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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

聴覚障害者心理 - “障害者”として半人前の難聴者

障害を受容できない難聴者も多い。
彼らは障害者社会ではなく、健常者社会の中で従来通り
生きることを望んでいるからだ。(※1)


(※1)当ブログ

『VIP障害者 - 障害を隠す障害者』
〔2014-04-17 18:30〕




障害を自覚できていない軽・中度難聴者もいるが、
自覚はできていても、受容することはできない
という難聴者は少なくない。
症状や障害の「自覚」と「受容」は違う。

佐村河内 守氏のように、障害は自覚しているが、
自分の都合のいいようにしか受け入れない難聴者
もいる。(※2)


(※2)〔関連情報〕

『自伝に書かれた思い出もニセモノ…佐村河内氏の“偽り人生”』
〔2014-02-13 19:30〕



『基礎からの手話学』
(神田和幸,藤野信行/編著,福村出版,
1996年6月20日初版発行


「c.中途失聴者の障害受容」の第二段階を参照。




〔参考記事〕

『障害イコール恥という感覚』
〔2011-10-22 19:27〕



>「けれども高齢者の多くは障害者権利運動とのかかわりを避けて通ってきた。
障害者の一生なんてみじめでこれっぽっちの価値もない。
こういう世の偏見とともに生活し高齢になったからだ。
障害者という烙印が自分たちに押されてしまったら自立が奪われる。
多くの高齢者はこう恐れているのだ。
障害者も高齢者も、施設などに住まず最大限の自立を実現したいという
気持ちを持っているのではないだろうか。
もしそうだとすれば、両者は本来的に強力な同盟関係を結べるはずだが、
そのためにはまず、障害イコール恥という感覚が取り除かれるのが先決だ。




難聴者には高齢難聴者も多いが、
障害者とタッグを組むのは容易ではない。


難聴者協会の、ある重鎮の難聴者は、こう言ったことがある。

「障害が軽い難聴者には、自分の都合のいいように障害者福祉
だけを利用するが、都合の悪いことにはすぐ逃げていってしまう。
役員として頑張っているのは、ほとんどが重度の難聴者ばかりだ」

これが、難聴者運動、つまりデシベルダウン運動(※3)が進まない
背景なのだろう。

彼らのほとんどは

「障害者の仲間になんか、入りたくない」

と思っている。

難聴者人口は、日本国内では600~2000万人いるとも
推定されている。
しかし、それでもろう者の団体よりも力が圧倒的に
弱いのは、彼らの団結力の弱さにある。
どんなに数が多い人たちであっても、バラバラでは弱いし、
社会の難聴者福祉は未熟なままだ。


(※3)
『デシベルダウン運動』
〔2013-09-29 19:00〕






【追記】(5月25日)


難聴者運動が進まない原因として考えられることは

(1)本人が難聴という障害を受容できない。
受容するにも長い時間がかかる人も多い。

(2)家族が子の障害を認めようとしない。
受容できない。

(3)難聴障害についての情報が乏しい。

「個人差はあれ、歳をとれば誰でもなって当たり前」

などと軽く思われている。
事の重大さも、誰もわかっていない。
支援機関もなく、本人に知識が乏しいままになり、支援が遅れてしまう。
これが「当たり前」という風潮になってしまう一因なのではないか。

(4)よい補聴器店に出会えず、そのため、自分の難聴障害に
適合した補聴器を見つけにくい。

(5)医者が「諦めて下さい」と言うのみで、その後の支援にまで
つながっていない。
医療と国の障害者福祉に連携がない。
これは、国の対策づくりに問題がある。

(6)同障者と出会える機会が少なく、障害についての貴重な
克服・受容体験を聞くことも少なくなってしまう。
どうしていいかわからない、悶々と苦しむ日々だけがいつまでも続く。
その過程でのダメージは非常に大きい。
これは難聴者にとっても、社会にとってもマイナスである。


このようなことで、世の中の多くの軽・中度難聴者は、健聴者には
なれないばかりか、障害者としても未熟なままになりやすいのでは
ないだろうか。

佐村河内氏も、その一つの例であると思われる。
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by bunbun6610 | 2014-05-22 18:30 | 難聴・中途失聴