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「手まね(手真似)」とは何か?

「手まね(手真似)」とは何か?

ウィキペディアによると、次のように説明されています。


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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E7%9C%9F%E4%BC%BC

「手真似(てまね)は、ジェスチャーに当たる日本語で
手話の一種あるいは原型、また手話の古い呼び名や
蔑称でもある。
手真似はろう者などが採るコミュニケーション手段の
一つであり、手の動きにより言葉などを表現する。
ただし以下のような偏見があるため、日本では口話法の
普及により現実のろう教育の現場では駆逐され、
禁止されることも多かった(手話#ろう教育における手話の現状
も参照)。
ただし、手話の表現内容が低いと思われたのは聴者教員の
手話レベルの低さに問題があるとの指摘もあり、
ろう者からは口話教育の強要は聴者への同化を迫るものだと
する批判がある。
障害者権利条約第21条では手話は言語として認められ、
「手真似」が受けてきた不当な扱いは認められない
。」


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>「障害者権利条約第21条では手話は言語として認められ、
「手真似」が受けてきた不当な扱いは認められない
。」



昔、ろう学校の健聴者は、
ろう者の手話を見て「手真似」と呼びました。
しかし、「手話」は「手真似」ではありません。

ウィキペディアの記述には、
その手話と手真似の混同視が見られるような
気がします。

健聴者が「手真似」と呼んだ、その考え方に、
もともとの誤りがあったのです。

昔のろう学校教師が「手真似」と呼んだ手話は

「(手真似は)日本語よりも劣るもの」

と考えていました。
つまり、手話を言語と認めていなかった、
というわけです。

しかし、言語としての「手話」と、
健聴者が呼んだ「手真似」とは、
もともと別物です。

「手真似」という言葉も、
それをろう者の手話へ当てはめたことも、
健聴者の無知から生まれた産物に過ぎません。

健聴者は自己の手話に対する無知を棚に上げて、
ろう者の手話を「言葉」であるとは
認めてこなかったのです。

そうすると当然「手真似」とは、
ろう者が生んだ「手話」とは、
明らかに違います。

それなのに

「「手真似」が受けてきた不当な扱いは認められない」

とは、何たる誤解だろうか。

そこに健聴者が永いろう学校の歴史のなかでも、
「手話」を「手真似」と呼び、
手話弾圧をしてきた罪が記されているのだと思う。

(健聴者が考える)「手真似」と、
(ろう者が使う言語としての)「手話」は違うということが、
わかっていないのだろうと思う。

昔は、ろう者と同じく「聴覚障害者」と
いわれる難聴者や中途失聴者にさえ、
「手話は動物的なコミュニケーション手段だ」

と考えられ、プライドの高い彼らは、
ろう者と同じ手話を覚えようとはしなかった、
という。

今でも難聴者や中途失聴者には、
ろう者の手話は日本語より劣るものとの考え方を持ち、
日本語対応手話に固執する人はいるものです。

難聴者や中途失聴者が使う手話は、
手話学では「日本語対応手話」と呼ばれているものですが、
これは基本的に、日本語文章を手話に置き換えたものです。
つまり日本語の文法そのままに手話で表すものです。

いわゆるバリアフリー手段の一種として、
自己のコミュニケーション手段のひとつに、
代用手段として取り入れているわけです。

聴覚障害者のトータル・コミュニケーション、
その手法のなかのひとつであるわけです。


ところが、(日本の)ろう者が使う「日本手話」では違います。

すなわち、日本手話は日本語の文法に倣って考案された言語ではなく、
ろう者が中心になり造られてきた、
日本語とは独立した言語だということです。


ウィキペディアで「手話」を調べてみたら、次の説明がでていました。


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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%8B%E8%A9%B1

「手話(しゅわ)とは、手指動作と非手指動作(NMS, non-manual signals)
を同時に使う視覚言語で、音声言語と並ぶ言語である。
手話は聴覚障害者(ろう者)が中心となって使用している。」


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「非手指動作(NMS, non-manual signals)」というのは、
健聴者、難聴者や中途失聴者の手話(日本語対応手話)では
非常に少ないもので、逆に言うと、ろう者の使う日本手話では、
これを非常によく使い、極めて重要な文法になっています。

健聴者、難聴者や中途失聴者とろう者との手話が違うと言われたり、
両者の手話が通じないと言われるのも、これが大きな理由の一つ
だと思います。

ということで

>「手話は聴覚障害者(ろう者)が中心となって使用している。」

という記述も、これだけでは世の中にかなりの誤解を招きやすく、
とても充分な説明とは言えない、ということもわかると思います。

同時に、健聴者が聴覚障害者の世界を理解することの難しさも、
自然とわかってくると思います。

聴覚障害者の世界というのは、健聴者が思っているよりずっと、
深くて広い、しかも複雑な世界なのです。

もちろん、このブログの記述も、
聴覚障害者の代表的意見というわけでは決してなく、
ある聴覚障害者の意見に過ぎません。


ちなみに、当ブログでは日本語対応手話を
否定しているわけではありません。

ろう者の使う手話と、
健聴者や中途失聴者、難聴者が主に使っている
手話の違いについて説明しているだけです。
これをきちんと理解することが、
手話の学習にも役立つと思っています。



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【追記(参考記事)】(2023718日)

手話が必要なのは、実はろう者だけではない(手話言語法の必要性。社会には、様々な聴覚障害者がいるということを、知ることも必要)

2023 02 14

手話が必要なのは、実はろう者だけではない(手話言語法の必要性。社会には、様々な聴覚障害者がいるということを、知ることも必要): 蒼穹 -そうきゅう-(exblog.jp)

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【追記】(20231112日)

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ろう者の手話と、日本語の方言の共通点(ともに、人間の使う「言語」であること)

2023 10 12

ろう者の手話と、日本語の方言の共通点(ともに、人間の使う「言語」であること) : 蒼穹 -そうきゅう- (exblog.jp)

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手話を、言語と認めていない現実(手話は、日本語の影響も受けている)

2022 07 01

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2つ(両極端)の手話を目撃した日- それでも手話を使う人が、社会に広がっていく(様々な手話)

2022 06 18

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2011 04 12

手話についての、(財)全日本ろうあ連盟の見解は? : 蒼穹 -そうきゅう- (exblog.jp)

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2023 10 09

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2022 06 16

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2022 11 26

健聴者が何と言おうと、健聴者がどんなに社会を、自分たちの都合のいいように変えてしまおうと、手話は必要だと思う(不滅の手話): 蒼穹 -そうきゅう-(exblog.jp)


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2023 11 01

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【参考情報】

手話は一つの言語 「手話を『言語』として理解するには」 - 東京都人権啓発センター (tokyo-jinken.or.jp)

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by bunbun6610 | 2013-04-08 18:00 | 手話学習(手話を学ぶ前に)

ある障害者から見た世界


by bunbun6610