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蒼穹 -そうきゅう-

『交響曲第一番』(佐村河内守/著) 4/11

『交響曲第一番』
(佐村河内守/著 2007年10月31日/第1刷発行 講談社/発行所)




「それは幼少時によく演奏していたベートーヴェンの《月光》のメロディを
頭の中で流し、その旋律を五線紙に記譜していく、というものでした。
完成後に本物の楽譜と照らし合わせることで、自らの絶対音感を判断
してみようと考えたのです。
記譜を終え、そのスコアを楽譜と照合してみたところ、一音のミスもなく
完璧に記譜されていました。
少しだけ自信をつけた私は、管弦楽曲三十曲近くで次から次へとテスト
を重ねた結果、絶対音感がまったく衰えていなかったことを確認できた
のです。

――音が聞こえなくても作曲を続けられる!

そう確信したとき、初めて涙がこぼれました。

何とか作曲できる自信が持てるようになったころには、納期まであと
2ヵ月を切っていましたが、全聾(ぜんろう)となった私にはさらなる
過酷な試練が始まっていたのです。
それは、中途失聴者に起こりがちな、軽度より少し強い、いわば〈軽度上〉
の永続的な耳鳴りでした。
日を追うごとに耳鳴りの音量はどんどん巨大化し、全聾以前のそれよりも
激しくなっていきました。
それでも、持ち時間は限られていました。
全聾と激しい耳鳴りを考えれば、納得のいく作品に仕上げるには相当の
精神集中が必要とされることは容易にわかったのですが、それは困難を
極めました。
仮に耳鳴りの程度が同じであったとしても、外部の音が聞こえる状態での
耳鳴りと、外部の音がいっさい聞こえない静寂の中での耳鳴りとでは、
聞こえ方、感じ方がまったく異なるのです。
不快感や息苦しさは、全聾になってからのほうが圧倒的に増幅していました。
さらに耳鳴りは、分単位、ときには秒単位で突然大きな音量に変化する
という特徴を見せ始めていました。
頭の中にノイズなど存在しないのだ、と必死に自己暗示をかけながら、
ひたすら自身の内側に沸き起こる音楽にだけ意識を集中させるよう努め、
四苦八苦しながら作曲の筆を進めました。
睡眠時間を削り、少しでも作曲に費やす時間を捻出し、何とか納期ギリギリ
でスコアを提出することができました。

しかし、ほっとしたのも束の間、制作発表会までには二週間ほど余裕が
あったにも関わらず、その間、別のことが猛烈に私の頭を悩ませることに
なりました。
制作発表当日、テーマ曲の演奏終了後に、ステージ上で司会者と作曲家
の談話が行われることになったのです。

耳が聞こえないのに対談などできようはずもありません。

しかし、

「ほかのクリエーターすべてが対談を行うのに、大編成で生演奏まで披露
しておきながら、作曲家が抜けるのはありえない」

という理由で説得されては納得するしかありませんでした。

耳の障害をどうすればごまかせるのか。

私は打開策を求め、ありとあらゆる方法を模索してみましたが、答えなど
ありませんでした。
そのときの私はもはや誰とも会話のできない人間になっていたのです。
妻とでさえ、まともに会話ができません。
まず、相手に耳が悪いことを伝え、恐縮しながら筆談をお願いし、それに
先方が応じてくれて初めて会話が成立するのです。
当たり前ですが、耳が聞こえないとはそういうことです。
この先、誰とも会話しないで生きていくことは不可能です。
全聾者にそれは不可能です。
遅かれ早かれ知られてしまうことでした。

すべてをさらけ出す――。

私に残された道はそれしかありませんでした。」


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>「絶対音感がまったく衰えていなかったことを確認できた」


ろう者と難聴者・中途失聴者者の違いがわからない健聴者が、よくいる。

「ろう者はしゃべれないのに、中途失聴者者は何でしゃべれるのか?」

と聞かれることがある。
違いは何かと言うと、一般的には「母語が違うから」といった説明法がある。
しかし、これだけではやはり、納得できていない健聴者も案外少なくない
ことに気づく。
私は、どのように説明すればより理解してもらえるのか、今も苦心している。

「難聴者や中途失聴者は両耳を手で閉じても、しゃべることができる。
当たり前じゃないか」

と説明してみたことがあったが、健聴者がろう者と比較すると、
理解できなくなる人もいるらしい。
そういう健聴者は、ろう者と中途失聴者者とをすぐ、
混同してしまうようなのだ。

何と言ったらよいのかわからないが

「聴力と、発語力は比例する」

と思っている健聴者もいるらしい。

自分のことを「全聾」とか「全く耳が聞こえません」と言うと、

「それではあなたはろう者ですね。
ろう者なら、どうしてそんなにしゃべれるのですか?」

などと聞き返されたりする。
それで返事に困ってしまう場合がある。

しかし、佐村河内氏の言う「絶対音感」が、その答えになるのだとわかった。
耳が聴こえなくなっても、まだ正確な絶対音感を持っているうちならば、
発音がきれいにできるのではないだろうか。
つまり、音声についての正確な記憶、イメージ力があるなら、
耳が聴こえなくなっても、それを使いこなすことはまだ可能だということだ。

もしも、音声の記憶がなかったり、失くしてしまったり、
イメージ力がなかったなら、それは再現のしようがない。
知らないものはできないのだから。



>「中途失聴者に起こりがちな、軽度より少し強い、いわば〈軽度上〉
の永続的な耳鳴りでした。」


耳鳴りに悩まされている難聴者や中途失聴者者は多い。
かなりのストレスになってしまい、健康悪化につながる。
不眠症になる人もいる。


>「制作発表当日、テーマ曲の演奏終了後に、ステージ上で司会者と作曲家
の談話が行われることになったのです。
耳が聞こえないのに対談などできようはずもありません。」


>「耳の障害をどうすればごまかせるのか。」

>「誰とも会話しないで生きていくことは不可能です。
全聾者にそれは不可能です。」



聴覚障害者が会社面接、職場、仕事で一番困るのが、このようなことだ。
ごまかすのに悩むこともある。
人と会うと障害が起こる。
しかし、それは耳が悪いから、という障害が最大要因なのではない。
コミュニケーション方法の違いで生じるのである。



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「『悪夢のような光景』
私は『鬼武者』制作発表会で耳の障害が公になることを観念すると同時に、
ある重大な決意をしました。
今回の大編成によるメインテーマの作曲で、私は全聾になっても譜面上
での作曲は可能だと確信していました。
しかし、これまで聴覚障害を隠し通してきたのには、理由がありました。
一つは、耳の不自由な作曲家の作品には、同情票がつくであろうこと。
それだけはどうしても避けたかったのです。
自分の作品はいっさいの同情なしに正しく評価されなければならない、
たとえそれが「クソだ」という評価であっても、です。
もう一つは「聴覚障害を売り物にした」という誤解も避けられないだろう、
ということです。

この二つの理由が、この先間違いなく、自らをひどくみじめな思いに陥らせる
であろうことはわかっていました。
・・・(中略)・・・
考えに考えたあげく、私は答えを導きだしました。――『鬼武者』
を最後に作曲家人生からリタイヤしよう、と。」



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>「これまで聴覚障害を隠し通してきたのには、理由がありました。
一つは、耳の不自由な作曲家の作品には、同情票がつくであろうこと。
それだけはどうしても避けたかったのです。
自分の作品はいっさいの同情なしに正しく評価されなければならない、
たとえそれが「クソだ」という評価であっても、です。
もう一つは「聴覚障害を売り物にした」という誤解も避けられないだろう、
ということです。
この二つの理由が、この先間違いなく、自らをひどくみじめな思いに陥らせる
であろうことはわかっていました。」


このために犠牲を払ってきたというのが、私には信じられなかった。
あまりに大きな犠牲を払ったと思う。
それは、この本をもっと後まで読み進めていけば、わかってくると思う。


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「今朝家を出る前に、連れて行くべきか否か悩んだ弟の亨(とおる)の写真
のことを思い出したのです。
いったんは胸ポケットに収めたのですが、考え直して、結局〈音楽室〉に
置いてきたのでした。

「お兄ちゃんの曲の演奏会に僕を誘うんじゃったら、《交響曲第一番》のとき
にしてぇよね!」

と、最後の言葉を残して逝(い)った弟。

「もし、おまえが生きていたら、今日の演奏会にきたいといっただろうか?」

私は心の中でそう問いながらも、すぐに自分勝手な答えでその問いを
打ち消してしまいました。

「これを最後にリタイヤしようと考えている、弱っちい兄貴に会わずにすんだ。
おまえは今日こなくて正解だった」

と。
耳鳴りの音が減少するとともに、あの絶望感が静かに戻り始めました。
――これは偏執狂者(へんしゅうきょうしゃ)が見る悪夢なのか?
まだ吐き気が残る胸の中に絶望感がどっしりと定着したとき、私はあたりが
暗くなっていく感覚を確実に感じていました。
そして、うなだれて床に視線を落としたときです。
扉下の隙間に差し込まれた白いメモ書きが目に飛びこみ、私はドキリとしました。
紙にはこう書かれていました。

〔佐村河内さん、みんなが探しています〕

慌てて扉を開けると、私を確認して安堵(あんど)した様子のスタッフが3人
いました。

「なぜ私がこの中にいるとわかったのですか?」

と問うと、一人が

〔いくらノックしても返事がないから、佐村河内さんだと確信しました〕

と紙に書いてくれました。
それは耳が聞こえない人だ、ということを意味していました。
私を探していたのは、問題が発生したので指揮者が至急話したがっている、
という理由からでした。」


「『死んだ“作曲家”』
指揮者のもとに行くと、彼は楽譜のある小節を指差し、紙にペンで記しました。

〔この一小節は実際に鳴らして(演奏して)みると、一つのパートがほかの
楽曲群にマスキングされてほとんど聞こえなくなるのですが〕

「このパートは瞬間的なサブリミナル的効果をねらったものだけれども、
あなたの指摘も否定できない」

私はそう答えながら、まさかこの箇所の不具合を鋭く指摘してくるとは、
と内心思っていました。
じつは作曲中、この部分の実験的試みを行うべきか否か、一度悩んだのです。
しかし、あまりに時間がなかったので、頭の中で時間をかけてしっかり響きを
確認するということを怠ったまま、見切り発車的に記譜していました。

〔このパートが入ることで全体の響きが一瞬にごって聞こえるので、
これをカットしたバージョンを聴いてもらって気に入っていただけたら・・・〕

指揮者はそこまで書き、瞬時に顔を青ざめさせ、

「聴けないんでしたね。
すみません」

と謝罪しました。
私も瞬時に青ざめました。
しかし、それは不具合を指摘されたからではありません。
彼の指揮や提案はもっともなことでした。
私が青ざめたのは自分が、“死んだ作曲家”になっていた、と気づいたからでした。

現役の作曲家なら、通常自分で指揮をします。
あるいは指揮はしなくとも演奏に立ち会い、指揮者の感じた音のバランスを
自分の耳で確認し、違うと感じればその場で訂正し、あれこれオーケストラに
鳴らさせ、それを再び自分の耳で選別し、最も納得した響きを決定採用する
のです。

ところが、私にはその耳がない。
頭の中のオーケストラしか聴くことのできない私には、作曲後、実音に頼って
改訂するこができません。
だとすれば、私の音楽は作曲時においてすでに“完璧”でなければならなかったのだ!
 という思いが深く胸に突き刺さったのです。
死んでしまった作曲家は、自分の音楽を聴くこともできなければ、後世の指揮者が
感じた音のバランスに口出しすることもできません。
死人に耳なし、死人に口なしです。
死んだ作曲家に改訂は不可能なのです。

つまり、私の作品は完成した時点で、すでに死んだ作曲家の作品と同じなのだと
思いました。

私自身がまさに“死んだ作曲家”だったのだ、と気づいた瞬間でした。

結局は、録音時間も迫っており、私がその場で集中し、しっかり響きを確認して改訂
する時間がなかったため、問題箇所は指揮者に一任することにしました。
私はそのことをとても不甲斐(ふがい)なく思いました。」


「私は客席に戻りましたが、今度はスタッフの集まる一階席ではなく、誰もいない
二階席へと向かいました。
自分の創った音楽を自分で聴くことができない人間が、自分の音楽を堪能している
人間たちの中に身を置くことは、もはや耐えがたいことになっていたのです。」


「やがて録音も終了し、観客を入れて本番を迎えました。
私は本番演奏を舞台袖から見つめました。
虚無の目で・・・。
演奏が終わり、ステージへ呼び出されました。
当てられるスポットライトがまぶしく、ステージ上からは客席は暗くてよく見えません。
聞こえない私は、観客の拍手を想像して、形式通り頭を下げるほかありませんでした。
白状するならば、絶望感に包まれていたステージ上の私は、まったくの無感動でした。
その後、各クリエーターと司会者とのトークコーナーが始まりました。
やがて作曲家の番となり、私は筆談者を伴い、再びステージに上がりました。
司会者はまず私の耳の病気の説明をしたうえで、続けて、事前に頼まれて書いて
おいた〈作曲家の本作品への思い〉という私の短い原稿を朗読しました。
最後は筆談者の突きだした紙に書かれた〔終、お客さまにお辞儀を〕という指示に
機械的に従い、私の長い一日が終わりました。

こうして、夢にまで見た自作劇伴音楽(じさく・げきばん・おんがく)の、一流オーケストラ
による生演奏の場面は「悪夢の象徴」へと姿を変え、その一日は忘れがたい日として
深く胸に刻まれたのです。」



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>「頭の中のオーケストラしか聴くことのできない私には、作曲後、実音に頼って
改訂するこができません。
だとすれば、私の音楽は作曲時においてすでに“完璧”でなければならなかったのだ!
 という思いが深く胸に突き刺さったのです。
死んでしまった作曲家は、自分の音楽を聴くこともできなければ、後世の指揮者が
感じた音のバランスに口出しすることもできません。
・・・(中略)・・・
つまり、私の作品は完成した時点で、すでに死んだ作曲家の作品と同じなのだと
思いました。
・・・(中略)・・・
結局は、録音時間も迫っており、私がその場で集中し、しっかり響きを確認して改訂
する時間がなかったため、問題箇所は指揮者に一任することにしました。
私はそのことをとても不甲斐(ふがい)なく思いました。」



>「自分の創った音楽を自分で聴くことができない人間が、自分の音楽を堪能している
人間たちの中に身を置くことは、もはや耐えがたいことになっていたのです」


>「その後、各クリエーターと司会者とのトークコーナーが始まりました。
やがて作曲家の番となり、私は筆談者を伴い、再びステージに上がりました。
司会者はまず私の耳の病気の説明をしたうえで、続けて、事前に頼まれて書いて
おいた〈作曲家の本作品への思い〉という私の短い原稿を朗読しました。
最後は筆談者の突きだした紙に書かれた〔終、お客さまにお辞儀を〕という指示に
機械的に従い、私の長い一日が終わりました。」



筆談ホステス』の著者・斉藤里恵氏(聴覚障害者)も、
講演の依頼を受けた。
佐村河内氏も、その斉藤氏の場合と同じような対談方法が
採用されたようです。(※)

この頃の佐村河内氏は、身体障害者手帳を取得していません。
彼自身、障害者福祉のことを調べていないし、
聴覚障害者への通訳(障害者自立支援法)のことなども、
まだ知らなかったようだ。


(※)
http://blog.goo.ne.jp/kazutou-s/e/02266a5f6c36e0c119e501eb43b510d0

『筆談ホステス』/ろう当事者木村晴美さんの感想
〔2010-02-17 11:52:18〕

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◆ろう者の言語・文化・教育を考える◆ 
No.157 2010年2月17日
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『■<文化> ドラマ『筆談ホステス』を見て』
には、次のように述べてある。

 「青森県の新成人を祝う行事に講師として招かれたとき、
自分の話は5分だけで、その後20分はあらかじめ用意されていた
質問に答える形で進められたそうだ。
もちろんすべて筆談である。」


 


通訳がなく、健聴者に一方的につくられたシナリオの通りにやるだけ、
というやり方は、健聴者にしてみれば

「聴覚障害者へ、できる限りの配慮をしてやったつもり」

であろう。
しかし、自分の存在感を感じることはできない。
自分だけ取り残されて、ものごとが進み、決定されてゆく。
そこには、たとえようもない己の非力を感じる。
結局、どうすることもできない佐村河内氏にも、
こう言っている箇所がある。

>「・・・問題箇所は指揮者に一任することにしました。
私はそのことをとても不甲斐(ふがい)なく思いました。」


仕方ないとはいえ、これは寂しいことだ。
自分のつくった曲を真の完成に導けないのは、
さぞ悔しい気持ちもつきまとうことだろう。

音声中心の世界では、聴覚障害者は疎外感、
虚しさを感じるばかりだ。
それが、ほとんどの聴覚障害者が味わってきた苦しみだとは、
健聴者には全く気づかない。
聴覚障害とは、そういうものなのだ。
まさに「関係障害」である。
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by bunbun6610 | 2014-02-04 18:30 | 難聴・中途失聴