補聴器を外した理由

当事者(聴覚障害者)の立場から見ればの話だが、見えない障害とは、
健聴者にとっては何と都合のいいものであろうか、と思う。

補聴器を外した理由は二つある。
仕事中、周囲の人の話し声ばかり聞こえているだけで、
自分はその内容がわからない(音だけしか聞こえない)。

その疎外感、孤独感に我慢を続けるだけで、
そのうちに耐えられなりそうだからだ。
そこに居るだけでも、苦しく、耐え難くなることが、
周囲の人にはわからない。
自分がなぜ、そんなに気にしては苦しむのかもわからないが。

もう一つは、補聴器に依存すれば、筆談などの合理的配慮が
全く得られなくなってしまうからだ。
何度も聞き返すということは、音声は聞こえていると思われる。
そうすると健聴者は、聞き取れなかったら何度も言うようになる。
それが親切、理解だと思い込んでしまっている。
コミュニケーションとして30%も通じれば、その次も、またその次もと、
話しかけられ続ける。
そうして、自分には不得手な音声言語の世界へと引きずり込まれてしまう。

そうすると、もう完全なコミュニケーションなどダメだ。
自分のコミュニケーション方法だけに引きこもっているのかもしれないが、
私はその見方には納得できない。

健聴者は親切のつもりで何度も言ってくれるつもりなのだろうが、
私の立場からは、何度聞いてもわからないとわかっているのに、
我慢して聞き続けるのはとても辛い。
それに応じれば、私は最終的にはわからなくても「わかったふりをする」
昔のクセをまた出さざるをえなくなる。
なぜならば、人によっては、2度目に言う時は、言い方も表情もきつくなるので、
なおさらなのである。

どちらの理由にしても、あまりひどい状況になってしまうと、
相手を殴ってやりたい、という衝動に駆られる場合もあるのだ。
しかしそれでも残念ながら、そんな苦しみを分かってもらうのは無理だろう。
やはり、この苦しみは一生続くのだろう。
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by bunbun6610 | 2013-01-21 20:11 | 就労後の聴覚障害者問題Z1

ある聴覚障害者から見た世界


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