米国社会から見た手話

『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』
(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館)

 →http://booklog.jp/users/miyamatsuoka/archives/4768434185

(参考)臼井久実子
 →http://www.yuki-enishi.com/guest/guest-020529-1.html



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「ベルの伝記作家の中には、電話の発明はメイベルが家の中で
他の人たちとコミュニケーションをはかるためだった、と書いている
人もいるが、現実には、ベルの電話の発明でろう者は一般の世界
からさらに断絶させられてしまった。
他者とのコミュニケーションどころか、ろう者の雇用の機会や聴こえる
世界での居場所も奪われてしまったのだ。

一方、口話は当時の右に倣えの精神にうまく合致した。
ビクトリア女王時代(訳注:1837~1901年。上品ぶることと
因襲を重んじた)は、マイノリティを容赦しなかったからだ。

たとえばウェールズの学校ではウェルシュ語の使用が禁止され、
インド近辺諸国では英語が第一共通語と認定された。

その余波は手話に及び、手話の歴史を研究するアーデン・ナイサー
によれば、

「身振り手振りは、イタリア人やユダヤ人、フランス人がするもので、
文化の貧困と人格の未完成を反映していると考えられた。
手話も、これら人種・民族差別的な観点からみられるようになった」。

音声で話せることこそが神から与えられた人間の資格で、獣と人間
を区別するものである。
もししゃべることができなければ言葉がないのも同然であり、それは
人間の資格がないのと同じだ。
そうなるとアリストテレスの時代に言われた、人間の理性による推論
もできない。
しゃべらなければ悪魔の餌食になるしかない。
このような解釈がまかり通るようになった。
こういったことの全てが、人々にろうは病気で治療の必要のあるもの
と思わせてきた。
そして口話はその更生に必要な手段、いわば希望の星とされた。
口話は、実際には個人指導しかできなかったためたいへん時間が
かかり、とてもやっかいだった。
その点手話は、ひとりの教師がたくさんの生徒にまとめて教えられ
便利だったのだが、今や時代の主流は口話だ。
口話をマスターする人が現れると、その人は尊敬を集め、賞賛された。
ろうであることと無縁になればなるほど、誉められた。
19世紀後半、口話はこのようにして広まっていったが、ベル家では
当初よりすでに、その短所を把握していた。
というのも、ベルの妻メイベルは、夫や他から長年の訓練を受けて
いたにもかかわらず、口話もリップ・リーディング
(訳注:健聴者の音声による話し言葉を唇の動きから読み取る)
もあまり上達していなかったからだ。」(P137~138)


「それでは、現実に口話をマスターしたろう者はいったいどれほど
いたのだろうか?
それはごく少数だった。
しかもその大半は、聴力を失う前に音声による話し言葉をすでに
使ってきた人たちが、難聴者、あるいは補聴器の使用者だった。
聴こえる世界と、そうでない世界を自由に行き来できたからこそ、
口話も学習できたといえる。
そうでなければ、リップ・リーディングのマスターは至難の業だった。

「ゴルフで80の記録を破るのとか、油絵の大傑作を完成させる
のと同じようなものですよ」

ろう教育者、レオ・ジャコブはこう記している。

「だいたい、音声による言語を解釈できることと知性とは何の
相関関係もないのですから」

彼によれば、ろう者がどんなに最善の環境を与えられても、
唇の動きだけからでは音声による言語表現全体の30%しか
解釈できないという。
それに、いくら相手の言葉がわかるといっても、人々がはっきり
とわかりやすく唇を動かしたときだけ、それも明るいところで、
話す人の近くにいるときだけだ。

「初めて会った人だったら、その人の言葉の50%もわからない
でしょうね。
慣れても75%から80%が上限ですね」

『シカゴ・サン・タイムス』の編集者で、リップ・リーディングのうまい
ヘンリ・キザーは、その自伝

『What’s That Pig Outdoor?
(ファッツ・ザット・ピッグ・アウトドア=外にいるあの豚は何?)』

でこう書いている。

「いくら努力しても、全体の10%は、いつもまちがいなのです」

実はこの自伝の題名も、リップ・リーディングの難しさを顕している。
息子が彼に向かって

「What’s that big loud noise?
(ファッツ・ザット・ビッグ・ラウド・ノイズ=あの大きな音は何?)」

と言ったのを、キザーが間違ってこのように解釈したのだ。
口話が主流になる前の教育程度は、聴こえる人たちには劣らな
かった。
ところが、口話が主流になって以降その成績も識字率もどんどん
下がり、この傾向は次世紀にまで引き継がれた。
ギャローデットが1972年に行った調査では、18歳のろう者の
平均学力は小学校4年生程度だったという。」(P139~140)


「1880年のミラノ国際会議で手話が公式に禁止されて以降
90年間、手話は授業の現場から抹消された。
この決定に従わない学生は手をたたかれたり、しばられたりした
という罰を受けた。
ろう者の教師も実質的に教壇から追放され、たとえば1869年に
ろう学校教師全体におけるろう者の割合は41%だったが、
今世紀初頭にはこの割合が25%に、1960年代には12%に
まで落ちこんでしまった。
ギャローデット大学はアメリカ手話を使う唯一の学校だったが、
ここでも教師はアメリカ手話をやめ、代わりに英語対応手話を
使うようになった。
実は、アメフトのハドル(訳注:各ダウンの間に攻守両チームが
円陣を組んで行う作戦会議。
作戦は普通、記号や数の組み合わせで語られる)は、もともと
1890年代この大学で、相手に自分たちの手話をみられない
ようにするため考案されたものという。
アメリカ手話は、ジェスチャーたっぷりの俗語程度にしか見られ
なくなった。」
(P143)


『ベルの手話弾圧』
電話の発明で知られるアレクサンダー・グラハム・ベルは、
ろう者を対象にした高名な教育者だったが、当時流行した
優生思想の信奉者でもあった。
・・・(中略)・・・
この彼がろう教育専門家に与えた影響が、実は、手話軽視の
主要な原動力だった。
聴こえないのは欠陥で、ろう者は「欠陥」人種。
優生思想によればこういった人種は排除されるべきともなされる。
彼は、ろう者同士の結婚は禁止すべきであると、優生学の
典型的解決策を提唱していた。」(P144)


「ベルの講演は教育の現場から手話を追放しようという国際的
な動きの台頭を象徴していた。
ろう者を統一している唯一の手段は

「身振り手振りを手段にした言語」

だ。
ろう者はこの手話があるから

「英語やフランス語、ドイツ語やロシア語とは全く違う」

発想をしている。
これがあるから、ろう者は聴こえる世界から隔てられていると
主張した。
さらに、ろうの成人はしばしば英語の理解力や表現力に欠け
ている。
だから

「ブロークン・イングリッシュ(おぼつかない、かたことの英語)」

でしか文章を書けない。
同じ国に住んでいるのに、彼(女)らとはまるで

「外国人とのように」

コミュニケーションをはからなければならない。
ろう者たちには、偉大な英文学や

「今日の政治演説、新聞や雑誌の社説」

を楽しむ能力がない、
カナダのろう学校が手話の辞書を作ろうとしているのは、
この傾向をさらに悪化させるだけだ。
痛烈な手話批判が続いた。
ベルの結論は、ろう者の教師をやめさせて口話を教えるべき、
というのだった。
当時、ろう者の14%しか音声を使ってしゃべらなかったにも
かかわらずである。」(P146)


『恐ろしい「慈善家」』
・・・(中略)・・・
それに、彼(ベル)の言う

「統合(教育)」では、ろう者たちに対する理屈もない恐怖や
誤解を取り除くことも重要なポイントだった。
ろうの生徒は今まで、

「公の場から離れた施設に追いやられてしまったため」、

彼(女)に対する「まちがった考えが」生まれるようになったとも
言っている。

「どんな理由があるにしても、聴こえる人は聴こえない人に
対して偏見をもって接している。
そのおかげで仕事や人間関係をつくる機会を失っているのだ」。

そのためには、両者がまじわる機会を増やすしかない。
ベルは主張を強めた。

「ろう者は危険で気性も激しく、扱いにくいと思っている人は
たくさんいます。
化物の一種のようにとらえられ、できるだけ避けるべき存在とも
思われているのです。」

ベルはアラバマ州で起きた事件を引きあいに出した。
この州に住むあるろう者が、手話で聴こえる人にコミュニケーションを
はかろうとした。

ところが、それは相手にとって不慣れで不愉快な仕草としてしか
映らなかったという。
その人は鉄砲でそのろう者を射ち殺してしまった。
ベルのこのような話は、彼をろう者の代弁者にした。」(P147)


「ベルはろう者の良き擁護者のように思われていたが、彼の考え方を
よくみると、ろう者は哀れみをさそう存在としてとらえられている。
最も慈悲深き行為はろう者の文化や言葉に終止符を打つこと、
さらには生まれないようにすることだった。
ろうの専門家として、そしてその代弁者としての地位を確立した人が、
哀れみを使って抑圧すれば、ろう者自身、その力をはねのけるのが
とても難しくなってしまう。
障害者であれば多くの人が本能的に察知できるかもしれない。
一番根深く恐ろしいのは、偏狭な考えをもった人の偏見ではなく、
ベルのような、自らを慈善家と称する人々の偏見だ。」(P148)


『権利としての手話』
・・・(中略)・・・
今日ろう者たちは、アメリカ手話を使うことは生まれつき自分たちに
与えられた権利だと主張している。
100年以上も否定されてきた権利の復権が求められている。
全米ろう者協会(the National Association of the Deaf)も

「ろう者には、アメリカ手話と英語の両方に流暢になる権利があります。
どちらの言葉をどこで使用するか。
決定するのはろう者自身であるべきです」

とその立場を明らかにしている。」(P149)


「ろう者の作家、キャロル・パテンとハンファイアーによれば、
ろう者の世界は、「異なった中心」のまわりを廻っているという。
聴こえる社会ではろうであることは病理だが、ろう者たちにはそれが
あたりまえなのだ。
これは障害者権利運動が障害を病理としてとらえる医療モデルの
発想を拒否するのと同じだった。
だから手話の表現でも、聴こえないことが基準になっていて、
「聴こえにくい=難聴」と描写する場合は、その基準から逸脱した
状態として表現される。
聴こえることも、同じように聴こえないという基準からずれた状態
として表現される。」(P150)


「聴こえる人たちとの違いは、違いでいい。
むしろ祝福すべきだ。
どっちにしたって生涯はずっとあり続けるのだから、障害者は結局、
健常者とは違う。
ろう者はろう者だけの別の世界を築くべきではないか。
こう主張した。
これは、アフリカ系アメリカ人がこの30年、統合をめぐって展開した
議論に似ている。
・・・(中略)・・・
ろう者にとっての別の世界とは、ろう者がろうの学長によって運営
されるろう者のためだけの学校に通うことを意味していた。
となると、障害者権利運動の初期の勝利といえる統合教育の義務化は、
ろう者の「分離」主義者には逆に脅威としてとらえられた。
・・・(中略)・・・全米ろう者情報センター
(the National Information Center on Deafness)
のデビット・ウォルフは、普通校へのメインストリーミングと呼ばれる
統合を、

「いろんな人種の人々を白人にしてしまうことで人種問題を解決しようと
するのと同じなのかもしれません」

と批判している。
ろうの学生を全く未知の世界に無理やり入れこめば、劣等感を助長
させるのがおちだ、とも彼は言った。」(P151)


「ギャローデット大学の抗議運動後、ろう分離教育が新たな息吹を
あげた。
ろう世界の言語と文化、価値観を学ぶ場を求める声だ。
カリフォルニア州では、ろうの生徒は同じろうの仲間(=ピア)とともに、
アメリカ手話の流暢な教師によって教育を受けなければならないという
法案が州議会を通過した。
がこれは、分離と隔離を増長させる危険性があると判断した
ピート・ウィルソン知事が、拒否権を発動し実現されなかった。
聴こえる障害者の権利運動の世界では、完全なる統合の世界をめざす
のはあたりまえともいえる。
彼(女)らの多くが、健常者と共通する価値観や生活体系などを持って
いるため、一緒にいるほうがあたりまえと、心から感じるからだ。
多くは障害のない親に育てられ、障害のない兄弟姉妹と多くの時間を
過ごし、障害のない子どもも持っている。
それと対照的に、聴こえないということは聴こえる世界とは全く違う
世界に住むことである。
聴こえる世界とのコミュニケーションから、まるっきり切り離された
世界でもある。」(P151~152)



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(※)ベル博士についての記述は、下記の記事もあるので、参照されたい。

『『ヘレン=ケラー自伝』(ヘレン=ケラー/著 今西祐行/訳)(4/5)ベル博士』
〔2014-05-04 20:00〕



『『みんなが手話で話した島』(ノーラ・E・グロース/著) 1/3』
〔2013-10-03 18:00〕

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by bunbun6610 | 2014-05-31 18:30 | 哀れみはいらない

ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610