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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

難聴者の世界 - 同障者が涙流さずにいられない手記

副題;『ろう者とは対照的な生涯を歩む、難聴者の辛い人生』


岩波新書『音から隔てられて - 難聴者の声 -』
(入谷仙介、林瓢介/編者 1975年7月21日/第1刷発行
 株式会社岩波書店/発行所)



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『信濃路(しなのじ)の旅は哀しき』
〔Yさん 第二種4級 縫製加工家内業 46歳 N市〕
(P55~61)より。

「「母ちゃんのばか! なんで私を生んだの」

と難聴になった私は、母にたてついた。

「そんなこといったとて、わしんたちのころには
子どもをおろすことなんか、できせんかっただよ」

と、母はただおろおろして弁解した。

私の父は、世間でいう“つんぼ”であった。
祖父もやはり耳が遠かった。
祖父は年寄りだから、と私はそう思っていたのに。
私までがいつのまにか、きこえが不自由になってしまったのだ。

すでに、兄の中には難聴のきざしがあらわれている者があり、
遺伝性難聴を疑わざるを得なくなった私は、一瞬にして、
目の前が真暗になったのを感じた。

「このまま放置しておいたら、私の耳も、祖父や、
父のように、ひどいつんぼになってしまうに違いない。
あんなふうになるのはいやだ!
なんとかしなくては、なんとかして!」

という叫びが、母へのたてつきとなった。」(P55)


「母は、私が難聴と気づいても、一度も医者へは
連れていかなかった。
現代の医学では、遺伝性難聴が治らないことを知って
いたから。

「医者の研究材料にされて、余計に悪くなるから」

と、いつもそういっては、行かせなかった。
だから神仏に祈って、これ以上悪くならないように
したらよいと、私は、あちこちの神様へお詣りに
行かされた。

大勢の神主さんを家に招いて、ご気濤(きとう)を
してもらったこともあった。
首から上のことなら、なんでも効くという神様へも、
汽車に乗ってひとりでお詣りにいった。

文明の世の中に治らないとは知りつつも、そうしなければ、
私の心には救いがなかったから。」(P55~56)


「ハンディを持つ私は、つらくとも働かなければ主人に
満足してもらえないのだと、心にいいきかせた。

健聴の主人に、聴覚障害への理解を求めることには、
限度があるということも、知らなければならないと思った。」
(P59~60)


「「コマクサノハナヒラク」

の信州大学合格の電報を受け取った時、息子は決して
喜ばなかった。
息子には、すでに難聴という苦悩がつきまとっていたから。

私が年頃に難聴になったように、息子にも、成長とともに
難聴障害があらわれた。

大学の進路を決定していた高校二年の時、名古屋大学病院で、

「母が難聴なら、遺伝性で治らないであろう」

と、すげない宣告を受けたのである。

高校生ともなれば、「遺伝」については何もかも知っているが、
この母の私には、何ひとつぐちらなかった。
胸をつまらせてじっと悲しみに耐えていたその時のことを、
私は忘れられない。

いとしい息子までが、難聴になってしまったということで、
主人は私を憎んだ。

「お前なんかと一緒になったばっかしに、息子にまでが難聴に」

と激怒した。
思いもかけない夫の怒りを聞いても、私は何もいえなかった。
あまりにも冷たい神のむちに思えて、ただ大粒の涙がこぼれた。

私が母に、

「なぜ私を生んだの!」

と、たてついた時のことが、走馬燈のように、私の脳裏をかすめた。
そして今まで私が歩んできた苦悩の道を、また、息子があゆんで
いかなければならないことを思いながら、心の中で息子に
詫びる信濃路の旅は哀しかった。」
(P60~61)



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by bunbun6610 | 2014-03-17 18:30 | 難聴・中途失聴