不滅の手話 - ヴィンヤード島


『哀れみはいらない―全米障害者運動の軌跡』(著者: ジョセフ・P. シャピロ /現代書館)

 →http://booklog.jp/users/miyamatsuoka/archives/4768434185

(参考)臼井久実子
 →http://www.yuki-enishi.com/guest/guest-020529-1.html



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「『失われた言葉、失われた文化』
ろう文化独自のパワー。
聴こえる世界と対等なろうの世界の存在。
この考えを立証する現象を、私たちは歴史の中に
みることができる。

アメリカ東海岸の大西洋沖にあるマーサズ・ビンヤード島
では、約250年間、耳が聴こえないことのほうが
あたりまえだった。

最初にろう者の漁師、ジョナサン・ランバートが
ここに移り住んだのが1694年。
彼は、劣性遺伝として聴覚障害をもっていた。
その後孤立した島での結婚が何世代も続き、
子孫にろう者がたくさん生まれるようになった。
特に、チルマークやティスパリーと呼ばれる村では、
普通では考えられないほどろう者がたくさんいて、
たとえば19世紀の中ごろのチルマークでは、
25人に一人がろう者だった。
その中のさらに小さな地域では、4人に一人が
ろう者だったというデータさえ残っている。

文化人類学者ノラ・エレン・グロースが記した
『皆が手話で話した島
(Everyone Here Spoke SignLanguage)』
(佐野正信訳、築地書館)によれば、ここでは、
聴こえる人の文化と聴こえない人の文化がごく自然に、
うまく融合していた。
いったいどんな生活を送っていたのか。

まずこの島では、聴こえない人が家族にいなくても、
地域全体が手話を使っていた。
ろう者とのコミュニケーションの手段としてのみ
使われたというのではない。
たとえば耳の聴こえる漁師が漁船で漁をしているとき、
遠く離れた漁船とのコミュニケーションをはかるのにも
使われたし、教会内での会話にも使われた。
聴こえる人たちが会話をしているところにろう者が
くると、すぐに皆手話で話しはじめた。

1952年、このマーサズ・ビンヤード島で最後の
ろう者の住民が亡くなったといわれる。
けれどもその30年後、脳神経科医オリバー・サックス
がここを訪れとき、聴こえる高齢者の住民は、
依然として手話で民謡を語り、会話をしていたという。

サックスが会ったなかで一番年をとっていた女性の
ひとりは90歳代だったが、

「時々とても平和で夢心地の気分になって」

まるで編み物をしているように両手を動かし手話を
使っていたらしい。

「その娘が私に言うには、母親は考えごとをするとき
手話を使うらしい。
決して編み物をしているわけではない」

とサックスは書いている。

「聞くところによれば、あの最高齢の女性は、
眠っている最中でもベッドの上で、かけぶとんの内側に
話しかけるかのように手話を使っていたという。
夢も手話でみていたというのだ」

ともある。

マサチューセッツから少ししか離れていない、
大西洋に浮かぶこの島では、
耳の聴こえる人とそうでない人の間に、
言葉の上でも社会生活の上でも障壁がなかった。
ろう者は、政治から教会の催しまで地域のいろいろな
活動に積極的に参加していたし、結婚率80%というのも、
聴こえる人の率と同じだった。

19世紀末、アメリカ全体のろう者の結婚率はわずか
45%だったのと比べるとかなりの割合だ。
また、両者ともひと家族平均6人の子どもがいた。
1880年代、全米レベルでは、ろうと健聴の夫婦には、
平均2.6人の子どもしかいなかった。
さらにこの島では、ろう者はそうでない者と同じような
仕事につき、同じような収入を得、PTA活動から
高速道路の調査官、軍隊まで、生活の諸側面で活躍
していた。」




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by bunbun6610 | 2013-10-01 18:00 | 哀れみはいらない
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