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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

『どうしようもない健聴者の無知、無理解』【再掲】

※ 元記事〔2012-07-24 23:25〕より、再掲載。

筆者自身、難聴体験者として、
難聴に関する記事を多数、書いてきています。

その記事に興味を示す読者は今でも、
何人かはいるらしい。

しかしともかく、日本社会の難聴者理解は
まだまだだと思います。


超高齢化社会に伴い、都会では補聴器をされている
高齢難聴者をよくみかけるようになりました。

農村では、どうなのでしょうか?

ある人に聞いた話ですが、農村では難聴者がいても、
その人は補聴器がなくてもあまり困らない、のだとか。

なぜかというと、もともと一人で農作業をしている人が
多いから、だと話していました。

人間社会から離れて暮らしていると、
難聴でも困らないのかもしれません。

しかし、人間社会の中に入ると、心がおかしくなるようです。
私の父も難聴になり、時々、周囲の人と人間関係の問題が
起きてしまうことがある、と母がこぼしていました。

健聴者は

「老人性難聴は障害ではない」

とか、

「大したことはない。
どうせ、死ぬわけではないのだから」

などど、思っているかもしれません。

しかし、この障害で最も恐ろしいのは、
聴覚障害そのものではありません。
そこから始まる、二次、三次障害が、
当人を蝕むのです。
あえて何かに例えるならば、放射能汚染に
似ているでしょう。



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『どうしようもない健聴者の無知、無理解』

 「聴覚障害者」とは
 「聴覚障害」とは

 ―これらについての健聴者の無知、無理解について―


私はよく

「あなたは、聴覚障害者には見えません」

と言われます。

確か、聴覚障害者である金修琳氏も、

 →http://japanese.joins.com/article/792/140792.html?servcode=A00§code=A10

自著『耳の聞こえない私が4カ国語しゃべれる理由』で

→http://www.amazon.co.jp/s?_encoding=UTF8&field-author=%E9%87%91%E4%BF%AE%E7%90%B3&search-alias=books-jp

「言葉が喋れるから、よけいに聞こえないとは
理解されにくいのかもしれない」

というふうに語っていたと思います。

確かに私も、健聴者に聞いてみると

「あなたは普通にしゃべれるから。
でも、ろう者(Deaf)は喋れないし、喋れる人でも発音がおかしい。
それでろう者(Deaf)なら『聴覚障害者』だとわかる」

と、ろう者と比較されてこう言われます。

これじゃあ、

「聴覚障害者=言語障害者」

という勘違いじゃないのか?
それでなのか、健聴者には、
ろう者(Deaf)だけが「聴覚障害者」で、
難聴者や中途失聴者は

「聴覚障害者ではない」

という、誤った固定概念があるようです。

見分けがつきやすい聴覚障害者
(この場合、健聴者は「ろう者(Deaf)」を指して言っている)
は「聴覚障害者」と思うが、
見分けがつきにくい聴覚障害者
(この場合、健聴者は「難聴者や中途失聴者など」を
指して言っている)


「聴覚障害者とは思えない」

のだという。

下の資料を読むと、難聴者や中途失聴者等は医者でさえ、
外見だけでは見分けがつきにくいようだとわかります。

〔参考〕『「目に見えない障害」について思うこと』
 
 →http://www.rehab.go.jp/rehanews/japanese/No313/1_story.html

そういえば、毎年、日本各地で行われている
地域の手話講習会でもよく、
カリキュラムに入っている「聴覚障害」についての
勉強では、ろう者のことばかり詳しく説明しているが、
難聴者や中途失聴者等のことについては
「ついでに」という程度しか説明されておらず、
明らかに不十分な内容です。
さらに「聴覚障害者」を「ろう者(Deaf)」と手話に訳している、
というお粗末さもあります。
(本当は「聴覚障害者」という意味の手話は、
「ろう者」という手話とは区別して存在します。)

その上、難聴者等は自身の聴覚障害を自己申告したがらない、
ということも、理解不足へと影響しているのだろうと思います。

それでは、お年寄りの人で補聴器を装用しなければならない
ほどの人でも「聴覚障害者」ではないのでしょうか。

「耳が遠くなったお年寄り」であって、
「聴覚障害者」ではないのでしょうか。

おそらくは、ほとんどの健聴者は

「お年寄りの難聴は『聴覚障害』ではない」

と考えているのでしょう。
だから病院などでさえ、難聴になったおじいさんや
おばあさんに対する配慮も、まだまだ少ないのだと
思われます。

「聴覚障害者」とは、国の身体障害者認定基準で
認められた人に対して使われる用語と考えられがちですが、
「そうではない」というほうが事実と言えるのでは
ないでしょうか。

国際的にはどのような基準が採用されているのか、
というと、日本よりはるかに低い基準に
なっているそうです。

〔参考〕
 →http://blogs.yahoo.co.jp/ding_dong_ditch_2000/5990984.html


現実には日本語を知っている聴覚障害者
(日本語を第一言語とする聴覚障害者や、
第二言語に日本語も獲得している聴覚障害者)
と、
日本語を知らない聴覚障害者も
(手話を母語〔第一言語〕とし、第二言語に日本語を獲得していない聴覚障害者)
いるのですが、
それを健聴者は誤解して、聴覚に障害のある者に対して、
そういう分け方をして見ているのかもしれません。
私などは

「本当は聞こえるのに、
聞こえないふりをしているのではないか?」

というふうに見られている場合もあります。
正直、自分の聴覚障害以上に、健聴者のこうした無知、
無理解が原因で、私はしばしば傷つくのです。

当ブログ
『言葉が聞き取りにくくても、会話が出来る理由』
(2012-05-06 18:55)参照。

健聴者は次のようにも、言いました。

「ろう者でも話す人はいるが、
日本語になっていないので、
私には何て言っているのかわからない。
しかし、あなたの日本語はきれいです。
だから、ろう者は聴覚障害者だと分かるが、
あなたが聴覚障害者には見えません」

どうやらこれは、正しい知識に基づいての判断でなく、
健聴者の主観的判断のようです。


耳が聞こえなくても、日本語力がある聴覚障害者だったら、
会話は可能な場合もあります。

当ブログ
『耳が不自由でも会話をする方法』
(2011-07-25 21:18)参照。

この他にも、聴覚障害者の松森果林氏は
「オウム返し」という会話術を使うそうですが、

当ブログ
『『ゆうことカリンのバリアフリーコミュニケーション』』
(2012-04-05 22:19)参照。

それも私はよく使います。

例えば、

健聴者;「れい○うこから、□□もってきて」

私;「(「れいぞうこ」かな? たぶん…、と思って)れいぞうこからですか?」

健聴者;「違う」

私;「(それじゃ、冷凍庫か、と思って)冷凍庫からですね」

健聴者「そう」

これはキャッチボールをするようにコミュニケーションを
繰り返して、聴覚障害者も推測能力を生かし、
日本語の引き出しから言葉を探し当てる作業によって、
なされています。

このような言葉のやり取りが可能だから、
コミュニケーションが通じている。

実際は補聴器を装用すれば全く聞こえないのではなくて、
ある程度不自由(難聴状態)になっているだけなので、
状況など全体的に見て、相手の言いたいことが何なのか、
聴覚障害者である自分でも
判断が可能になっている場合が多い。

それを健聴者は、いつの間にか勝手に、
私が聞こえると勘違いしているのだ。

そして、聴覚障害者でも残存聴力がある人がいる、
ということも知らないのだろう。

健聴者は、難聴者や中途失聴者は喋れるから、
日本語を理解できるから、
言語が自分と同じだからコミュニケーションが
可能だと思っている。

他方、手話一辺倒のろう者との場合は、
このようなコミュニケーションは成立しない、
と思っている。
(けれども、もう何度でも言うが、
そのようなろう者だけが聴覚障害者ではないのです)

手話が多少出来る健聴者になっても、
日本語対応手話をろう者に要求する人が多い。
それはなぜかというと、彼らにはろう者の手話は
分からないので、結局日本語に翻訳できる手話、
つまり日本語対応手話でないと理解できないからだ。

だから日本語を理解できない聴覚障害者とは、
たとえ筆談でも話そうとはしないのだろう。

健聴者にとっては聴覚障害とは、
コミュニケーション障害という意味だけなのだろうか。

そんな単純なとらえ方しかしていないように、
私には見える。

「聞こえる」か「聞こえない」かの、どっちかにしろという、
強引な理解力しか持っていないように思える。

それは、ろう者がよく

「あなたは手話が出来る?」

「出来ないの?」

と聞くのと同じ、二元論で断定することしかできないのと
同じだ。

残念ながら、健聴者だけでなく、ろう者にも
難聴者や中途失聴者のことは理解できていないのが、
聴覚障害者の世界の現状でもあるのです。
それでどうして、ろう者と難聴者、中途失聴者などを
「聴覚障害者」という言葉で一くくりにして考えることが
できようか。

極めつけの健聴者の誤解は

「あなたのような聴覚障害者は、珍しい」

です。
(おそらく、健聴者は本当は「珍しい」というよりも

「あなたは健聴者とほとんど変わらないですよ」

ということを一番言いたかったのでしょうけれども…)

でも、いやいや…。

もうそろそろ、事実をちゃんと知って下さい。
私のように日本語もちゃんと喋れる聴覚障害者のほうが、
世の中には圧倒的に多いのです。

そればかりか、

「今の若いろう者では、喋れる人が多い」

という、ろう者自身の証言もあるほどです。
日本語を喋れない聴覚障害者のほうが統計的にも
はるかに少数であって、珍しいのです。
健聴者は未だに、そんなことも知らない人が多いのです。


〔参考〕
なお、当ブログにおける「聴覚障害」および「聴覚障害者」
の用語定義は、下記の記事を参考にして下さい。

 『聴覚障害の用語定義について』
 (2011-03-30 22:03)

ここで言う「軽度難聴者」には、
身体障害者に認定されない難聴者が多いようです。

また、下記の記事も参考にしてみて下さい。

 『「聴覚障害者」の定義に関する共同声明(1989年)』
 (2011-03-31 23:19)

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by bunbun6610 | 2012-11-05 18:00 | 人気記事(再掲)