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蒼穹 -そうきゅう-

『車椅子で夜明けのコーヒー 障害者の性』 2/2 ピア・カウンセリング

『車椅子で夜明けのコーヒー 障害者の性』
(小山内 美智子/著 1995年4月26日/第1刷
ネスコ/発行 文藝春秋/発売)


「障害者が一番しなければいけないこと、
それは、自分の障害を主張することです。」

     (シンディ〔米国の車椅子障害者〕)

当ブログ
『障害はあなたという人間の一部です』
〔2011-11-17 22:30〕

より。




〔参考情報〕
『書評で人と本をつなげるブログ/ブックハウス』




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【T・M〔匿名〕さんとの文通】


「私は今、親元で何不自由なく生活しています。
欲しいものがあれば買って来てくれ、行きたいところが
あれば出来るかぎりは連れて行ってくれます。
家に居れば何ひとつ困ることなく楽な人生がおくれると
思います。
親が死ねば施設(国)が第二の人生を与えてくれます。
でも、何かが足りないのです。
これまで、両親は私を育てるため自分の人生を犠牲に
して来ました。
普通に子供を育てるのとは違い、私が思っている以上
にたいへんだったと思います。
心から感謝しています。

でも、私も成人して自分の生き方を持ち始めました。
このまま、他人が与えてくれる楽な人生を歩みたく
ありません。
出来るかぎり自分のことは自分でやって、
自分の意思で行動し、
何にでもチャレンジしたいのです。
その可能性が1%でも、私は自分の人生を自分の力
で切り開いて行きたいのです。」
(1989.5.30 T・M)


「一所懸命歩いて、ドアを何度もたたき、
自分の考えをぶっつけなければ、
自立は0%で終わってしまうかもしれません。
あきらめなければ100%です。」
(1989.6.22 小山内)


「先週の土曜日、札幌行きを親に切り出したのですが、
予想どおり猛反対を受けました。
とくに母親には参りました。

母親の言い分は

『理想と現実は違う。
理想を追い求めているとかならず失敗して自分が
惨めになるだけ。
お前は自分のおかれている立場をよく考えて
行動しなさい』

と言われました。
また、

『これからおまえがやろうとしていることは
日本の障害者のトップ・レベルを歩むことで、
けっしてお前の出来ることじゃない』。

私もそう思います。
ただ、経済力が低いことで諦めて良いのでしょうか?
小山内さんのお母さんも同じだと思いますが、
これまで私をどのように育ててきたか私だって
わかります。
その話を泣きながらされるとすごく弱いのです。
あとの問題はお金です。」
(1989.6.30 T・M)


「お金が苦しいと言いますが、あなたは自分に
月どれくらいの障害基礎年金が出ているのか
知っていますか。
地方によってもちがいますが、いろいろ加算すれば
八万円くらいは出ているはずです。
自分の年金(給料)をいくら家に入れるか、
いくら自分の小遣いにするのか、
いくら貯金するのか自分でやっていますか。
きっと親にまかせっきりではないでしょうか。

私も二十歳ごろまで、なんでも親まかせでした。
私の生きる道は、親が作ってくれると思いこんで
いました。
でも私のほうが若い。
同じ日にはお墓には行けないことを知りました。

親まかせの生き方はやめようと決心した日から、
毎日親とけんかでした。
しかしそのうち親も根負けし、
(言っても無駄だ! ほおっておけ!)
というふうになればしめたもの。
障害をもたない人たちも、親に逆らいながら大人に
なってゆく。
そして自分が親になったとき同じことを繰り返す、
というのが人間の歴史です。
ただ障害者は、今の世の中の仕組みのままでは親に
抵抗できない。
親に捨てられては生きられないという恐怖があるから
夢を捨ててしまうのです。

でも、やっぱり親は先にあの世に逝ってしまうのです。
一生あなたの生涯にはつきあえないのです。
親が障害者のわが子にやりたい事をやらせないことは、
非常に無責任な愛だと思います。
一年、一ヵ月、一日でも若いうちに社会の厳しさを知らせる
ことが親のわが子に対する最大の子育てだと思いますが、
いまの親は間違っています。
子供が親の生きがいになってはいけないのです。
それは障害者でも、そうではない人でも同じです。

『ピア・カウンセリング』とは何かといえば、あなたと私の
この手紙のやりとりがまさにピア・カウンセリングなのです。
私はあなたと同じ障害者、私の経験したことをあなたに
言っている。
もうこの手紙で私はあなたにカウンセリングを
しているのですよ。

札幌に来ることの意味は、カウンセリングの会場に
来ることではなく、あなたが親と戦い、勝利し、
ひとりで汽車に乗ったり、飛行機に乗ること。
そしてあなたが夢と勇気を持てるようになることです。
途中で言葉がうまく通じなくて、警察に保護されて
家へ帰されるかも。
それでもあなたの行動は間違っていないのです。」
(1989.7.7 小山内)


「結論から言います。
今回の札幌行きは諦めようと思います。
これは言い訳かもしれませんが、私は親に負けた
のではなく、お金に負けたのです。
・・(中略)・・・もし親に経済力があり、
私にお金があれば、親に殺されても冒険をしたいです。
・・・(中略)・・・
実は父親も軽度ではありますが、障害者手帳を
持っています。
・・・(中略)・・・
家で障害者じゃない男は弟一人です。
両親はその弟だけは一人前にしたいというのが
願いです。
両親は『弟の幸福はお前の幸福』と考えています。
でもそれは違うと思います。
・・・(中略)・・・
そんな訳で両親は今は頭も金も弟のことでいっぱいです。
家の経済力では私の年金でさえ使わなくては弟を
大学へはやれないのです。
私としても大学ぐらいは出してあげたいと思います。
・・・(中略)・・・
今私が自由になる金は、今年の一月から通っている
作業所の給料、三千円前後だけです。
その金をためて札幌にどうどうと行きたいと思います。
その時はよろしくお願い致します。」
(1989.7.13 T・M)


「それぞれの家庭の事情があると思いますが、
やはりあなたは自分に負けたような気がします。
大の男が一ヵ月自由になるお金が三千円では、
何年たてば札幌に来られるのでしょうか。
煙草や酒をやめたくらいではあなたは若いうちに
自由にはなれませんね。
弟さんにご家族の皆さんが期待するのは
よく分かりますが、弟さんの荷が重過ぎると思います。
あなたの年金までつぎこんで大学に進学するという
考えは絶対にやめたほうがいいと思います。
そうしたほうが弟さんも自分の人生の選択権が
ひろがるのではないですか。

親が子供の将来を縛るのは、日本の福祉が貧しい
からです。
親も子もそれぞれ独立した人間です。
年金を生活費に入れているということには、
そこの家庭の事情があるのでしょうが、
弟の学費まで年金からというのはおかしいと
私は思います。
やっと弟さんが大学を出て、就職をして結婚したとき、
それからあなたの旅立ちですか?
それは悲しすぎます。
たくさんの仲間たちと接し、障害が重ければ重いほど、
一ヵ月、一日でも早く若いうちに自立したほうが
いいのでは、と思います。
『鉄は熱いうちに打て』ということわざ通りです。
でも命がけで育ててくださった親にはなかなか
逆らえないという気持ちも痛いほどわかります。
でもまず自分を真剣に愛することから始めてください。
きっと何かが見えてくると思います。
・・・(中略)・・・

私も若い頃、自分が嫌いでした。
でもたくさんのことを経験したとき、少しずつ自分が
好きになってきました。
そんなとき少し惚れてくれる人が現れ始めたのです。
せっかく引っかかった男にふられたとき、
また自分の障害を呪いました。
でもまたチャレンジしました。
失敗は人を成長させてくれます。
あなたもこれから失敗の旅が始まるのですね。
何度失敗するか競争しましょう。
失敗の数が多いほどあなたを大きくさせます。
親の言うなり、施設にいれば、あなた自身の失敗は
一度も経験できないでしょう。
失敗は親や職員が後片付けするからです。」
(1989.7.18 小山内)


「・・・その時私が泣いたのは、彼女が結婚することも
ありましたが、いつまでも親の言いなりで、
他の同じ年代のやつらは親になっているのになぜ、
俺だけが親の支配下の中で子供でいなくては
いけないのだろうと思ったからです。

その日、私は酔いつぶれるまで飲みたかったのですが、
親に買ってもらったのは缶ビール一本きりでした。
一本なんてコーラを飲むのと同じです。
二十四歳の男が失恋したのですから、悪友と夜通し
飲み明かすでしょう。
結局私たちは、親から離れない限り、金も、酒も、
タバコも、恋愛も自由にはなれないのです。
小山内さんの言うとおり一日も早く自立したいです。
弟の大学ももちろん夜間部です。
昼間はバイトをしています。
母親は

『自立には反対じゃない。
ただ弟は今しか時間がない。
今やってやらないとだめ、お前には時間がたっぷりある。
弟のことが終わるまで待ってほしい』

といいますが、私は待っていいか疑問に思います。
私だってこんな身体です。
あまり時間がないと思います。」
(1989.7.25 T・M)


「私のそばにはいつも誰かがいました。
介護してくれる方は私の言うとおり動いてくれます。
でも、何かが違うんですよね。
何が違うかは分かりませんが、もちろん我々障害者にとって
介護者は命の次に大切です。
でも、時には介護者から離れるのも必要だと思います。」
(1989.9.15 T・M)


「あなたが、初めて一人で物を買った喜びよくわかります。
私も初めて一人で喫茶店に行ったとき本当に生きるって
いいなーと思いました。
一人になることはとても大切です。
グループホームに住みたいという気持ちわかります。
けれど、そこに住んでしまうとなかなか出ていく人が
いないのが現実です。
横浜からも、あまりいい返事は来ないと思いますよ。
一人暮らしをする前に、一人で出かけること、
料理をおぼえることなど、社会のルールを身につけることから
始めなければ、一人暮らしを始めてもボランティアや
介助スタッフにふりまわされて、自立ではない生活をしている
人を私は何人も見ています。
精神を強くすることから始めてください。
たくさん冒険をしてください。」
(1989.9.27 小山内)


「私は今自立という夢に向かって走っています。
しかし、多くの障害者が夢や自分自身の感情や怒りを
捨てて親や施設のいいなりで暮らしています。
最近親の会で知りあった障害者もその一人でしょう。
彼は生まれて間もなく施設に預けられてから三十五年間
ずうっと施設生活でしたが、施設の管理、職員の態度に
耐えられなくなり、施設から逃げ出し自宅へ帰ってきました。
その彼が涙をこぼしながら私に言うのです。
『好きな時間にテレビが見られ、好きな物が食べられ、
自分の意思どおり生きられる。
家に帰って来て良かった』と。
私は施設生活の体験は子供の時しかありません。
子供心にも施設がイヤでイヤで仕方がありませんでした。
大人の施設がどういうところか分かりません。
でも、彼の話を聞くと人間として生きる気力がなくなる所と
思われます。
彼は今、本当に幸せと言いますが、それでいいのでしょうか。
彼の家は障害を恥ずかしいと思っているようです。
弟の結婚式にも出られないのです。
弟の結婚式に出席するのは当たり前でしょう。
彼自身も『俺がいるとみんなに迷惑をかける』という考え方で
外へ出ようとしません。
親も彼を人間として扱っていない証拠です。
買い物にも行けず、頭は丸坊主。
毎日毎日テレビとにらめっこの人生が幸せという彼が
かわいそうでたまりません。
彼と小山内さんを比べると、雲の上を跳び越して宇宙の
果ての遠い星の人のようです。
でも私はその星に昇って行くのです。
親も私の自立に徐々にではありますが、関心を持ち始めました。」
(1989.10.6 T・M)


「確かに私は、今まで親の顔色を見ながら生きてきました。
買い物に行きたいときやお金が欲しいときなどは、
親の機嫌のいい日を見はからって言いだします。
情けないと思いません?
二十五歳にもなる男が、たかが三千円や五千円の金を使うのに、
いちいち親の顔色を見なければ使えないのです。
これは親が私を子供の感覚で見ているからではないでしょうか。
普通の人なら、高校にでも行けばバイトもでき、自由なお金も
手に入るでしょう。
しかし、我々障害者はいつまでたっても、自分の自由になる
お金はできないのです。
私もそれを変えようとしましたが、どうにもなりません。
親としても精一杯苦しい生活の中で育ててくれたのです。
ストライキを起こしても、結局は負けてしまうのです。
親の顔色を見るのは、まさしく障害があるからです。
健常者ならば、親に捨てられても自分で働いて食べて行けます。
家にいる限り、親に見放されたら生きて行けません。
何も目標のない施設で、動物園の動物のようにただ餌だけを
楽しみにいきていかなければなりません。
その恐怖感で親に逆らえないのです。
その状態を変えるために自立を決意したのです。」
(1989.12.7 T・M)


「ヒューマンケアの中西さんと話ができてよかったですね。
彼があなたに対して、一時的にでも施設に入ってみたらと
言ったのは、あなたはまだまだ精神的に自立ができてないと
思ったからかもしれませんね。
施設や親から独立したら、即自由が手に入るわけではありません。
自由になる裏には辛く厳しい生活や人間関係、精神のトレーニング
が必要です。
札幌でも、まだ指折り数える人しか一人でアパート生活をしている
人はいませんが、真に自分自身で生きているかというと、
首をかしげるケースもあります。
部屋に閉じこもり、テレビとにらめっこしたり、ボランティアに去って
いかれては困るという恐怖から、物を取られても、
自分の意に反したことをやられても、我慢している
人もいます。

自由とは、たえず自分を厳しく律することだと思います。
・・・(中略)・・・
施設は大きくなればなるほど、職員たちの意見に対立があり、
それが一番障害の重い者にふりかかってくることは
悲しむべきことです。

『あの看護婦さんは、怖いからちゃんとしなければ』

『あの保母さんは優しいから甘えてもいい』

などと、子供たちは毎日カメレオンのように暮らしている
のですものすね。
でもね、これは普通の社会や会社に行っても、
みんなカメレオンで生きています。

施設に入ってしまうと、夢を捨ててしまう人がいますから、
施設はあなたにとって人生の階段だと思ってください。
施設の建物が立派になったり、職員が多くなっても、
私たちが子供の頃経験してきたイヤな思い出が、
今も繰り返されているのでしょうね。
施設は社会へ出るためのトンネルでなければなりません。
でもトンネルから一生出られない人たちが、あまりにも
多すぎることは悔しいことです。
何としてもこの現実を壊すことは、私たちにしかできない
仕事なのです。
施設に入ったら、思いっきり年金でやけ酒を飲んでください。」
(1989.12.13 小山内)


「親ともめていて手紙が書けない状態でした。
本当にごめんなさい。でも、けっして自立を諦めた
訳じゃありません。
もめた原因は今年の三月の衆議院選挙でした。
私はこれといって投票したい候補者はいませんでしたが、
親に逆らう意味で投票に行きました。
私の地域の投票所は土足では投票出来ません。
従って私が投票するには係員が抱いて行かないと
投票できません。
それが親にとっては恥ずかしいことに思えたのでしょう。
係員も地元の人だし。
投票から帰ってくると凄いけんまくで言われました。

『あんな思いをして一票入れたってしょうがない、
世間に後ろ指をさされるだけだ』

またこんなことも言われました。

『おまえがいくら自立自立と叫んでも普通の人間としての
人生は歩めない。
障害者なりの人生を歩めばきっと幸福になる』

障害者なりの人生とはなんでしょうね。
また同封した手紙は母親にあてた手紙です。
いちご通信に載せてください。
あれだけの手紙を書いても分からない親たちが憎いです。」
(1990.7.5 T・M)


「なぜ俺が家を出たいか、思っていることを全部書きます。
お母さんが言うように、異性を求めていることは確かです。
結婚はいずれにしても

『一度でいいから女を抱きたい』

『このまま女を知らずに死にたくない』

という気持ちが強いのです。
それが自立したい理由の半分以上です。

でも、それだけではありません。
他にもいろいろあります。

いつか弟がこの家にお嫁さんを連れてきた時、
俺はどんな顔でそのお嫁さんに会えばいいのですか。
弟の兄貴としてではなく、単なる『この家の子供』でしか
会えないでしょう。
結婚式にも出席できずこの家に取り残され、
ただ一人結婚式が終わるのを待っている俺を想像すると、
惨めな気持ちになります。
たかが一日と言うかもしれません。
だけど、その一日が来る日が怖いのです。
恐ろしいのです。
この気持ちは誰にも分からないと思います。

その後も、ずうっと弟は大人の立場で、
俺は子供の立場でつきあって行かなければ
ならないのです。
お嫁さんとも対等には話ができないでしょう。
障害者は親のそばにいる以上、大人には
なれないのです。
また、世間からも大人として認められないのです。

この前、従兄弟のサッちゃんが来た時、本当に
悔しかったです。
本当なら一緒になって話ができるはずです。
サッちゃんとは遊んでもらった思い出があるし、
年だって違わないのです。
なぜ、あいさつだけしてコソコソと奥へ逃げなくては
ならないのでしょう。

小さい頃から、弟の成長が怖かったのです。
それは俺とは違う人生を歩み始め、
俺からだんだんと離れて行くからです。
チョコレートが多いの少ないのととっくみあいの
喧嘩をしていた相手が高校へ行き、
大学へ行き、お嫁さんをもらうのですよ。
こっちは相変わらずチョコレートが多いの
少ないのとやっているのに。

お母さんはよく俺が施設に入れば、弟が面会に
来てくれると言いますが、
それを心から喜べると思いますか。
行きたい所へも行けず、食べたい物も食べられず、
自分より年下の職員を先生と呼び、
いつも拘束された生活をしているのです。
弟は、お嫁さんと子供を連れてしあわせそうに
来るのです。

『兄ちゃんこれ食え』

と言ってくれて、嬉しいと思えるほど俺は立派
じゃありません。
どう思いますか。

俺が自立したいのは、異性だけのことではなく、
人間として大人として生きたいのです。
応援してください。」
(お母さんへ T・M)(1990.7.5 T・M)


「・・・親の強い愛に負けてしまい、家や施設に
閉じこもってしまった人をたくさん見てしまったので、
またあなたもかとがっくりしてしまいました。
選挙よく行きましたね。
一票をあなたが入れたこと、それは人間としての夢です。
私も誰に入れてみようかという思いがない時も、
選挙には行きました。
私たちはみにくい体を見せて、

『私はここで生きてるぞ!』

と言うことが、もっとも大切な仕事です。
あなたのとった行動は正しかったと思います。

葬式、結婚式に出られない悔しさは、言葉では
いい表せません。
従兄弟の結婚式に姉に声がかかっても、
私には声がかかりません。
子供の頃、なぜ自分だけ取り残されるんだろう?
と不思議でした。
でも、だんだん年をとってきて、私の存在を隠したいんだ
ということが分かった時、ショックで誰にも言えませんでした。
親の葬式さえ、家に鍵をかけられた友人もいます。
あなたは何があろうと、弟の結婚式に出てください。
出たからといって、何も変わらないけれども、あなた自身が
変わってきます。
あなたのお母さんはあなたを産んだことで親戚友人から
白い目で見られ、障害を持つ子を産んだことは全部
お母さんの責任にさせられたのでしょう。
女は健康な子を産む一つの道具に過ぎないという考えも、
今もってなくなっていないのだと思います。
お母さんが悪いのではなく、そうさせてきた周囲の人たちが
悪いのです。
あなたが自立した時、お母さんは女としてのプライドが
持てると思います。

私がスウェーデンに行って、あるスウェーデン人に

『あなたのお母さんはあなたを産んでよかったと
思っているでしょう』

と言われた時、私は涙が出たことを思い出しました。
どんな子を産んでも女は偉いという社会になるといいですね。

サッちゃんとチョコレートのお話いいですね。
あなたはチョコレートではなく、恋人が欲しいのでしょう。
私は欲しいものはまず手に入れたので、チョコレートも男も
似たようなものだと思います。
でもやっぱり味見をしなければ死にきれませんよね。
どうしたら恋ができるかなあと考えています。
やっぱり失敗を恐れないこと、数打てば当たる!
という根性でしょう。
女を抱きたい!! と思いながら生きること、
それがエネルギーになり、あなたの人生が変わってくると
思います。
プライドを持った人間として、エッチな男として生きましょう。」
(1990.8.15 小山内)


「今回東京へ行き、一番感激したことは、いちご通信で
登場していたT・Mさんに会えたことだ。
あまりにも言葉がはっきりしており、スマートな雰囲気もあり、

『この人が本当にあの暗い手紙を書いていた人かなー』

と、自分の目を疑った。
三、四年前電話が来ても、ひとつの言葉を聞き取るのにも、
三、四分かかった。
まったく奇跡である。

『どうしてそんなにスラスラ話せるようになったの?』

と聞くと、

『独り暮らしをしたら介護者が来てしゃべらなければならない、
家に居た時は何もしゃべらなくても一日が終わっていた』

これこそ真のリハビリテーションであると思った。

『姉が来たので町を案内したんだよ。
両親も諦めたらしく、いまでは喜んでいる』

と、彼の目は太陽のように輝いていた。
私が手紙を書き続け、そしてヒューマンケア協会が、
彼を受け入れた。
すばらしい連携プレーではないだろうか。」
(小山内)

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by bunbun6610 | 2013-08-26 18:00 | バリア&バリアフリー