自伝に書かれた思い出もニセモノ…佐村河内氏の“偽り人生”

自伝に書かれた思い出もニセモノ
 …佐村河内氏の“偽り人生”


日刊ゲンダイ 2014年2月8日 10時26分 (2014年2月9日 10時04分 更新)

http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20140208/Gendai_000203280.html


 何だか、松本清張の「砂の器」みたいだ。
ゴーストライター騒動の佐村河内守(50)のペテンが
底なしになってきた。
作曲だけでなく、経歴もウソで塗り固めていたのである。
 日本音楽著作権協会が管理している佐村河内名義の
楽曲は103曲。

「実際にはその半数が、ゴーストライターだった桐朋学園
大非常勤講師の新垣隆氏(43)の手によるものとみられている。
新垣氏は20曲以上と言っていましたが、そんなもんじゃありません」
(同協会事情通)

 作曲もウソ、全聾(ぜんろう)もウソ、それどころか幼い頃の
“思い出”まで他人から拝借していた。

 自叙伝「交響曲第一番闇の中の小さな光」によると、
佐村河内は4歳の誕生日に、地元でピアノ教室をしていた
母親から入門書「赤バイエル」をプレゼントされ、厳しい
ピアノレッスンを受けたという。

ミスタッチすれば即座に手を叩かれたと書かれているが、
これも新垣氏の過去の体験をなぞったものだという。

 広島市生まれの佐村河内は中学2年の時に、同市郊外
のベッドタウンに引っ越している。
実家は今もそこにあるが、近所住民がこう言う。

「30年以上ここに住んどって、お父さんは普通の会社員
だったんじゃけど、お母さんがピアノ教室をやっとったいう
のは聞いたこたぁないなぁ」

 佐村河内は地元の崇徳高卒業後に18歳で上京。
自叙伝には、上京したてのころ、ある映画音楽プロデューサーに、
自作の〈二十段近いオーケストラ楽譜〉を見せたが、
相手にされなかったなんてエピソードも出てくる。
しかし、佐村河内はオケ譜を書けない。
つまり、これもウソ。
 精神科医の酒井和夫氏は

「一般論ですが、過去を美化するのは詐欺師の
典型ですね。
被爆2世とか全聾など、他人の同情を買いそうな話
で自分を飾ろうとするのです」

と話す。
 もはや佐村河内という名前以外はウソじゃないかと
思えてくるが、不思議なのは、自叙伝でも高校時代に
ついてはほとんど触れていないことだ。
〈封印してしまいたい三年間を過ごしました〉などと
記している。
 高校時代を知る近所住民も、日刊ゲンダイ本紙の取材に

「佐村河内のこたぁ話しとうないです。
察してもらえたらありがたいんじゃけど」

と口が重かった。



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【追記】(3月18日)

佐村河内氏の謝罪会見(3月7日)は、本当に残念だった。

本来なら、一貫した謝罪の姿勢を示すべき会見の
はずなのに、協力者への私怨、復讐心から反撃姿勢を
見せるという、多くの被害者にとって非常に不快な会見と
なってしまった。

これでは見ていた人に

「誠意が感じられなかった」

と思われて当然だ。

佐村河内氏の言っていることの、一体どこまでがウソで、
どの部分だけは本当なのか、結局誰にもわからないだろう。

去年、彼の自伝書を購入し読んでいたのだが、
その内容もほとんどがウソだというマスコミからの
情報もある。

しかし、彼の本を読んで、聴覚障害者としての私の感想を、
素直に言うとすれば、彼が難聴になり、苦しんできたという
ことは、真実と思える。

彼の書いた内容には、難聴者特有の心理が、垣間見える。
普通に聞こえる人には、あのように書くことができない、
と思う。

障害者福祉と障害者雇用の甘い世界にどっぷりと浸かって
生きてきた聴覚障害者に、あのような苦しみがわかるだろうか。

そういう聴覚障害者が「迷惑です」と言って、一刀両断に切り
捨てるのだと思う。

社会の保安官気取りで偽聴覚障害者を暴こうとしているかの
ような報道をする、一部のマスコミも、いいかげんにして
ほしいものだ。

彼らに、彼を裁く権利はないはずだ。
彼らこそ、障害者を語る資格もない。
ああいうふうにやって、自分に都合のいい
障害者だけを認めよう、としているのだ。


ところで、NHK(現在のEテレ)『みんなの手話』が始まったのは、
もう25年ぐらいも前である。
初代講師は石原茂樹氏(日本手話通訳士協会会長)だった。

その頃だったと思うのだが、高齢の聴覚障害者(ろう者)
がゲストとして出演していて、インタビューを受けていた。
その方のお名前は木村さんという方だったか、ハッキリとは
憶えていない。

その人は、健聴者として生まれ育ったが、少年期に難聴の
症状が出て普通学校に通い続けるのが難しくなり、確か
中学あたりで、ろう学校へ転校した。
そしてその後も難聴が進行し、失聴するという障害歴を
持った方だ。

つまり、健聴も難聴もろう(聾)も経験している、
という珍しい人だ。

その人の話で、一番心に残っているのが、石原さんが

「聴覚障害者になって、一番苦しかったのは、
いつ頃ですか?」

といった質問をした時だった。
その人は

「難聴の頃が一番、苦しかった」

と答えたことでした。


健聴者とろう者(あるいは障害者)の二極性社会で、
難聴者のことは、どちらの社会も理解してもらえない。
そういう状況を、その人は客観的に見ることができて
いたのだろう。

その人は、ろう者として生きているのに、難聴者時代の
ときの、わずかな期間の苦しみを、まだ忘れてはいないんだ、
と知った。
つまりそれだけ、濃密に苦悩した期間だった、ということ
なのだろう。
それを聞いて私は、かなり救われたような気持ちになった。

その後、手話サークルへ行って、他の難聴者にも
そのことを話したら、みんなそのテレビを見ていて、
同じように感動し、励まされたのだという。

日本の場合の話だが、一日は必ず終わる。
朝、太陽が出て、夕方には沈む。
しかし、翌朝にはまた太陽が昇る。
光から闇へ、そして再び光へと。

中途難聴者と中途失聴者が経験することも、それと同じ
かもしれない。
ただし、彼らの闇は、非常に長い時間で、それは言葉
で幾ら語っても語りつくせぬ、悲哀に満ちた経験だと思う。

それを理解するのは、健聴者であれろう者であれ、これまた
非常に長い時間を要する。
まさに歴史的な努力が必要で、一人や数百人の生涯、犠牲では、
決して解決できるものではないのだ。
それでも、難聴者、中途失聴者は、それまで耐えて生き続け
なければならないのである。

真の希望とは、耳が聞こえるようになることではない。
相互受容がもたらす世界――そこにあると思う。
それは人間社会の、非常に高い理想だと思う。


2014年2月に書き上げた佐村河内氏自伝書『交響曲第一番』
についての記事は、長く非公開にしていた。

その理由は、私が異常なアクセス数になるのを嫌ったからである。
佐村河内氏関連のことを書くと、どうしてアクセスが異常になる
のかを、私は知らなかったが、ようやくそのわけがわかった。

ただ、彼の人生は、多くの難聴者の現実と、かなりの共通点もある。
当ブログでは、特に聴覚障害者の就労問題を重点的に書いてきて
おり、その具体例は彼の本にもかなり書いてあるので、難聴者研究
の参考になればと思い、ようやく公開することにした。

彼が悪いことをしたという事件は、きわめて重い事実である。
しかし、それと難聴者、中途失聴者の深い問題は別だと、
どうか理解し、考えていただきたい。



〔参考資料〕

(※)『(障害による)喪失の過程』
東京大学教授・福島智氏。「喪失の過程」「再生の過程」
http://plaza.rakuten.co.jp/masami2008/diary/200806220000/




『基礎からの手話学』
(神田和幸,藤野信行/編著,福村出版,
1996年6月20日初版発行)



「a.聞こえない世界
聴覚障害者のパーソナリティの特徴としては、従来よりも精神的な固さ、
融通性のなさ、自己中心的であることなどが指摘されている。
しかし、いずれもコミュニケーションが十分行えないために、人間関係に
おける誤解や無理解から生じた場合がほとんどである。

耳が不自由な場合、音を通じて次に何が起こるかを予測することが困難
である。
問題が生じた場合でも、健聴者なら速やかに適切な助言や指導が得られ
るかもしれないし、常識や社会規範などの目に見えない抽象的事象も
言語を介して身につけられるが、それらが困難な聴覚障害者は絶えず
抑圧と不安のなかに身をおいているといえる。

たとえば、何かの集まりがあったとする。
少し遅れて会場に入ったが、あわてていたのでドアを強く閉めてしまった。
大きな音がしたが、本人は気にせず席に着いた。
そこで、まわりの人はどのように反応するだろうか。

おそらく、ひとこと謝るべきだ、何と非常識な人だと眉をひそめるだろう。
聞こえないことの意味を「非常識」の一言で片づけられてしまう怖さを
改めて考えさせられる。

とくに自分の良き理解者であるはずの家族や周囲の者とのコミュニケ
ーションが不十分な場合は、さらに混乱に拍車をかける。
当然、不安や不満も増大するであろう。

理解されにくいといえば、三木安正が教師を対象に「障害者の中から
最も気の毒な障害者はどれか」という調査をした結果がある。

結論からいえば、視覚障害者、肢体不自由者、精神薄弱者、聴覚障害者
の順であった。

これを三木は、教師がより悲劇的と感じた順に並べた結果であると
述べている。
見方を変えると視覚障害者や肢体不自由者はある程度、外見からも
障害の困難さが理解されるが、聴覚障害者は外見からはほとんど
理解されないということである。
誤解を受ける要因の1つもこのへんにあり、聴覚障害者の悩みや不安
は深刻である。」(P20~21)


「b.中途失聴者の心理
人生の途中で起こる失聴という事態が、その人の心理にどのような
影響を与えるだろうか。

障害そのものが人格に与える影響も無視できないが、自分の障害を
どのように受けとめるかが実は最も重要なことである。
言い換えれば自分が障害者であることをどの程度納得しているかが
ポイントになる。

キャロル(Carroll,T.J.)は中途失明者について「20の喪失」として
分かりやすくまとめている。
対象は異なるが、聴覚障害者にもあてはまると思われるので、
聴覚障害者に置き換えて紹介する。

(1)心理的安定の喪失(身体の完全さの喪失・残存感覚の信頼性の
喪失・環境把握の困難性・音のもたらす安らぎの喪失)

(2)生活動作の喪失(日常生活の困難性・行動力の減少)

(3)コミュニケーション手段の喪失(音によるコミュニケーションの喪失
 ・会話の容易さの喪失・情報入手の喪失)

(4)文化享受の喪失(音で楽しむことの喪失)

(5)職業・経済基盤の喪失(職歴、職業目標、就業の機会の減少
 ・経済的安定の喪失)

(6)結果としての人格の完全さの喪失(自立性の喪失・社会的適切さ
の喪失・自尊心の喪失・豊かな人格形成の喪失)

これらは障害の違いや時代の違い、個人差などを考慮した場合に
必ずしもすべてがあてはまるとはいえない。
しかし、心理的安定の喪失をはじめとして中途失聴者が必ず直面する
課題であることにかわりはない。」(P21)


「c.中途失聴者の障害受容
中途失聴者は、障害を受けてから、それを受容し、再出発するまでの
間の心理的状況はさまざまであり、この心理的過程を4段階に分ける
ことができる(図1-2参照)。

第一段階は障害の発生から失聴宣言を受けるまでで、医療を中心と
した時期である。

第二段階は将来の見通しが立たず悶々とした日々を過す心理的葛藤
の時期である。
言うに言われぬ不安感、周囲の者に対する依存、そして劣等感にさいな
まれるもっとも辛く苦しい時期でもある。


第三段階は生きる意欲や目的を見出し新たな人生を踏み出す障害受容
の時期である。
この頃になると「読話訓練」、「聴能訓練」、「手話訓練」などにも積極的に
取り組むようになる。

第四段階は職業決定の段階で、既婚者であれば経済的基盤の確立が
成るか否かの瀬戸際に立たされる時期でもある。

すべての人が同様の過程をたどるとはかぎらないが、中途失聴者の
社会復帰までには数年を要するのが普通である。
」(P22)



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【追記】(3月20日)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140320-00000169-jij-soci


「音楽修業はすべてうそ」
 =講談社が佐村河内さんと面談


時事通信 3月20日(木)21時30分配信


「耳の聞こえない作曲家」として知られながら別人に楽曲を作曲
させていたことが問題になった佐村河内守さん(50)の著作
「交響曲第一番」について、発行元の講談社が20日、

「佐村河内さんから

『音楽修業・音楽修学に関することはすべてうそです』

と釈明があった」

などと発表した。
同社ホームページで公表した。

 同社は出版に至る経緯を面談で調査。
出版当時の担当編集者らは佐村河内さんの楽曲にゴーストライター
がいることは全く見抜けなかったという。
佐村河内さんは著作にある音楽修業・修学は全てうそだったと
しながらも、本に書かれたそれ以外のことは事実で、著作には
ゴーストライターはいないとの釈明と

「読者の方々には誠に申し訳ございませんでした」

と謝罪があったという。
 同社も

「うそを見抜くことができず出版してしまったことを重く受け止め、
読者の皆さまには心よりおわびします」

などと謝罪した。
 同社は2月5日に同作品を絶版として、回収措置を取った。



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http://www.kodansha.co.jp/upload/pr.kodansha.co.jp/files/samura.pdf

『交響曲第一番』(佐村河内守著)に関する
お詫びとお知らせ


(PDFファイル) - 講談社(3月20日)

弊社ではかねてより、『交響曲第一番』出版に至る経緯の
把握と事実関係の確認作業を行ってまいりました。
この間、当時の編集責任者、編集担当者および著者である
佐村河内守氏にも面談し、事情聴取を行いました。
編集責任者および編集担当者からは、佐村河内氏の作品
とされる曲に関してゴーストライターが存在することはまったく
見抜けなかったことを確認いたしました。

また、佐村河内氏本人からは

「『交響曲第一番』に書かれている音楽修業・音楽修学に
関することはすべて嘘です。
それ以外の、本に書かれたことは事実です」

「本に関して、ゴーストライターはいません」

「読者の方々には誠に申し訳ございませんでした」

という釈明と謝罪がありました。
弊社といたしましては、その嘘を見抜くことができず出版して
しまったことを重く受け止め、読者のみなさまには心より
お詫び申し上げますとともに、今後このようなことがないよう
十分留意してまいります。

なお、同書に関しましては、すでに2月5日に絶版・回収措置
をとっております。

2014年3月20日講談社広報室


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by bunbun6610 | 2014-02-13 19:30 | 難聴・中途失聴
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