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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

健聴者の「うなずき障害」

健聴者が見せる「うなずき障害」って、見たことがある
だろうか。

これが、聴覚障害者とのコミュニケーション場面では、
意外にも出るので面白い。

事例紹介しよう。

前にも述べたことがあるが、健聴者という人間は、
日本人なら音声日本語か書記日本語のどちらかぐらいの
コミュニケーション方法しか知らない。
だから、聴覚障害者の世界に入ると何も、話すことも
聞くこともできなくなってしまう人が多い。

その典型的な例が

『聴覚障害者を疑似体験する方法』
〔2013-02-28 18:00〕


にある、耳の日文化祭(聴覚障害者団体主催の行事)
で見られる光景だろう。

手話がペラペラな人ならば、どっちにしたって何も
問題はないが、手話ができない健聴者が、あそこへ
いきなり行ってしまったら、カルチャー・ショック
にも似た気持ちになるのではないだろうか。

たとえ、多少の手話ができる健聴者でも、
ろう者とちょっと話しただけで、
その手話力は簡単に見破られてしまう。

「あなたは、手話はまだまだだね」

と、ハッキリ言うろう者もいる。
そういう人と出くわした場合、ろう者はあまり相手に
しない。
コミュニケーションがしずらいからだ。

これは、健聴者のほうだって同じだから、わかるだろう。
お互いさまなのだ。

健聴者のうなずき障害だって、同じようなものだが、
健聴者のほうが、もっとタチ(性格)が悪い。
なぜなら、手話がわからず、ジェスチャーも筆談も面倒だと

「え? あ・・・そうです」

と、いい加減な返事をするだけで終わらせてしまう。
そうやって逃げているのだ。

これは難聴者がしばしば見せる「うなずき障害」と同じ
なのだ。

しかし、目のいいろう者をごまかすことはできない。

「はー、なるほど。
手話はまだまだできないんだ、この人は・・・」

と察する。
ろう者だって、こんな人と関わるのは面倒だし、手話の
タダ授業なんかしたくないのだから

「それでは、さっさと相手を変えようか」

となり、早々に別れを告げる。
その取り残された健聴者は、やっぱり寂しい気持ちになる
と思う。
負けず嫌いな人なら、そこで奮起して、一所懸命に手話を
覚えることだろうが、皆が皆、そうなれるのではない。

「きっぱりと、手話をやめる」

人のほうが多い。

残念だが、手話というものは、やはり、誰もが覚えること
のできる言語というわけではない。
特に、ろう者の母語といわれる日本手話の場合は、そうだろう。
いや、同じ日本語を母語としている聴覚障害者(難聴者や
中途失聴者など)でさえ、そうなのだから。

こうした事実を見ると「うなずき障害」の理由(原因)が
わかるし、それは決して恥でも、悪いのでもないことが
理解できるはずだ。


「心の壁」という、4番目のバリア(壁)がある、という。


『4つのあったかバリアフリー』
(ブログ『親孝行.style*』より)




健聴者も、ろう者も、難聴者も中途失聴者も、みんなにそれがある。
それをまず取り除くことが、コミュニケーション以前の問題だ。

本当は、お互いに「仮面芝居」で終わることのないようにしたいものだ。
健聴者の世界で見せる「うなずき障害」が、ろう者にも多い。


『ろう者の「聞こえるフリ」と「わかりました」と言う癖』
〔2012-09-14 18:30〕



『騙し合うままの、健聴者と聴覚障害者』
〔2012-10-09 18:30〕




『2日で職場放棄してしまった、ろう者』
〔2010-01-09 18:00〕





こうした聴覚障害者は、真面目に見えても長続きせず、
いずれ辞めていってしまうケースも多いので、
無理に我慢だけしているような人を放置しないほうがいい。

反対に、健聴者は“必要な合理的配慮をきちんと言う”
聴覚障害者を見ると

「この聴覚障害者は、我々の世界に適応できないな」

と判断する人が多いだろう。
でも、これって、ダイバーシティー構想の一つの手段である、
国連・障害者権利条約にそぐわない、古い考え方だと思う。

変わらなければいけないのは、社会のほうなのである。


『変わらなければいけないのは社会』
〔2012-02-07 22:44〕

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by bunbun6610 | 2014-06-18 18:30 | 聴覚障害者心理