佐村河内氏の謝罪会見で思うこと - 感音性難聴障害をカバーする方法について

聴覚障害者と関わっておられる、ある方が佐村河内氏の
謝罪会見の内容を、聴覚障害者にもわかるように、
ブログにまとめて掲載して下さった。


『聞こえにくい人である佐村河内氏と手話
~記者会見より(追記有)』


2014年03月07日


http://blog.goo.ne.jp/kazuhiko-nakamura/e/17f6f7548a61f5401910641dd57f0e1b





そこで、思ったことを書いてみることにした。



〔手話、要約筆記通訳に慣れていない軽度難聴者に、まれにある事例〕

まず、上の文中より、


「実際には、「謝罪まだない」といった意味合いのことまでは、
手話通訳者は表現していませんでした。
その部分を通訳しようと手話通訳者が佐村河内氏が呼んだのを
見て、神山氏が

「まだ手話通訳終わっていませんよ」

と発言した流れのようです。」



このあたりのところで、勿論、テレビも見ていないし、
仮に見たところでも、聴覚障害者の私には音声が
聞こえないのですから、判断のしようがない。

ただし、気になったのは、神山氏が

「まだ手話通訳終わっていませんよ」

と言ったとき、佐村河内氏は神山氏のほうを見ていたから、
ということなのだろうか?
(そうとしか、思えないが)

だというのなら、これは私にしてみれば、
いや私だけでなく「全聾」の人には信じられないことだ。
(実際は、現在の佐村河内氏は「軽度難聴」だったことが、
この記者会見で明らかになった)

それでは手話通訳を見ていなかったのかもしれない。
通訳者を配置した位置、角度にもよるだろうが。

もし、手話通訳者と神山氏の立っている位置が、
全然違う方向だったのなら、佐村河内氏は両方を同時に
見ることは無理だろうと思う。
手話通訳の最中に神山氏のほうを見ていたなら、
手話通訳の話の全部までは理解できないことになる。
それを「見抜いた」と思った神山氏は

「まだ手話通訳終わっていませんよ」

と言ったと考えれば、筋が通る。

だとすれば、佐村河内氏は、聴覚障害者用通訳の利用に
慣れていないのではないだろうか、と思われる。

本当に、耳が全く聞こえない利用者の場合は、
通訳者を全面的に信頼しているし、通訳が終わるまで、
通訳をしっかりと見る。
と言っても、時々は相手の顔も確認程度にちょっと見るが。

ところが、佐村河内氏の場合は、混乱している様子に思える。
中途半端に聞こえるがゆえに、耳で声を聞きながら、
聞こえの不自由さをカバーするために、補助手段として手話通訳
を利用しているのだろう。
私も中度難聴のとき、それをやっていた。
しかし、それではやはり、混乱してしまうこともあった。
聴こえなくなった今は、通訳のほうをしっかりと見ている。
そして、通訳が終わってから、相手の方を見て、話し始める。
そうしてからは、混乱はほとんどない。

ちなみに、通訳者自身が通訳の最中、何か話しかけることは
ないと思う。
よほど何かある場合を除いては、だが。

手話通訳者から表出されている内容は全部、相手が話している
言葉だけだということだ。
手話通訳は、一度だけしか見ることができない。
だから、しっかりと見ることが大切だと思う。


次に


「この記事を読んだ耳鼻科医の方から、語音聴力検査に
関して事実誤認があるのではないかというご指摘を
いただきました。

佐村河内氏は右耳の語音明瞭度が71%ですが、文章の理解力
という点では90%以上になっているのではないか。
騒音などで聞き取りにくい時はあったでだろうが、
会見の際も右耳を通して情報は入っていたのではないかと
いうことです。」



〔感音性難聴について ――私が、上の耳鼻科医の話で、疑問に思うこと〕


「右耳を通して情報は入っていたのではないか」

の意味を、皆さんはどう捉えるだろうか?
ここが、非常に重要なところだ。
感音性難聴者は、健聴者とは違うからだ。

神山氏の話し声が聞こえて、神山氏のほうを向いたからといって、
それは決して、佐村河内氏が神山氏の話を聞き取れたとは
限っていない、と思う。

「音声が聞こえたかどうかは、本人にしかわからない」

これは間違いで、実は聴力検査で調べることができる。
あるいは、この謝罪会見でも、佐村河内氏が(話し出した)神山氏の
ほうを向いたのだとしたら、音声が聞こえた、ということだろう。
軽度難聴なら、比較的軽い障害なので、音声はわかるだろう。

けれども

「聞き取れたかどうかは、本人にしかわからない」

これを間違いだと証明する医学的な根拠まで、健聴者の医師には
あるだろうか?

これが感音性難聴の一番の問題点であり、健聴者はこれを理解
していないように思われるのである。
国の障害の認定基準についても、ここが未解決なまま、
現在の高基準に定めてしまったのである。


これは、私の経験上の話であるが、母の話し声は、
小さい時からずっと聞いていた。
しかし、親父はいつも無口だったので、コミュニケーション、
その声を聞くことすら、ほとんどなかった。
それが私の聴能にも関係しているのかどうかわからないが、
母の声は補聴器でもわりと聞き取りやすいように思う。

反対に、親父の声は、何度繰り返し言われても、
全くと言っていいほど聞き取るのが苦手である。
それで、親父とは今でも、全く話をしない。
感音性難聴のせいなのか、幼児期に聞き慣れることが
できなかったせいなのかわからないけれども、
そういうことが、感音性難聴障害を持つ私にはある。

こういう性質の難聴であるから

「話の理解力が90%以上だろうから」

などというひとことで片付く問題ではない、と思う。

「あの人の話し声は聞き取りやすいが、
こっちの人の話し声は聞き取りにくい」

といった、健聴者には信じられないようなことが、
本当にあるのだから。

人間生活を営む人間にとって、パーセンテージで聞き取れる
割合を出すことに、意味があるのだろうか?
同じ言葉を何回も聞き間違えたり、聞き取れないといった
障害は、今の医療技術では治せない。

あるいは、補聴器の音量を増幅すれば、多少は聞こえるよう
になるにしても、やはり性質上の問題なので、改善の限度がある。

それ自体の問題であるのに、なぜ「理解力は90%以上」
とかいった、健聴者の勝手な推論で決定されてしまうの
だろうか、と思う。

例えば、私の場合「冷蔵庫」と「冷凍庫」をよく聞き間違
えるが、会社などで聞き間違えて作業をしてしまった自分
の責任は重いのです。

しかし、これは「合理的配慮」(差別的取扱いをなくすこと)
によって、解決できる。
医学での解決を待っていたら、聴覚障害者はいつまで待つ
ことになるのか、考えていただきたい。

仮に90%以上の理解力であったとしても、社会生活では
大きな問題になる。
そこのところを、医者も国も、わかっていないのではない
だろうか。

多くの感音性難聴者が

「日本の場合、聴覚障害の認定基準に疑問がある」

と漏らすのも、そういうところに矛盾があるためだと思う。

社会に住む全ての人々が本当に幸福に暮らすためには、
障害の定義について、医学モデルから社会モデルにする
必要がある、と思う。


話がそれてしまったが、佐村河内氏の件でも同じだ。
たとえ軽度であっても、聴覚障害者用の通訳を利用するのは
適切だと言えると思う。
大事な記者会見でならば、それにきちんと答えるためにも、
なおさらきちんとした情報保障が必要である。

ただし、軽度難聴者で手話通訳というのは、違和感がある。
それほど珍しい事例だと思う。
利用者によって、手話通訳は難聴者の手話と同じにしたり、
ろう者の手話に近い手話にしたりすることはできるが。

難聴者に圧倒的に多い通訳は、要約筆記という通訳である。
これには、手書きかパソコンによる方法がある。
手話がある程度できる難聴者でも、大事な場面ではこの方法が
圧倒的に多いと思う。
なぜか?
それは、日本語を母語とする難聴者・中途失聴者が手話通訳
を利用するのは、やはり疲れるからです。
長時間ならば、なおさらだ。
佐村河内氏とて、例外ではないはずだ。
あの手話表現力を見た限りでは、手話の読み取り能力も、
そんなに高くはないと思う。
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by bunbun6610 | 2014-03-16 18:17 | 難聴・中途失聴


ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

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