聴覚障害者にとって、音楽とは?

音楽って何だろう?

私も以前は、
つまり聴こえていた頃は、
音楽を聴いていた。
音楽はかなり好きなほうだった。

でも今は、音楽とは全く無縁の生活をしている。
聴こえない耳に音楽は不要となったからだ。

不要なだけではない。
おそらく、今では音楽を意識的に避けるようになっている。
そのため、部屋のなかにあった楽器、ステレオ、
レコードやCDは全て捨てた。
でもそれは決して、音楽が嫌いになったわけではない。

よく、健聴者の間では

「音楽には国境がない」

とか言われる。
でもそれは、真っ赤なウソだ。

その証拠に、聴覚障害者、そのなかでもろう者(Deaf)には、
音楽とは無縁の人がほとんどだ。
聞こえない者に音楽は無意味だからだ。

私もその一人になった。
私も今では、音楽には興味がなくなった。

繰り返して言うが、音楽が決して嫌いになったわけではない。
健聴者は、好きな音楽とか歌とかを聞くと皆、
ケンカもやめるほど、心がひとつになるかのようになる。

シラノ・ド・ベルジュラックは、仲間が空腹に我慢がならず、
言い争いを始めたとき、自分の歌を聞かせて落ちつかせた。

歌や音楽が、皆の心に協和音を届けてくれるのかもしれない。

それは、聴こえていた頃の私も同じだったと思う。

でも、今は違う。

音楽のある環境にあっては、自分だけが、
孤立してしまう。
自分だけが、皆が聞いている音楽に共感できない。

それが耐えがたくなったから、音楽から意識的に
遠ざかるようになったのだ。

もはや一人で聴くこともできなくなると、
音楽の存在は、耳が聴こえなくなったことを
思い起こさせるものでしかなくなる。

それなのに、佐村河内守氏はなぜ、
それに耐えられるのかが、不思議と言えば不思議だ。

彼の場合、元々好きだった音楽でその個性が育ち、
失聴後も、彼自身が生きる術として持っているのは、
音楽しかなかったから、
音楽とともに生きているのかもしれない。


「私には夢があります。
もし何らかの奇跡が起こり、聴力が甦り、
発作も消えうせたときには、迷わず筆を折り、
作曲家以外の道を選ぶことでしょう。

裏を返すならこの淡い夢は、愛する音楽と
引きかえにできるほど、いまの精神的・肉体的苦痛が
耐えがたいことを表しているのかもしれません。」
(『交響曲第一番』〔佐村河内守/著 講談社/発行所〕より)



やはり、彼もろう者(Deaf)とは全く対照的な思考だと思う。
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by bunbun6610 | 2013-05-28 18:00 | 難聴・中途失聴
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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610
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