健常者が障害者に「心の障害者にはなるなよ」って何?

障害者が健常者から言われた例で、こんな話が
『働く広場』という障害者雇用関連の雑誌に載って
いました。

ある車椅子障害者が、毎日通る会社敷地内の
スロープの場所で、植栽が邪魔だからといって

「切ってくれ」

と言ったそうです。
そうしたら、ある健常者は

「それは(考え方が)違うのではないか?」

と思いました。
健常者はその理由として

「邪魔な植栽があれば、手でよけて通ればいいではないか」

と。

この原稿を書いた健常者は最後に

「障害者だからといって、心の障害者にはなるなよ」

と締めくくっていました。

この正誤の判断を、私は勿論出来ません。
両者の真意は何なのか、わからないのですから。

ただ、この記事を読んで思ったのは、外から見ている
だけで、障害者のバリアに対して意見を言う健常者の
気持ちと、自らバリアを毎日体験している障害者の
気持ちとは、かなりのズレがある、という事実です。
その事実が、お互いの感じ方の差異を生んでいるのでは
ないか、と考えました。

障害は体験していないと、わからないものではないでしょうか。
障害者にとっては、毎日の体験です。

今思うと、もしかしたら、障害者のほうにも「邪魔だから」という
言い方が、ふさわしくなかったのかもしれません。

聴覚障害者の場合だと、筆談も通訳配備も、健常者に相当
の負担を強いることになりますよね。
でも、聞こえない人たちも、それまでに、相当の我慢を続けて
いました。
突然、情報保障・通訳の要望を言われた健聴者にしてみれば

「ちょっと待ってよ、そんなこと急に言われても・・・」

と戸惑う。
この距離感というか、温度差が、まだあまりにも大きい。

聴覚障害者だって、本当はその辺もよくわかっている。
だからこれも結局、「言えない障害」の一因でしょうね。


そうすると、先ほどの話に戻りますが、その車椅子障害者は、
もうどうにも我慢ならなくなった結果、やむなく言ったのかも
しれません。
その言葉を言う背景がわからないので、読者がどうのこうのと
言うことはできませんが・・・。

確実に言える事とは、その言葉を言う背景を抜きにして、
正誤は判断できないことなのではないか、と思ったのです。
これは、障害者問題の全てに言えることではないか、と思います。

その雑誌をつくっているのは、おそらくは健常者だけでしょう。
『働く広場』は、独立行政法人 高齢・障害者雇用支援機構が
発行している雑誌です。
法定雇用率違反企業から徴収している違反金で、こういう雑誌を
作っているのだろうか。

もしも、障害者が編集部に入っていて、本気の意見のぶつかり合い
があったなら、このような記事にはならなかったのではないだろうか。

その雑誌を読んだ後、私はそう感じた。
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by bunbun6610 | 2013-12-18 18:00 | バリア&バリアフリー

ある聴覚障害者から見た世界


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