『ヘレン=ケラー自伝』(ヘレン=ケラー/著 今西祐行/訳)(3/5)サリバン先生②

『ヘレン=ケラー自伝』(ヘレン=ケラー/著 今西祐行/訳)
(講談社・火の鳥伝記文庫 昭和56年11月19日 第1刷発行)




〔参考情報〕

『ヘレン・ケラーの生涯』
(社会福祉法人 東京へレン・ケラー協会)




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「1892年の冬、そのかがやかしい空が、まっ黒な雲にとざされてしまうような、
かなしい事件がおこりました。
そのことを思いだすと、いまでも、心につめたいものが走ります。
わたしがはじめて口がきけるようになったその年の秋のことでした。
わたしたちはまた、あの「しだの石切り場」の別荘ですごしていました。
サリバン先生は、山のもみじのうつくしさを、いろいろわたしに説明してください
ました。
わたしはそれをききながら、そんなうつくしいけしきのでてくるものがたりを、
心にうかべていました。
それが、かつて読んでもらったことのある本のものがたりであることなど、
すっかりわすれてしまっていました。
わたしの心に、ごくしぜんにうかんできたものだとばかり思っていたのです。
それで、心にうかんだすばらしいそのお話を、わすれないうちにと思って、
つくえにむかい、すぐに書きはじめたのでした。
お話ができあがると、さっそくサリバン先生に読んできかせました。
われながらうまく書けたと、とくいになっていました。
夕食のとき、あつまった家の人たちにも読んできかせました。
みんなは、じょうずに書けているに、びっくりしました。
だれかが、あまりじょうずに書けているので、本で読んだお話ではないのかと、
たずねました。
わたしはびっくりしました。
そんな話を読んでもらった記憶は、まったくなかったからです。
「いいえ、ちがうわ。
これはわたしがつくったお話よ。
アナグノス先生のお誕生日のお祝いに、おおくりするのよ。」
わたしはいいはりました。
あくる日、わたしはそのお話を清書し、題を「秋の葉」とつけました。
しかし、サリバン先生に相談して考えなおし、「霜の王さま」とつけかえました。
そして、じぶんで郵便局までもっていきました。
パーキンズ学院のアナグノス先生は、たいへんよろこんでくださいました。
そして、学院の雑誌にそのままのせてくださったのです。
その知らせをいただいたとき、わたしは、天にものぼる思いでした。
だが、まもなくわたしは、その天から地面にたたきつけられなければ
ならなかったのでした。
わたしがボストンにもどってまもなくのことです。
わたしの書いたお話が、マーガレット=キャンビーというかたの、
『小鳥とその友だち』という本の中にある「霜の妖精」と、文章がひじょうに
よくにているということがわかったのです。
わたしは、きっとだれかに、いつかこのお話を読んでいただいたことがある
のでしょう。
それがわたしの心に残っていて、こういうことになったにちがいありません。
わたしは、たいへんもうしわけのないことをしたと思いました。
でも、いつ、どこで、「霜の妖精」などというお話を読んでもらったか、
どうしても思いだせません。
もしサリバン先生に読んでいただいたのだったら、まっさきに先生が
このことにお気づきになったはずです。
サリバン先生は、なにもごぞんじありませんでした。
ふつうのかたには、ちょっと考えられないことかもしれません。
でも、目も耳もないわたしは、そのころ、本を読むといっても、著者のことなど、
考えたこともありませんし、じっさいの世界をこの目で見たのは、赤んぼうの
ときの十九か月間だけなのです。
あとはすべて、手にふれ、他人の話をきき、本を読んで想像し、じぶんの
心の中に一つの考えをつくりあげてきたのです。
まだおさなかったわたしには、わたし自身の考えと、他人をとおして吸収した
考えとのさかいめが、はっきりわからなかったのです。
それで、こんなことがおきてしまったのだと思います。
アナグノス先生は、はじめ、わたしをしんじてくださいました。
ところが、学院のひとりの先生が、ある日わたしに、「霜の王さま」のことを
おたずねになりました。
わたしはしょうじきに、「霜の王さま」という題名を、サリバン先生に相談したこと、
また、秋のもみじや、霜について、いろいろ先生からおそわったことを
お答えしました。
わたしはその答えに、なにかわたしが、キャンビーさんの「霜の妖精」を
わざとまねをしたと、白状したように思わせるものがあったのでしょうか。
その先生はさっそく、わたしが白状したかのように、アナグノス先生に
つたえてしまわれたのでした。
アナグノス先生は、それをおききになって、わたしにだまされたとお思いに
なったようでした。
サリバン先生とわたしが、わざと他人の文章をぬすんで、先生にほめて
いただこうとしくんだことだと、お考えになったのでした。
やがて、学院の先生と役員でつくられた審査委員会に、わたしはよびだされる
ことになりました。
しかもその席には、サリバン先生といっしょでなく、わたしひとりでくるようにと、
いいわたされました。
まるで、罪人をさばく裁判のようです。
委員のかたたちは、はじめから、わたしに、「霜の妖精」をサリバン先生に
読んでもらい、それをぬすんで書いたことをみとめさせようと、きめてかかって
おられるようでした。」(P107~112)


「わたしが、ナイアガラのすばらしさに感動したといいますと、たくさんの
かたがたが、とてもふしぎがられました。
「あなたは、たきを見ることも、そのひびきをきくこともおできにならないのに、
どうして、なにをそんなに感動なさったのですか。」
こういうふうに、おたずねになるのです。
わたしはお答えしました。
「なにを感動したかって、それはとてもいいあらわすことはできません。
ちょうど、あなたが、『愛』とか『善』とか、うつくしい信仰を、見ることも
きくこともなしに感動なさるのとおなじことです。
とても説明できるものではありません。」」(P117~118)


「『大学受験』
二年間のろう学校生活をおわると、ボストンのとなりのケンブリッジに
ある女学校に入学しました。
おなじ町にあるラドクリフ大学にはいる準備をするためです。
ケンブリッジ女学校は、もちろんふつうの女学校です。
わたしのように、目が見えなかったり、耳がきこえない生徒が入学した
ことはありませんでした。
わたしはあいかわらず、サリバン先生といっしょに授業をうけ、
授業をぜんぶ通訳していただかなければなりませんでした。
いちばんこまったのは、教科書でした。
これは、ロンドンとフィラデルフィアの友だちが、ぜんぶ点字に訳して
くださることになっていたのですが、なかなか、まにあいませんでした。」
(P126~127)


「ラドクリフ大学にすすむためには、いろんな学科について、それぞれ
予備試験をうけておかなければなりません。
わたしは、ケンブリッジ女学校で一年の授業をおわると、まずドイツ語
・フランス語・ラテン語・英語・ギリシア・ローマ史の試験をうけました。
語学にはそれぞれ、初級と上級があって、ぜんぶで九時間の試験を、
五日間にわたってうけるのです。
大学に入学するまでには、ぜんぶで十六時間の予備試験に合格しなけ
ればなりません。
わたしは、その半分以上を一年めにうけたのですが、ぜんぶに合格し、
とくに、ドイツ語と英語では、優秀賞をいただきました。
しかし、ふつうの人たちとちがって、わたしの試験はたいへんでした。
ほかの人たちはペンで答案を書きますが、わたしは、タイプライターで
うたなければなりません。
その音が、ほかの受験生のじゃまになるかもしれないというので、
わたしだけは、べつのへやで試験をうけることになりました。
試験中は、サリバン先生がついてくださるわけにはいきませんでした。
かわりに校長先生が、指話法で試験問題を読んでくださり、へやの
入り口には、試験官がひとり立っていました。
さいしょの日はドイツ語でした。校長先生が、まずはじめに、問題を
とおして読んでくださいます。
二度目には、文章を一つ一つ読んでくださり、わたしがそれを声に
だして読み、かんぜんにわかったかどうか、たしかめてもらいます。
わたしが答えを書くと、それをまた先生が、わたしの手に、わたしが
書いたとおり読んでくださいます。
そのときまちがいに気がつくと、先生はまたそれを、わたしのいう
とおり答案を書きこんでくださるというわけです。
試験がすむと、ギルマン先生は、その答案はわたしが書いたもので
あるという証明書をそえて、大学におくってくださいました。
予備試験は、すべて大学で問題がだされ、大学の試験官が採点する
のです。」(P129~130)


「こうしてわたしは、学校はやめましたが、おくれることなく、友だちと
いっしょに、いよいよラドクリフ大学の最終試験をうけることになりました。
1899年6月29日と30日の二日間です。
第一日は、初級ギリシア語と上級ラテン語、第二日は、幾何(きか)
・代数・上級ギリシア語の試験でした。
大学は、わたしがサリバン先生の力をかりることをいっさい禁じました。
そして、サリバン先生のかわりに、パーキンズ学院のバイニングという
先生におねがいして、試験問題をすべて、点字にうたせました。
バイニング先生は、わたしのまったく知らない先生でした。
ですから、点字のことに関するほか、いっさい質問することはゆるされ
ませんでした。
点字をたどって問題をとくことができても、いったんその答えをタイプライター
で書いてしまうと、もうそれを読みかえすことはできません。
あとで、もしまちがいに気がついても、訂正することもできませんでした。
でもわたしは、合格することができました。
困難が多ければ多いほど、それをのりこえられたときは、うれしいものです。」
(P134~135)


「『あなたはそんなおからだで、あの大学の講義をどのようにして
おうけになったのですか。』
わたしはよく、そういってたずねられます。
教室では、わたしはたったひとりでいるのとおなじです。
教授はまるで、電話で話している人のように、遠いものに思えました。
講義は、できるだけはやく、サリバン先生がわたしの手に、ききながら
つづってくださるのですが、それはまるで競争みたいで、わたしは、
おくれないようにと、そのことに気をとられてばかりいました。
まるでうさぎをおう猟犬のように、ことばはわたしの手をとおりぬける
ばかりです。
もっとも、ほかの学生だって、たいしてちがってはいなかったでしょう。
学生たちは、耳からきくと、めちゃくちゃなスピードで、それをノートに
書きうつすことにばかり心をうばわれているようでした。
とても、教授が論じておられる問題について注意をはらうことなど、
できそうにありませんでした。
わたしの手は、講義をききとるのにせいいっぱいで、ノートすることは
できません。
家に帰ってから、思いだせるだけを書きとめておくだけでした。
わたしがほかの学生におくれずに勉強しようとすると、苦労なさるのは、
やはりサリバン先生でした。」(P138~140)


「・・・わたしは勉強をなげだしてしまいたくなることもたびたびありました。
でも、わたしのために、いっしょに、いいえ、わたしいじょうに努力して
くださっているサリバン先生や、わたしのために点字訳をしていて
くださるかたがたのことを思いうかべ、またわたしは、勇気をとりもどす
のでした。」(P141)


「これまで、わたしのしょうがいのできごとを書きつづってきましたが、
わたしが本からどれだけたくさんのものをあたえられてきたか、
まだお話していないようです。
本というものが、だれにでもあたえるたのしみや知識だけでなく、
ほかの人々なら、目や耳からうけいれるものも、わたしはすべて、
本からえたのです。」(P144)


「お昼から夕がたまで、(サリバン)先生はたっぷり読んでくださいました。
『ああ、もうゆびがつかれてしまったわ。
きょうはこれくらいにしておきましょう。』
先生がそうおっしゃって、読むのをやめられたとき、じぶんで本が読め
ないのが、つくづくくやしくなりました。」(P147~148)






『――サリバン小伝―― 偉大な教師サリバン先生』〔保永貞夫〕(P204~215)

「ある日、サンボーンという人が慈善病院にきて、『だれか子どもをひとり、
すいせんしてもらい、学校で教育を受けさせたい。』と申しでました。
そのひとりに、アンがえらばれたのは、ぐうぜんにすぎませんでした。
が、これこそアンにとって、やみから光の世界へつうじる門でした。」(P211)


「・・・1886年に、アンはパーキンズ学院を、優秀な成績で卒業しました。
さあ、これから、どのような人生へ第一歩をふみだしていくか。
さすがにアンは不安でした。
そんなある日、アンは、アナグノス校長からよばれました。
『アラバマ州タスカンビアのケラー家から、ヘレンという6さいの、目が見えない、
耳がきこえない、口がきけないという、三重のくるしみをせおった、不幸な少女を
教育する先生をもとめられた。
わたしは、あなたをすいせんしたが、いってくれるかね。』
『はい、いかせていただきます。』
アンは、きっぱりと答えました。
しかし、アンはすぐに出発したのではありません。
それから六ヵ月、やはり三重のくるしみをせおった、ローラ=ブリッジマンという
少女を教育した、先代の校長ハウ博士の記録をねっしんに研究したのです。
1887年3月、21歳のアン=サリバンは、タスカンビアにむかって出発しました。
かばんの中には、パーキンズ学院の生徒たちから、ヘレン=ケラーにおくられる
人形がはいっていました。
人形に着せた服は、ローラ=ブリッジマンがつくったものでした。
ほかには、幼稚園用のナンキン玉とカード、2、3冊の点字本と点字器がはいって
いました。」(P213~215)

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by bunbun6610 | 2014-05-03 20:00 | 聴覚障害


ある聴覚障害者から見た世界


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