バカがいつまでも聴覚障害者差別をしている時代に

※ ここで言う「差別」とは、健聴者が知らずに、
聴覚障害者に対して行っている「間接差別」
のことを指しています。
そして、当然のことですが、そうした差別を
している人間には、その差別をされている
人間のことなど理解できません。
もし理解できているならば、彼らは差別を
やめているはずだからです。


〔参考資料〕
『「差別」の定義を巡る論点(その1)に関する意見一覧』
(差別禁止部会 第6回〔平成23年7月8日〕 資料2)

http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/b_6/pdf/s2.pdf



長年、会社の無理解に我慢しながらも定年後再雇用で、
65歳まで働き続けてきた難聴者先輩と会い、
話しました。

難聴者;「会社はどう?
大変だろう?
オレも大変だったよ。

オレはこっちの耳からは聴こえるけど、
もう一方の耳からは聴こえないんだ。
でも、それを話しても健聴者は、
そういう難聴の苦しみを理解してくれないんだ」

私;「健聴者は、それが当たり前です」

難聴者;「キミは職場でどうしているの?
補聴器はしているの?」

私;「僕は補聴器をしています」

難聴者;「えっ?! 補聴器をしているの?
補聴器で聴こえるの?」

私;「曖昧に聴こえます。
条件によってですが…。
ただ、補聴器をすれば音は聴こえるのですが、
何と話しているのかまでは、ほとんどわからない
場合が多いです。
だから、筆談ボードも常に携行していて、
聴いてもわからないときはボードを相手に差し出して、
書いてもらっています」

難聴者;「それじゃ、どうして補聴器をしているの?」


どうやら、この難聴の先輩でさえ、
重度聴覚障害者が補聴器をしている、
本当の理由を知らないらしい。

当然です。
その難聴者はそれで、ずっと我慢してきただけなのですから。

「もう、仕方がない」
(あきらめて我慢するしかない)

と思ってきたのです。

しかし私は、それで終わらせませんでした。
わたしのこの行動力は暗黙に

「私もここまで努力しているんです。
だから、あなたも今度は譲って、書いて下さい」

と、相手に伝えているのと同じなのです。

確かに補聴器は、ほとんど役に立っていない状況が
多いものです。
(そうなるのは一番に、健聴者のほうのコミュニケーション
に問題があると思うのですが)

でも、だからといって補聴器をしないでいると、
健聴者のなかには

「補聴器をしろ! 補聴器を!!
両耳につけて来い!!」

と、意地悪のように言い続けてくる人もいました。

それを気まずそうに聞いていた周囲の健聴者も、
ひっそりと笑っていました。

健聴者の頭の構造なんて、そんなものなのです。

「耳が悪いというのに、補聴器もつけていないほうが悪い」

というふうに、その健聴者は思っているようなのです。(※1)


(※1)補聴器の限界についての詳細は、当ブログ

『補聴器の雑音と健康な耳の聞こえ』
〔2013-03-18 18:00〕


を参照。



社会には、自分の聴覚障害者への無理解は棚に上げて、
このように怒る健聴者がまだまだいるのです。

無知な健聴者には、聴覚障害のことは理解できません。
そのことすら、口で説明してもわからない人は、
世の中にはたくさんいます。

だから、補聴器をしたうえで、それでも聴き取れないことは

「言葉が聴き取れませんので、これに書いて下さい」

と、お願いします。
そこまですれば健聴者も、やっと

「しょうがないな…」

と思うようになるわけです。

合理的配慮ではなく、
お情けをいただいて書いてもらっています。

あるいは、当然ですが補聴器をすれば、
聴こえる場合も聴こえない場合もある。

どうにか聴き取れる場合も、
やはり聴き取れない場合もある。
そのため、健聴者はそのボーダレスな曖昧さを見て、
かなり疑う人もいたりします。
健聴者の中には

「この聴覚障害者は、ちゃんと聞いていないんだ」

と疑う姿勢を見せる人もいます。
こういう人からは良い協力は得られません。
疑われると損するだけです。

人によっては、まるで犯罪者や、
うそつきのように見られる場合さえあります。

あるいは聴こえない分、言葉の解読能力が優れている為、
聴こえていると勘違いされているのかもしれません。

であるから、やはり最初から補聴器をしているほうが、
ある程度は自己防衛にもなるというわけなのです。


視覚障害者が音を聴いて識別する能力が優れているように、
聴覚障害者は視覚情報だけでイメージする力が優れている、
とも言われています。

そうすると「聴こえている」と勘違いしてしまう
健聴者も多くなってしまうものです。

だから健聴者には、そこまでする必要が出てくるのです。
そして、これが会社では聴き取れなくても、
補聴器をしている理由です。
本当は、もう実に馬鹿馬鹿しいことなのですが。

障害者福祉という公金で購入している補聴器が、
この程度にしか役に立たないのは、
健聴者が原因だというのに(※2)
それすら全く理解していません。


(※2)〔参考情報〕

『聞こえと難聴について』


これは、本当に愚かなことなのです。

もしも耳の聴こえない人の世界だったら、
我々は補聴器なんかいらない。

補聴器が要るのは、健聴者社会のなかにいるから、
です。


逆に言えば、未だに

「難聴になっても、補聴器をつければ健聴者と
同じように聴こえるはずだ」

と思い込んでいるバカな健聴者が、
大勢いる証拠なのです。

感音性難聴障害は、単に「耳が遠くなった」のとは
違うのですが、それがわからないわけです。

そのバカも、いずれは老人性難聴になって、
バカが原因の心の病気になってしまうかも
しれない。

本人はそういうこともわからずに…。




【追記】(2017年4月16日)
〔関連記事〕

『週刊文春の佐村河内氏批判について』
〔2014-03 -14 21:31〕




『「残酷なるかな、森達也」- 神山典士(ノンフィクション作家)』
〔2017-03 -18 18:20〕






『DVD『FAKE』(ディレクターズ・カット版)鑑賞後の感想(1/2)』
〔2017-03 -19 18:00〕




『DVD『FAKE』(ディレクターズ・カット版)鑑賞後の感想(2/2)』
〔2017-03 -19 18:01〕






『『障害とは何か?』(木島英登バリアフリー研究所)』
〔2017-04 -06 20:00〕






『日本人は差別が大好き』
〔2016-05-28 21:45〕

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by bunbun6610 | 2013-04-03 18:00 | 就労後の聴覚障害者問題B

ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610