福祉関係の職場に求人を探す学生
が殺到しているという新聞記事を思い出し、また一人で苦笑した。

どちらも手放しで喜べることではないが、余計な金、余計な価値観がそぎ
落とされる現状にいたって、やっと本当に必要なもの、やらなければならない
ことが浮かび上がってきたような気がする。

もし逆に、経済の停滞を理由にして、市民の生活を支える人材や予算を
切り捨てる事態に至ったら、それはまさしく私たちの国の俗悪さを証明して
しまうことになる。
だから、不況は日本の資質を試すリトマス紙なのだ。」(P18~21)



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by bunbun6610 | 2014-06-03 18:30 | バリア&バリアフリー