『交響曲第一番』(佐村河内守/著) 2/11

『交響曲第一番』
(佐村河内守/著 2007年10月31日/第1刷発行 講談社/発行所)





「『3年間の決意』
メンバーとの話し合いの末、そのバンドは解散する道を選びました。
私はさておき、彼らは情熱、技術ともに本当に素晴らしいバンドマン
でした。

まわり道をしましたが、こうして私はクラシック作曲家としての夢を
つかむため、打ち込みによる劇伴(げきばん)用音楽の作曲を再開
しました。
26歳のころのことです。

このころ、右耳は低下し始めた当初の聴力を保っていましたが、
左耳の聴力はさらにだいぶ落ちてきており、耳鳴りも変わらずに
続いていました。
私の両耳のステレオ感は、以前よりも悪い形で再び失われてしまった
のです。
いままで、売り込みを続けながら積みあげてきた自分の音楽が正当
に評価されるためにも、このことだけは誰にも知られたくありません
でした。
聴覚障害が知られてしまえば、今後自分が書く楽曲に同情票が
入ってしまうであろうことが簡単に予想できたからです。
それだけはごめんだ! という気持ちを強く抱いていました。

* * *

私はある朝、保険証片手に始発電車に飛び乗りました。
行き先は都心からなるべく離れた田舎町。
急行や特急電車を乗り継ぎ県境をまたいで3時間半、
ひたすら遠くへと向かいました。

私の珍しい名前では都心の耳鼻咽喉科に行けば、いつどこで
業界関係者に漏れ伝わってしまうかもしれない・・・。
誰にも知られたくないという不安感と異常なまでの潔癖性の性格が、
遠くまで足を運ばせていました。
降り立った駅近くで、耳鼻咽喉科の診療所を見つけて駆けこみました。

症状を詳しく説明すると、医師は聞きました。

「異常は何日前から起こりましたか?」

「左耳が2年前、右耳が去年」

と答えると、

「難聴を甘く見ておられましたね」

と医師はあきれたように笑い、

「すぐに診察したわけではないからはっきりとはいえないが、どちらの
耳も突発性難聴だった可能性が考えられます・・・」

と前置きしたうえで、こう説明した。
突発性難聴の根治率は、発症から一週間以内に診察を受けて即入院し、
酸素治療やステロイド剤の点滴などをすれば90%、10日で70%、
14日で50%、20日で40%。
それ以上治療が遅れると、いったん低下した聴力を回復させるのは難しい。
難聴は時間との闘いだったのだ、と。

「あなたの場合、根治率はゼロパーセントでしょう」

と告げられました。
ひどくショックを受け、動揺を隠せない私に医師は尋ねました。

「なぜ、すぐに病院に行かなかったの?」

自分には偏頭痛の発作があること、どちらの耳の異変も運悪く長く発作が
続いた時期に起きたことを詳しく説明すると、医師は気の毒そうな顔をした
あとで、さらに続けました。
その言葉に、私は完全に打ちのめされました。

「大変いいにくいことですが、あなたのようにきちんとした入院治療を
受けなかった方の場合、今後はさらに聴力が落ちていく可能性があります。
残念ですが・・・」

そして、医師は補聴器を勧めたのです。

「まず地方自治体の指定する専門医療検査機関へ行き、そこで詳しく検査
してもらいなさい。
厳密な検査の結果、『聴覚障害者』であると認定されたなら、自治体から
身体障害者手帳が交付されるので、それを受け取りなさい。
手帳があれば、補聴器はタダ同然で買うことができますよ。
手帳なしだと補聴器はとても高価になりますから」

とんでもない! と思いました。
誰が身体障害者と認めるものか!

帰りに「補聴器」という幟(のぼり)が立つ店に立ち寄り、価格を確認した
ところ、20万円から30万円もする高価なものでした。
いずれにしても、すでに左耳は相当聴力が落ちていました。

身体障害者手帳の交付を受けなければ補聴器は20万円、手帳の交付を
受ければ(障害が公〔おおやけ〕に認められれば)補聴器はタダ同然・・・。

その後、数日かけて考えた末、私は一つの決断を導きだしました。
肉体的苦痛を考えれば、私の持ち時間は長くはないのかもしれない。
現世では、顧(かえり)みられず終わってしまってももはやかまわない。
死後、誰かが自分の楽譜を見つけて演奏が実現し、人々に聴いて
もらえる音楽――そんな作品を書けるようになりたい。

そのためにも、詩、文学、世界史、西洋宗教学、哲学などを可能なかぎり
極(きわ)め、クラシック音楽に必要な研究に没頭するための時間が欲しい。
それに要する期間を3年間と区切りました。
そして、音楽以外の勉強をしながら得たものを曲に反映し、打ち込みの
音楽で試していくためには、ステレオ感を得られる耳が欲しい。
どうしても補聴器が必要だと思いました。

私は妻にその決意を語り、初めて左耳の聴力低下のことを告白したのです。

「どうしてもやりたいことがある。
3年間だけ俺を食わしてくれないだろうか」

高価な補聴器を買うには妻の理解が必要でした。
私はこれまで聴覚障害を隠してきた理由を説明し、さらに今後も公(おおやけ)
に隠し通すためには、身体障害者であることを認めるわけにはいかないと
話したのです。
情けない頼みごととみじめな告白でした。

「補聴器を買ってもいいだろうか?」

「いいよ」

当時の二人には、とても高価なものだったのですが、妻はそれ以上何も
聞いてはきませんでした。
そして、こういって笑みを浮かべました。

「苦しい発作を抱えた身体とそんな耳で耐えていけるの?
でも、あなたが大丈夫というなら、私は平気です。
私は、あなたがしたいことをしてほしいだけだから」

この3年間は1秒たちとも無駄にはできない――。

私は、その決意を胸に深く刻みました。」



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>「いままで、売り込みを続けながら積みあげてきた自分の音楽が正当
に評価されるためにも、このことだけは誰にも知られたくありません
でした。
聴覚障害が知られてしまえば、今後自分が書く楽曲に同情票が
入ってしまうであろうことが簡単に予想できたからです。
それだけはごめんだ! という気持ちを強く抱いていました。」



今の社会では、補聴器を装用している人もよく見かけるようになりました。
とはいえ、まだまだ、難聴を隠して生きている人は非常に多いのでは
ないだろうか。

佐村河内氏のような理由は、障害者としては珍しいと思う。
本をずっと読み進んでいくと、彼にもやはり、周囲の健常者から、
障害者として見られることに対する抵抗感を持っていたことがわかります。



>「行き先は都心からなるべく離れた田舎町。
急行や特急電車を乗り継ぎ県境をまたいで3時間半、
ひたすら遠くへと向かいました。
誰にも知られたくないという不安感と異常なまでの潔癖性の性格が、
遠くまで足を運ばせていました。
降り立った駅近くで、耳鼻咽喉科の診療所を見つけて駆けこみました。」



「難聴を本当にどうにかしたい」

と思うならば、この選択はありえないのではないか、
と思うくらい、私はびっくりしました。
もし悪い医者に引っかかってしまったら、騙されていたことも
十分にありえます。

本来なら、医療機関の情報収集を十分にして、厳選した病院へ
行くべきだと思います。

(しかし、実際は佐村河内氏も書いているように

「難聴治療は時間との闘い」

とも言われ、とてもそんな余裕はないのが普通であるようだ。)


私は幼少のときに、母に連れて行かれた耳鼻咽喉科医院に

「耳穴の中を掃除すれば治るから」

と言われて数ヶ月間、通院させられたこともあります。
医者に騙されたのです。
悪徳医師だと思って間違いないと思っています。
本当の難聴治療は、佐村河内氏がこの本で書いているように、
一刻も早い治療措置を行う必要がある、という。
私の場合も、すでに手遅れでした。

医者だけでなく、母までも、子供だった私の主張など信用せず、
この医者の言うことを、初めは信じていたのです。
無理もない。
普通は、どの親であっても、子供の言うことよりも、
専門の医者の言うことを信用するのが当たり前だろう。

しかし、数ヵ月後には通院費を払い続けるのがイヤになったのか、
母もうんざりしてきたようで、私は通院をやめさせられました。
それっきり、母は私の耳のことなど全く考えなくなってしまいました。

「あのときに、この医者が正しい診断をしてくれていたら」

という怨みが、私には今でも強く残っています。

私は、この医者の住所を今でも知っています。
この医者はどういうわけか、今では自宅の耳鼻咽喉科医院を
他の医者に貸していて、自分は遠くの大学病院の外来医師
として、勤めているという。

私がこの医院に診察してもらった当時は、院長の姓名を冠した
医院名だった。
しかし、今はその地域の名を冠した医院名に変わっている。
現在の院長は別人だ。

何かやらかしたからなのかもしれまんせん。
勿論、殺してやりたいほど憎んでいます。


ところで、この本を読んでいたら、佐村河内氏は被爆二世だと
いうことがわかりました。
それで、インターネットで探してみたら、
下のような事例もありました。
この方も、佐村河内氏と同じ、被爆二世なのだろうか?

 『音のない世界に住む武さんのブログ』



>「難聴を甘く見ておられましたね」

>「突発性難聴の根治率は、発症から一週間以内に診察を受けて即入院し、
酸素治療やステロイド剤の点滴などをすれば90%、10日で70%、
14日で50%、20日で40%。
それ以上治療が遅れると、いったん低下した聴力を回復させるのは難しい。
難聴は時間との闘いだったのだ、と。」



そのときになってから、突発性難聴を治せる病院を
調べ始めていたら、対応が遅れてしまうだろう。

「佐村河内さんは、たまたま運悪く、突発性難聴になった
のだから、しかたがない」

と思うだろうか。

だが、それがこの病気の現実なのだ。

突発性難聴になった人のうち1/3は回復できるが、
1/3は中途難聴者になり、
そして残りの1/3の人は失聴への過程を辿る、
と言われています。
軽く見ていると、取り返しがつかなくなり、
後に大変な苦労をするようになる病気です。

耳の病気で難聴になったコロッケさん(ものまねタレント)についての
記事もありますので、参考にしてみて下さい。(※)


(※)当ブログのカテゴリ;『難聴・中途失聴』の目次をご覧ください。


〔間連情報〕
岩波新書『音から隔てられて - 難聴者の声 -』
(入谷仙介、林瓢介/編者 1975年7月21日/第1刷発行
 株式会社岩波書店/発行所)


「耳治療が現段階ではむつかしい困難性にみちたものであり、
ただひとつ難病対策として取り上げられている「突発性難聴」に
しても、医学雑誌や関係資料を見ると、回復の可能性のある
のは発病後せいぜい1、2週間以内で、それ以外はすべて
手遅れという専門医学者のきびしい判定が行われており、
その大事な期間を、さすらいのうちに過ごしている多くの
同障害者のことが、辛くてならない。

難聴症状は聴力の低下や激しい耳鳴りを生じることによって、
子ども以外は早期発見は可能としても、早期治療をどのように
してするかということが、一つの大きな緊急課題である。
・・・発病後間もない時期に、適当な治療を積極的にうけて
さえいれば、私の聴力障害も今日よりもずっと軽くてすんだの
ではなかったかとの悔いも強い。」(P105~107)




>「「大変いいにくいことですが、あなたのようにきちんとした入院治療を
受けなかった方の場合、今後はさらに聴力が落ちていく可能性があります。
残念ですが・・・」

そして、医師は補聴器を勧めたのです。」



難聴を放っておいた難聴者のなかには、このように言われる
ケースも多いのではないか、と思います。
私もそうでした。
昔は、他になかったようです。


>「地方自治体の指定する専門医療検査機関」

この病院であればOK、ということではなく、
そこにいる「身体障害者認定医」による診断が必要です。
それ以外の医師ではダメですので、注意してください。



>「身体障害者手帳の交付を受けなければ補聴器は20万円、手帳の交付を
受ければ(障害が公〔おおやけ〕に認められれば)補聴器はタダ同然・・・。」



身体障害者手帳の交付を受ければ、障害者福祉のさまざまな
恩恵が受けられます。

「補聴器は両耳装用が効果的」

と言われますが、両耳だと普通の人には、かなりの高額出費に
なってしまいます。



>「詩、文学、世界史、西洋宗教学、哲学などを可能なかぎり
極(きわ)め、クラシック音楽に必要な研究に没頭するための時間が欲しい。
それに要する期間を3年間と区切りました。」



私は、健聴者と同じようにして音楽を聴くことはできません。
だから、佐村河内氏の音楽もわからないのですが、
多くの人の心を捉える秘密は、ここにあるのではないだろうか、
と思いました。
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by bunbun6610 | 2014-02-02 18:30 | 難聴・中途失聴


ある聴覚障害者から見た世界


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