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生きるということ

副題;『人間が生きるということは、
他者とコミュニケーションをするということ』



「神は言われた。
我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。』」
(『創世記』第1章26節)



「初めに言〔ことば〕があった。
言は神と共にあった。言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。」
(『ヨハネによる福音書』第1章1、2節)





たまたま、次の記事を見つけました。




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『中途難聴者の就職について困っています。
どうかアドバイスを頂けたらと思っております。』

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1241438587



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そのベストアンサーに選ばれた方の回答文からの引用です。
この方は、自身は手話講師だと明かしています。


>「すべてを見渡すための両目があること。
それは自分の家族や自分が大切な人の
顔を見られる幸せ、景色、字などなどが
見えるということは最も幸せなことなんです」


>「自由に動ける身体があり、すべてを
見るための両目がある。」



私なりに自分勝手に解釈させていただきます。
これは実を言うと、両方とも、手話が使える条件です。
(ただし、盲ろう者には「触手話(※)」という、
見えなくても手話で伝え、解読する方法があります)


(※)触手話とは

http://www.tokyo-db.or.jp/?page_id=148



「両耳が聴こえなくなっても、あなたには
まだ両目があるじゃないか」

それは自分に残されている能力を忘れず、
生かすこと。
障害を持つようになっても、ポジティブな生き方
へ精神エネルギーを運ぶ。
それは可能だ。

耳が聴こえなくなっても、手話を覚えればいい。
手話がある。
もちろん、周囲の人たちの協力も必要ですが。

手話の仲間は、手話者の声を耳ではなく
眼で聴いてくれます。

しかし、もしもそれさえも見えなくなってしまったら…。
それが人間にとって、最も恐怖することだと思う。

下の記事はもしかすると、それを象徴的に
表しているのかもしれません。



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ニューズウィーク日本版
ベルギーの双子が
安楽死を選んだ理由

2013年01月15日(火)16時58分


http://m.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/01/post-2814.php


生まれつき耳が聞こえなかったベルギーの
45歳の双子の兄弟が、
昨年12月に安楽死を選択していた。
 
 兄弟が同時に自殺ほう助による死を選んだ
最初のケースだ。
さらに2人とも極度の痛みに苦しんでいたわけ
でも末期患者でもなかったため、ヨーロッパ
では安楽死の是非について議論が再燃して
いる。

 聴覚障害のあった双子、マークとエディー
・バーベッセムは、病で視力も失うことが
分かってから安楽死を依頼できる医師を
探し始めた。
お互いの顔を見られなくなってしまうことが
耐えられなかったからだという。
 彼らの願いに手を貸した医師デビッド
・デュフールによれば、2人は穏やかな
最期を迎えたという。

「コーヒーを飲みながら両親やきょうだいと
最後の会話を交わしていた。
その別れはとても平穏で美しかった。
2人は最後に小さく手を振ってさよならを
した」

と、デュフールはドイツの地元メディアに
語った。
 
 ヨーロッパではベルギーのほかにスイス、
オランダ、ルクセンブルクで安楽死が
認められている。

一方、イギリス政府は安楽死と自殺ほう助
を法的に異なるものと定義。
安楽死は

「苦しみを取り除いてあげるために人の命
を故意に終わらせる行為」

であり、自殺ほう助は

「自殺を図ろうとしている人を故意に助け
たり促そうとする行為」

だという。

 ベルギーでは02年、成人で判断能力が
ある場合に限るなど特定条件の下で、
安楽死が合法化された。

さらに昨年12月には社会党政権が認知症
患者や子供にも安楽死を認めるという改正
案を提出し、物議を醸している。

改正の目的について同党は

「耐え難い苦痛を伴っているケースなどに、
より柔軟に対応できるようにするため」

としている。

 ベルギーでは2011年に1113人が安楽
死を選択。
うち91%は

「死期が近い」

と診断された患者だった。



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原文には

「生まれつき耳が聞こえなかったベルギーの45歳の双子の兄弟」

とあります。
すると、記事には書かれていないのだが、
この兄弟は、ろう者兄弟である可能性が高い。


また、記事には

「お互いの顔を見られなくなってしまうことが耐えられなかったから」

とも書いてあります。

しかし、この兄弟にとって最も悲しいのは、
本当にそれだけだったのだろうか。

もしも、ろう者兄弟だったとすれば、もっとある。

それは、お互いの手話すらも見えなくなる、ということだ。

そういえば、東日本大震災の被災地でも、避難所に
残されたろう者が生きるために一番必要としていたのは、
手話だったといわれている。

これがどういうことかは、健聴者にわかるまい。



〔参考記事〕
『コミュニケーションは、人間が生きるために必要なもの』
〔2012-02-18 01:19〕
by bunbun6610 | 2013-04-04 18:00 | 聴覚障害者心理

ある障害者から見た世界


by bunbun6610