聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由②

(※)この記事は、一人の聴覚障害者が、個人的な見方を
述べたものに過ぎないことを、予めお断りしておきます。
個人の経験から得ている事実のほか、推論まで加え、
時間をかけて書き上げたものです。
見えない障害であり、そしてこの障害について、医学的にも
まだまだ解明が進んでいない以上、このような試みによって、
少しでも理解してもらうより、他に手はないと思ったからである。

もちろん、もしかしたら、誤っている部分もあるかもしれません。

また、この記事を書いている最中に、佐村河内氏が中度難聴者
であることが再検査の結果判明したが、佐村河内氏だけに限った
問題ではないので、中途失聴者や中途難聴者への理解の一助
になればと思い、本稿をそのまま記事にすることにした。

個人的に書いた記事である以上、賛否両論が起きてしまうことは、
仕方がないと思う。

恐れてばかりいて何もやらないでいては、何も変わらないだろうから。






「ろう者と難聴者、中途失聴者の声は違う」

という指摘について。




『聴覚障害者でも、しゃべれる人がいる理由①』
〔2014-03-14 18:30〕


では、聴覚の障害等級2級には、ろう者だけでなく
中途失聴者、人工内耳装用者なども含まれている
ことを話した。
(人工内耳にした耳は、残存聴力を全て失うという
リスクがあるらしい)

聴力レベルがほとんど同水準の人たちも多くいて、
どの人も一般には「耳が聞こえない」と、
よく言われる人たちだ。

仮に健聴者が、普通に話すことができる中途失聴者
だけを疑うのなら、その前に国の認定基準を疑うべき
なのではないだろうか。

私も、ろう者が2級なら、中途失聴者は3級でなければ
おかしいのではないだろうか、と思う。
なぜなら、言語障害と合わせた等級が1級という、
さらに上のランクがあるのだから。


しゃべれるか否かの理由について、医者や学者は
どう説明しているのか、私は全く知らない。
それでも、自分なりにその説明を試みるとすれば、
やはり「音の記憶」を持っているかどうかが重要ポイント
になる、と考える。


難聴者の声を記した古い書物に

「大学病院の一医師から、

「聞くことをやめてはいけない、ラジオに耳を押しつけて
でも音を聞きなさい」

といわれた。」(P25)



と書いてある。
これはどうしてだろうか?

その幼児期(0~6才頃)に、音声をたくさん聞き、
覚えることが、言葉を話したり、音の世界で社会的な動物、
つまり人間として生きていくために必要だから
なのではないだろうか。


「三歳児ぐらいで聞こえるか聞こえないか検査して、
聞こえないとなれば早教育をやらなければならない。

というのは、ろうの子どもは言葉そのものから教育
しなければならない。
健全児や盲児は学校へ入るまでに言葉を覚えるという
ことは済んでしまっている。」(P174)



岩波新書『音から隔てられて - 難聴者の声 -』
(入谷仙介、林瓢介/編者 1975年7月21日/第1刷発行
 株式会社岩波書店/発行所)
より引用。


上の話は、医者の医学上の話よりも、はるかに意味深い
経験的事実を物語っていると思う。

中途失聴・難聴者の人工内耳の適性検査でも、
音声の記憶があることや、リハビリという困難を乗り越えよう
とする強い精神力が必要とされるらしい。
音に対する強い関心が重要だ。
ろう者は反対に、視覚で理解しようとするので、
向いていないらしい。
人工内耳をせっかくつけても、装用者が人工内耳と頭の中で、
音の世界を再構築しようとしないならば、無意味だろう。
実際にろう者には、失敗例もあるそうだ。

健聴者は、それがあまりにも自然にでき、
そして身についてしまっているから、
気づかないのではないだろうか。
中途難聴者や中途失聴者も、それは同じだった。

しかし、ろう者は違う。
元々聞こえないために、言葉のアクセントやニュアンス、
使い方(TPOなど)も知らなかったりする。
音声言語の獲得に苦労するため、発音もおかしかったりする。
これでは健聴者が違和感を覚えても、無理はないだろう。


私は以前、難聴者や中途失聴者の団体と、
ろう者の団体の両方に関係を持っていたが、
難聴者・中途失聴者の団体内には、
実にさまざまな人がいた。

その人たちの声だけを見ても、老人性難聴者や中高年に
なって失聴した人よりも、子どもの頃に難聴になった人、
失聴した人のほうが、どちらかというとろう者に近い人もいた。

あるいは青年期に難聴になった人や、失聴した人もいたが、
その人たちの場合は中間型だとも思えた。

つまり、それぞれの事情が異なるがゆえに、
聞こえにしても声にしても、アナログ世界のような
多様性が見られたのであった。
したがって、厳密にこうだと説明することはできないのである。


聴覚障害者の声については、他にも、参考になりそうな
ものがある。
三重苦の人ヘレン=ケラー氏の自伝書である。

一歳で視力と聴力を失ったケラー氏も、発声訓練に挑戦したが、
健聴者並みにはうまくなれなかったようだ。
しかし、自分の喉に手を当てて、声を調整し、簡単な単語を
言うことはできるようになったようだ。


また、喉のガンとかで声帯切除した人などで、
しゃべれなくなってしまった人も、この方法で発声訓練を
やっている人がいるそうだ。

彼らの場合は、耳が聞こえるので、この訓練を積み重ねる
ことで、小さな声でどうにかしゃべることができるらしい。

重度の聴覚障害者も、同じようにして自分のノドのふるえを
感じて、音程を変える訓練ができるらしい。

このような場合も、「音は聴くものではなく、感じるものだ」
という感覚のほうが、聴覚障害者の場合は強いだろう。

私は以前、一人でカラオケボックスに行き、補聴器装用で
歌ってみて、それで自分の声を確かめていた。
すると、それでも、カラオケはずいぶんと下手になったと
わかったので、他人が見ているところでは、
もう二度としなくなった。

昔は声を出して本を早読みすることも得意だったが、
今やると、ろれつが回らなくなってしまうようになった。

私も少しずつだが、衰えてきてはいるようだ。

ただ、そういうのは誰だって隠すから、健聴者には
そんなことまではわからないのだろう。

突然に聞こえなくなった人と、長い期間をかけて、
徐々に聞こえなくなっていった人とを比較しても、
その声はやはり多少の違いは出てくる場合もある
のではないだろうか。
声が維持できているかどうかには、その人の
失聴時期も大きく影響していそうだ。

また、補聴器の性能がめざましく向上していることも、
高齢聴覚障害者と若年聴覚障害者とに声の差がある
理由だろう、と思われる。

難聴者や中途失聴者の聞こえの具合がいろいろなら、
声だっていろいろだろう。
ろう者ほど均一的ではなくて、当たり前ではないか、と思う。



〔参考情報〕

『感音性難聴によっておこる感覚異常の状態や度合い
(軽度・中等度難聴編) [難聴について]』

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by bunbun6610 | 2014-03-14 18:45 | コミュニケーション能力

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