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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

「障がい」表記について

2月19日21:00現在、障害者の持つ障害について、
エキサイトニュースの「コラム&ブログランキング」で
1位になっている記事があります。


『「障がい」表記について』

原文は

はあべ・やすしさんのブログ『hituziのブログじゃがー』
(http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20130115/1358198352)

からだという。


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「社会のありかたが、そのような障害をつくっている。
社会のありかたをかえることで、移動するさいの障害や
情報をやりとりすることの障害をなくしていかなくてはいけない。
この場合の障害は、問題としての障害なわけです。
これを「障がい」と表記するのは、文脈をふまえていないと
感じるわけです。」
(http://www.excite.co.jp/News/net_clm/20130219/Getnews_290611.html?_p=1)



「ものごとは、イチかゼロかではない場合がほとんどです。
ただ、まったくみえない(全盲)、まったくきこえない(全ろう)
という場合もあるので、社会のありかたに左右されない視覚障害や
聴覚障害もあるわけです。
ただし、人間が利用できる感覚は複数あるので、視覚以外、
あるいは聴覚以外の感覚をつかって、移動できること、
情報のやりとりができること。
それが大事です。
つまり、視覚障害に注目するのと視覚障害者に
注目するのとでは、みえてくるものがちがってくる
ということです。
全盲のひとにとって、大事なのは視覚情報以外の
ものだということですね。
きくこと、さわること。
聴覚と触覚に敏感だったり鋭利な感覚をもって
いることも あるということ。
それなのに、音声情報や点字資料がすくなすぎて、
情報のアクセスに障害があるということ。

ろう者も、みること、さわることに重点があり、
視覚と触覚に敏感だったり、
鋭利な感覚をもっていることもある。
それなのに、手話による情報や文字情報がすくなすぎて、
情報のアクセスに障害があるということ。

視覚障害がないとか、聴覚障害がないということは、
なにも、五感がすぐれているというわけではないのに、
「わたしは健常者だ」とおもっている。
点字を触読できるほどの感覚もなければ、
手話の音韻を視認できるほどの視覚も言語的知識もないのに、
「わたしには障害がない」とおもっている。
これはたんに、権力関係を反映しているだけで、
能力の差ということではない。
また、「能力の差」というものがたとえあったとしても、
それを優劣と解釈するのはおかしいという倫理観もないということ。

つまり、たいしたことのない人間だということ。」
(http://www.excite.co.jp/News/net_clm/20130219/Getnews_290611.html?_p=2)




「障がい」という表記は、障害を個人的なこととして
とらえてしまうという問題があります。
そして、社会がつくりだした障害を問題視する視点に
つながらないという問題があります。
もうひとつは、障害を特定のひとたちにだけみいだして
しまっているという問題があります。

(http://www.excite.co.jp/News/net_clm/20130219/Getnews_290611.html?_p=3)



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障害者が持つとされている障害の意味についての解釈が、
医学モデルから社会モデルへと変わりつつあるようです。

〔参考〕
http://plaza.umin.ac.jp/~haruna/icf/med_vs_soc.html

http://www.ab.auone-net.jp/~dannai/rinen/moderu/moderu.html
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by bunbun6610 | 2013-02-19 21:15 | バリア&バリアフリー