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蒼穹 -そうきゅう-

バリバラ団の「がんばらなくていい!」に賛否両論

昨年12月27日(金)放送の『バリバラ』に


『突撃! バリバラ団 in 大阪駅』
〔2013年12月27日(金)〕



という内容の番組があった。

そして、それに対する視聴者の反応を暫定的にまとめたのが


『テーマ;「差別」 突撃! バリバラ団・反響編』
〔2014年1月31日(金)21:00~21:30放送〕



という番組だ。

今後も、この「かんばらなくていい!」という、
バリバラ団の声に対する賛否両論は、
次々と沸き起こりそうだ。

私自身が、これらの番組を初めて観た当時のことも
振り返って、考えを率直に述べてみたい、と思う。

健常者のほとんどが

「がんばれ」

とか言ってきたことについては、私も全然驚かない。
事実、よくあることなのだから。

ただそれに対して、障害者が

「がんばらなくていい!」

と主張したのは、初めて見たし、驚いてしまった。
アメリカなんかでは、すでにあるのだろうが、
日本の障害者が起こしたのは、まだまだ珍しいことの
ように思う。

「なかなか言えなかった事を、とうとう言ったな。
よくやった!」

というふうな気持ちと、

「へ?!」

という意外な気持ちとが、複雑に入り混じっている
感じだった。
そして

「そうかなぁ?
オレはそういう主張に共感はできないんだけどな・・・」

とも思った。

ただ、自分がそう思うのは、自分の今の立場ならそう思う
のであって、もし他の障害者の立場であったとしたら、
今の考え方ではないだろう、とも思う。

そのうちに番組のほうも、「がんばらなくていい!」と
主張する障害者たちの真意を、幾つか紹介しはじめた。

すると、「なるほど・・・」と納得のいく理由も数多く
あることがわかった。

脳性まひ障害者の小山内美智子さんも、自著に次のように
述べている。


「養護学校や施設では、脳性マヒの子どもに、
『やればできる』という方針で、
汗水流して自分のことは自分で、
という教育をしているが、
三十代で肉体が衰えることを実感してみると、
あの教育も考えなおさなければならないのでは
ないだろうか。」



『『車椅子からウィンク 脳性マヒのママがつづる愛と性』(1/2)』
〔2013-09-16 18:00〕
 より。



疑問に思った体験は、実は聴覚障害者の私にもあった。

パティシェの仕事をしていた時、よく「冷蔵庫」とか
「冷凍庫」という、よく似た言葉が、先輩の口から
飛び出してくる。
この2つの言葉は非常によく似ていて、感音性難聴の
私は、聞き分けることが難しかった。
それに悩んでいた私は、ある日、先輩に相談したのだ。

私;「先輩が「これは冷蔵庫に入れて」とか、
「冷凍庫に入れて」とか指示しますが、
僕はこの2つの言葉を正確に聞き分けることができません。
だから、冷蔵庫なら「あっち」(指差しで)とか、
「冷凍庫」なら「こっち」(指差しで)とか、
ジェスチャーを交えて指示してもらえると、
コミュニケーションが確実になる、と思うのですが・・・」

先輩;「何で、そんなことしなくちゃならないの?
私たちは、あなたのために、聞き取れなかったら何度も何度も、
繰り返し言うから」

これには内心、呆れてしまった。
私の障害について、先輩は正しく理解してくれなかったからだ。
しかし、こうまで親切そうに言われると、もう我慢せざるをえない。

要するに、もしも先輩の話に続きがあるとすれば、次のように
なっていただろう。

「私たちも一所懸命、あなたのためにこうしているのだから、
あなたも頑張って聞き取ってね」


だから私はその時、とても憂鬱な気持ちになった。
これは「がんばらなくていい!」と主張している障害者たちの
気持ちと、おそらく同じだろう。
健聴者の考えた、まさに原始的というか、思慮の足りぬ対策で
聴覚障害者が頑張ることに、何の意味があるのだろうか。

読者の皆さんは、この先輩の配慮を、どう思うだろうか?
先輩に、聴覚障害に対してサポートするという気持ちがある、
ということはわかる。
しかし、よく考えてみると、これは適切な、合理的配慮だろうか?

私はその点について疑問、と言うよりも、ハッキリと
「おかしい」と思っている。
ところが、当時は自分さえも「合理的配慮」なんて知らなかったし、
やはりそこまでは言えなかったのである。

残念だが、忙しい最中に何度も何度も同じことを言われては
聞く、という状況は改善できず、そのうちにお互いに疲れて
きてしまい、どっちも面倒くさい雰囲気になってしまった。
それが、見ていた周りの人にも悪影響を及ぼしていた、と思う。

「やっぱり、聴覚障害者はダメだな」

と思われていただろう。

障害のことを理解されない寂しさは、だんだんと深さを
増してゆき、数年後、その職場を去ることになった。

こういうことで苦しんでいる聴覚障害者は、今でも少なくない
のではないだろうか。

本当のことを言うと、こんな無意味な“頑張り方”をしても、
お互いに虚しくなるだけなのだ。

お互いにとってプラスになる方法(合理的配慮)を
考えていない“頑張り方”でしかない。
健聴者の考えた“頑張り方”の、典型的な失敗例である。

でも、だからと言って「がんばらなくていい!」はおかしい。

そんな主張をするより、お互いに適度に“頑張れる方法”
を見つけ出して、一緒に頑張ったほうがいいじゃないか。

それは、小山内美智子さんの、下の言葉の通りだと思うが。


「現在、歩行訓練や手をつかう訓練はあるが、
足をつかう訓練が行われていないことを、
私は残念に思う。
健常者と同じところを同じように動かそうという
訓練だけでは、絶対にだめだ。
動かないところはいくらやっても、動かないのだから。

それより、足でどうやって鉛筆を持つかとか
口でどうしたら字が書けるとか、残された機能を
生かすリハビリのしかたを発明してほしい。」



『『車椅子からウィンク 脳性マヒのママがつづる愛と性』(2/2)』
〔2013-09-16 19:00〕
 より。



現実はどうだろうか?
足で鉛筆を持つ人を、オフィスで働かせている会社は、
日本にあるだろうか?

聴覚障害者へ、手話の使用を推奨する会社は
あるだろうか?

恥ずかしがらずに、手話を積極的に使う健聴者は
いるだろうか?



『X-MEN ファースト・ジェネレーション』

という映画がある。


ミュータント(突然変異種)の苦悩が描かれているが、
あれは、障害者問題をヒントに脚本が作られているのでは
ないだろうか、と思う。
“ミュータント”や、彼らの“わたしたち”“われわれ”
という言葉を、“障害者”に置き換えて観てみると、
どうだろう。
障害者にも健常者にも、きっと何かを知ることができるだろう。

この世界は、どちらか一方のものではない。
どちらか一方の選択ではなく、調和が大切なのだ。
それが解決策であり、めざすべき理想だ。
いかにバランスを保つか―それは民主主義によって
なされるべきであり、保たれなければならない。
指導者だけではないのだ。


ミスティーク;「(私たちミュータントは)普通とは違うけど、
社会に迎合すべきじゃない。
社会が私たちを尊敬すべきよ」

ハンク;「言っておくけど、僕たちが世界を救い、
社会に受け入れられても、
僕の足や君の青い肌は、美しいと思われない」




また、別の意味では、乙武匡洋氏の書いた小説
『だいじょうぶ3組』も思い出す。

『オンリーワンへ努力する意味』
〔2013-04-23 18:00〕




頑張ってみて、挫折する体験をすることも、健常者だけ
でなく障害者にも、決して無駄ではないだろう。
ただ健常者に、いい加減にもう勘違いをやめて欲しい
ことは、障害者本人に無意味な努力を強いたのでは、
決して本当の「挫折」を実感できるわけがないということだ。

本当の挫折ならば、そこから新しい道が見えてくることも
あるだろう。
努力してみないとわからないことだって、たくさんある。
なのに、それもしないで「がんばらなくていい!」と主張し、
居座り続けていたら、それは何に見えるだろうか。

聴覚障害者の場合は、頑張れないことはない、と思う。
オリンピックには、4つあるらしい。

健常者の「オリンピック」と、身体障害者の「パラリンピック」、
知的障害者の「スペシャルオリンピックス」、
そして聴覚障害者の「デフリンピック」だ。

デフリンピックを見れば、聴覚障害者だって、頑張ればできる、
ということがわかるだろう。


〔デフリンピック〕

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C7%A5%D5%A5%EA%A5%F3%A5%D4%A5%C3%A5%AF

『パラリンピックとの違い』で

「聴覚障害者は他の障害に比べて身体能力が高いことから、
パラリンピックへの出場が認められていません。
そのため、デフリンピックがあるわけです。」

と、説明されている。




昨年、Eテレ『ろうを生きる 難聴を生きる』では、
聴覚障害者向けの新しい装置を紹介していた。

100メートル走など、スタートで一瞬の遅れが生じる
聴覚障害者には不利な面があった。
それをなくすために、スタートの瞬間を音声で伝えるだけでなく、
電光表示に連動させたのである。
これで、聴覚障害者も健常者と対等に競技できる、
と注目を集めている。
これで聴覚障害者だって、より頑張り甲斐が持てる、
というわけだ。

ちょっとした工夫をすることで、聴覚障害者の場合は
頑張れるし、その意味を見出せる。




〔参考情報〕

『オリンピックに出場したデフ・アスリート』

http://deafstudies.jp/info/files/deaflympics_deaf_athletes.pdf#search='%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%A8%E3%83%87%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E4%B8%A1%E6%96%B9%E3%81%AB%E5%87%BA%E5%A0%B4%E3%81%97%E3%81%9F%E9%81%B8%E6%89%8B'




『全日本ろうあ連盟 スポーツ委員会 デフリンピック啓発ウェブサイト』

http://www.jfd.or.jp/deaflympics/index.php




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『テーマ;「差別」 突撃! バリバラ団・反響編』
〔2014年1月31日(金)21:00~21:30放送〕



の一部を引用。

【参加者】
 ・山本シュウ(ラジオDJ、健常者)
 ・大西瞳(義足のスプリンター)
 ・玉木幸則(バリバラ団団長、脳性まひ)
 ・あべけん太(バリバラ団団員、ダウン症)
 ・ハヤブサ(プロレスラー、頚椎障害)
 ・今村裕治(ディレクター、健常者)


(1)ダウン症の人が、一人でも居酒屋などでアルコールを飲みたい場合
―お店のほうは飲ませるか? それとも断るか? についての議論


山本;「でも、やっぱり、けん太さん、大丈夫なんかなっていう、
優しい気持ちで言ってる人もいると思うんですけど、
そういうことに対してはどう思いますか?」

けん太;「心配心配は、言ってくれるのがいいんだけど、
逆に心配って言われるのが悲しい気持ちだし、
楽しくは飲みたいなと思っています」

山本;「それじゃあ、ここで健常者が心配する理由を、
ちょっと見ていきたいと思います」

大西;「はい。まず、ご紹介します。

「障害者についての知識がないと店側は何があるか
分からないから不安。
分からないから怖い」

そのほかに・・・

「「何かあったら困る」はしようがない。
当事者は許してくれるかもしれないけど、社会が許して
くれない」

・・・という理由があります」

山本;「う~ん、社会がね」

玉木;「社会って、誰?」

山本;「漠然としてますね」

玉木;「漠然としてる。
だからそれもイメージで、周りから怒られることが“社会”
だとすると、誰から怒られるのっていうことの整理とか、
あとは出す以上は商売やから、責任持って出すんやから、
どんな人であっても、責任あるわけであって、そこだけ
ちゃんとわかってもらったら」

ハヤブサ;「確かに。
でも最終的に訴訟になったとします。
裁判沙汰になった時に、それが責任の所在うんぬんで
もめますよね、当然ね。
その時に、それがマスコミにちょっと飛び火した時って、
必ずどちらかが、悪者にされる訳じゃないですか。
そうなると当然、一般的に考えたら、お店側が悪者ですよね。
一回、そうやって火が付いちゃったら、それはもう、
消せないですから。
それがやっぱり、いわゆる社会というものの怖さというか、
社会なんじゃないかなって、僕は勝手に思っちゃう」(※1)


(※1)参考情報
『乙武氏がレストランで入店拒否されたことで…。』
〔2013-05-21 23:08〕




大西;「「判断能力」を疑ってるんだと思う」

山本;「来た。判断能力。
でも、けん太さんね、お店の店主が「ぶっちゃけ言います」と。
「あなたの判断力が信用なりません」という言い方されたら、
どんな気持ちですか?」

あべけん太;「ムッとするような感じがしますね」

山本;「どういうことだよ!」

あべけん太;「僕はもう26歳なのに、お子ちゃまという判断能力
が、ちょっとおかしい」

今村;「結構、実験の時も、やり取りをしてましたよね、お客さんも。
あれだけやり取りができるっていう事の中で、何か逆に、
健常者の人たちの方が判断する事はできないのかなと。
けん太さんという人が来て、これだけのコミュニケーション能力
がありますよっていうところから、心配されるのは当然だと思うん
ですけど、様子を見ていく事はできないのかなっていうのは、
ちょっと実感としては感じたとこですよね」

ハヤブサ;「どんな障害でも、それぞれにレベルがある
じゃないですか。
一概に・・・ダウン症とか、僕らだったら、頚椎損傷とか。
やっぱりそれは、くくりでは同じ症状だけど、やっぱり個人差
はすごいですよね。
それはホントに、直接、本人と触れ合ってみないと、
分からないことなんですよね」

山本;「なるほどね」



(2)バリバラ団の「がんばらなくていい!」という主張について

玉木;「“がんばって”というのは、ええ言葉やって言うんや
けど、ちょっと障害のある人に対しては社交辞令的に
使いすぎやろと。
がんばらんでええ時もあるのに、“がんばってちょうだいね”
って言われたら、それはしんどいなあっていうのを、
ちょっと知ってほしいな」

山本;「なるほど」

ナレーター;「障害者に悪気なく言ってしまう「がんばって」
のひと言。
皆さんはどう考えますか?」

山本;「う~ん。まあでも、ついつい「がんばってください」って、
言いたくなるんじゃないかと思いますけども、どうですか?
ハヤブサさん」

ハヤブサ;「僕の場合は・・・ものすごく言われてきてますね!
ありがたいことなんですよ、すごく。
だけど、VTRの最後で言われてましたけど、ほんこんさんが
やっぱり、僕のこと分かってないで、相手の事分からないで
ポ~ンって軽く言われるから・・・時々、イラッとする」

山本;「なるほどね。玉木さん、どうですか?」

玉木;「だから何て言うんかな? さっきも出てたように、
関係性の中で言うてくれるとありがたいんやけど、
最初の主張で言うたように、社交辞令的に、障害あるから
たぶん我々より大変なことも多いやろうとか、たぶん苦労
しているやろうとか言うことだけで、“がんばってちょうだい”
って言うのは、なんか納得しにくい」

山本;「けん太さん、「がんばって」って言われます?」

けん太;「はい。言われますね。
例えば、年賀状に“がんばってね”って言われるのが、
応援してくれるような気持ちでうれしいなと思ってます」

山本;「・・・という人もいるんですけどね」

大西;「そうですね」

山本;「でも、視聴者の皆さんからも、「がんばって」について、
さまざまな意見が出ているようです」

大西;「ご紹介します。

「いつもがんばってるんや。
これ以上どうがんばれっていうの。
お前ががんばれって言いたくなる」

あと・・・

「がんばってという言葉自体が上から目線ではないですか?」

「私はがんばってと言われた時は、がんばらないように
していると伝えています」

山本;「さあ、一方で、さっきVTRの中でもありましたが、
乙武さんが、健常者の方、悪気持って言うてないやろという
事なんですけども、そういう意見が来ております」

大西;「はい。ご紹介します。

「がんばれって祈りの言葉だから。
そんなにその言葉に意味を考えなくてもいいと思う」

玉木;「祈りの言葉!」

山本;「ほう、なるほど、なるほど」

大西;「もう一つ、ご意見がありますのでご紹介します。
障害者の方からです。

「番組内でがんばらないと言っていましたが、それには大反対です。
僕はがんばれと思います」

「健常者の人たちもがんばってんねん。
障害者も健常者も関係なく、がんばらなあかんやろと思います」

ハヤブサ;「僕自身、けがをして、3カ月ぐらい全身まひで、
首から下が動かない時期があったんですが、その時に
「がんばってね」と言われてもって話だったんですよ。
でも、かける言葉としては、多分、それしかなかったんで
しょうね。
「がんばってね」って。
何をどうがんばればいいんだって正直、思ってて、
それから時間が経って3カ月過ぎた時に、僕を救って
くれたのも“がんばって”と言う言葉だった。
本当に自分のことを心配してくれる家族だったり、
友達だったりが、心の底から“がんばってね”と言って
くれるのが、結局最後は一番、力になった。
同じ「がんばって」でも、使い方次第では、全然意味も
違ってくるし。
少なくともね、ただ軽い気持ちで「がんばって」と言うのが
問題なだけで、言葉自体、僕はすごく、「がんばって」って
言葉、一番好きな言葉なんですよ」

山本;「なるほどね」

大西;「あと、先ほどのインタビューでは、16人中11人も、
障害者に対して「がんばって」と答えてたんですけれども、
実はある集団を取材すると、「がんばれ」と言わない人たち
がいるんですよ」

山本;「どの集団?」

大西;「ご覧下さい」

ナレーター;「取材した集団とは・・・そう、外国人。
・・・障害者へのひと言メッセージを聞いてみると・・・」

イギリス人A;「あなたは私と同じです。
みんなみたいに人生を楽しんでほしい」

スウェーデン人;「今までどおりでいいんですよ」

フィンランド人;「私たちはみな神に創られた。
(障害があっても)恥ずかしがることはない」

イギリス人B;「あなたがやっていることは、すでに完璧です。
あなたはがんばらなくていい。
これ以上、何もする必要はない」

ナレーター;「外国人への取材で、11人中9人が「がんばって」
と答えなかった」

ハヤブサ;「僕はけがをする前に、海外で、ちょっと修行として
メキシコ、アメリカ行ってました。
実際、けがをしてから海外に、何度か行きましたが、改めて
行ってみると、障害っていうものに対して、すごく目線が一緒
なんですね。
特別なものじゃなく受け取ってくれてね」(※2)



(※2)参考情報
『映画『最強のふたり』』
〔2013-11-07 18:30〕





山本;「という事は、ハヤブサさんが海外行ったら、海外では
「がんばって」とか「DO YOUR BEST」とか言われない?」

ハヤブサ;「言われたことないですよ! 普通の会話しかないです」

山本;「普通の会話ね」

ハヤブサ;「せいぜい「TAKE CARE(気をつけて)」ぐらいですよね」

山本;「それ、誰にでも言いますもんね。「TAKE CARE」ってね」

山本;「今村ディレクター。実際、どうでしたか?」

今村;「結構、多様ですよね。
「がんばれ」って言わないというだけじゃなくて、自分の言葉で
すごく話されてるなっていう印象が。
いろいろ、その人が持っているバックグラウンドに応じて、
例えば人種が黒人であったり、セクシュアリティーがゲイであったり、
いろんなバックグラウンドを自分の中でも持っていて、
その中から出てくる言葉を言われているなという印象は、
すごくしましたけどね」

山本;「なるほどね。
・・・でですね、視聴者の方からも、「がんばって」の代わりの
言葉で、こんなんは? とかも来てるんですよね」

大西;「そうなんです。ご紹介します。

「私は「がんばって」じゃなく、「がんばってるね」って
言ってほしいです」

あとは・・・

「私は子どもに「大丈夫、できるよ」って声をかけています」

そのほかには・・・

「「頑張る」やなくて「顔晴(がんば)る」。
顔が晴れると捉えていこうといつも思っています」


山本;「ハヤブサさん、どうでしたか?」

ハヤブサ;「表現のしかたは、先ほど言われたみたいに、
もっと自分の中から出てくる言葉でいいと思うんですよ。
きっと決める必要はないですよね。
多分、決まった言葉を無理して使うと、もっと心が入らない
言葉になるから、要は、心の入ってる言葉であれば、
多分、どんな言葉だって腹立たないと思うんですよ」

山本;「なるほどね」

玉木;「ホンマに感じたことを自分の言葉で表現できたら、
すごい素晴らしいなあと思う。
でも、日本人は僕も含めて、口下手なんやね」

山本;「ああ~」

ハヤブサ;「それは確かにありますね」

山本;「でも、けん太さんはとにかく、けん太さん的には、
褒められれば「がんばって」って言われれば、うれしいこと」

けん太;「うれしいですね。
例えば、父が僕に「がんばって」って言ったら、
何かすごくうれしい」

山本;「ああ、そう。相手の事を思いやる」

玉木;「お父さんに“がんばって”って言われるのが
うれしいってことは、けん太くんがお父さんが僕のことを
見てくれている、分かってくれているって思っているから
うれしいんやと思う」



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あるいは、障害を持つ当事者の方々には賛否両論があると
思われるのですが、障害者就労の場では、こういう事例も
あるそうだ、ということで、一応参考情報として紹介してみます。


『小さな小さな能力開発!』
〔2014/2/6(木) 午後 10:59〕



勿論、本人にあまり無理をさせるようなことがあってはよくない、
とは私も思います。
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by bunbun6610 | 2014-02-14 18:00 | Eテレ『バリバラ』