企業における聴覚障害者差別と、差別禁止法の必要性

当ブログでも、私自身や同僚の聴覚障害者体験談として、
朝礼や会議、社内講演会、セミナー、
研修などでの聴覚障害者への差別的取扱いの
状況を詳しく載せていますが。

もはや、障害者差別禁止法は必要不可欠でしょう。

日本はこれなしで、国連・障害者権利条約の批准は
無理だと思います。


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『平成18年度 コミュニケーション・スキル テキスト』
(棚田茂/立正大学社会福祉学部)より。

http://www.onoderamasaru.jp/wp/wp-content/uploads/2009/04/risho_2006.pdf

63ページ

『会議の内容が分からない』
「職場の会議において、聴覚障害者はお客様扱いにされている。
そう断言できるのは、講師自身が経験しており、かつ多くの
ろう者の共通事項にもなっているからである。
積極的に会議に参加させず*15、会議における発言権も
殆ど与えられない状態をつくっていることが殆どである。
例えば、会議が終わりに差し掛かったところで、

「他に何か質問・意見はありませんか?」

と会議進行者は参加者に確認する。
そのとき、ろう者に対してやっと発言権を与えるのである。
しかしながら、ろう者は『事後報告』に依存しているため、
何も発言できない状態になる。
聴者中心ですすめるとこの事態が発生する。
無理して発言すると苦笑を買うことが多いらしい*16。

このことから、多くの都道府県市町村、民間企業においても、
会議に手話通訳をつけることによって『会議に同時に参加する』
必要性を感じつつ、手話通訳者の確保にかかるコスト(費用)
がネックとなり、思うままに『会議に同時に参加できない』
状況を作り出している。

長野県白馬村で、聴覚障害者が村議員に選出されたことがある。
村議会において、手話通訳者を村の予算でつけていたが、
他の村議員によって

「村の予算で手話通訳をつけることは何事か?」

というクレームが入ったものの、多くの村民によって選出された
議員であることから、聴覚障害を持つ議員はそれをはねつけ、
手話通訳の必要性を社会的にアピールしている。
障害者支援法*17において、多くの聴覚障害者が反発している背景に、
手話通訳者はサービスを利用する当事者が費用を1割負担しなければ
ならないというのがあり、手話通訳サービスを必要としているのは
誰なのかという論理的な問題が潜んでいる。

例えば、病院の診療において、手話通訳者を必要としているのは、
医師であり、看護婦であり、また聴覚障害を有する患者でもある。
事後報告において、とりわけ注意しなければならないのは、
業務に聴覚障害者が関与している場合、当事者(聴覚障害者)抜きで
打ち合わせを行い、あれこれ決めてしまうことである。
忙しい、もしくは急ぎの用であっても、当事者が打ち合わせの場で
内容を把握することは人間として最低のマナーである。
こういうことが簡単に破られてしまうことは少なくない__」

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こちらの大学教授の方が書いたテキストでは、
「聴覚障害者に対する差別的取扱い」とは言わず、
「お客様扱い」と言うのだろうか。

なるべく

「健聴者は加害者である」

という意味を持つ表現は、
使いたくないのだろう。

とても適切な言い方とは思えないが、
この教授も現代社会の矛盾を皮肉っている
のだと思えばいいだろう。

確かに、聴覚障害者を“お客様扱い”
している会社は、結構あるのだから。

企業では障害者全般に“お客様扱い”は、昔からあります。
私もそのような扱いを受けた経験があるし、
他の多くの障害者の現実も見てきた、目撃証人なのです。

気が向けば、障害者を差別してきた企業名も
当ブログで公表できます。
ただし、もしそんなことをすれば相手(会社)は
「告訴する」と言ってきていますが。

他の資料でも例えば、次の事例があります。


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『当事者がつくる障害者差別禁止法 保護から権利へ』
(「障害者差別禁止法制定」作業チーム編/現代書館)


「『地元では優良企業と言われる会社に障害者枠で入社したが、
やめるまで仕事は何もなかった。

単純作業さえさせてもらえなかった。
公共職業安定所にも会社の指導を何度も頼み、
自分でも会社に訴えたが、何の効果もなかった。

それまで持っていなかった身体障害者手帳を
就職に有利かと思い取ったのだが、
レッテルを貼られただけ。

自分は、普通学校に通い、障害者枠ではない労働も経験し、
障害を重荷に感じたことはなかったのに、
重荷に思うようになってしまった。』

職場で自分の価値を否定されることで、
彼は自信喪失となり、今も人と接するのを
避けたいと思ってしまうと言う。

会社側の

『障害者枠雇用だし、仕事をしてケガでもされては困る。
ただそこに居てくれればいい』

という『特別扱い』の結果、彼は、
職場で何もやることのない長い一日を過ごすことに
なった。

『本当にみじめで、他の人に見られるのも
屈辱的だったし、悔しかった』

と彼は言う。
雇用の対象にはされていても、職場で実際に能力を
発揮する労働者として期待される対象とは
なっていなかったのだ。

障害をもつ人に対する差別禁止・権利法の基底に
流れるのは

『障害をもつ人も社会の構成員として
他の構成員と同等であり、適切な援助や環境整備
によって自立できる』

という人間観、自立観である。
障害をもつ人は、働く上で、その人固有のニーズをもっており、
それを満たすためには支援が必要となる。
障害者雇用は“数合わせ”ではない。
職場に障害をもつ人とそうでない人とが共に居ればよい
というものではないのだ。
障害をもつ人にとって不備な職場環境が変わらなければ、
実のある新規雇用にも継続雇用にもつながらない。
逆に、周りの職場環境や労働条件をその人固有の
ニーズに合わせて改善・調整することによって、
障害をもつ人は、働く場を得、職場で能力を発揮し、
職業生活を向上させ、働き続けることが可能となる。

それは、法的に未整備な現在でさえ、情報通信環境の
発展という追い風を受け、情報機器等の支援ツールの
活用によって活躍の場を見出してきた、パイオニア的
当事者の実践が既に実証済みである。

割当雇用の対象者をとらえる際、身体障害者手帳、
療育手帳(または『愛の手帳』)によって障害の範囲と
程度を確認することからわかるように、
現在の割当雇用制は、『障害者』を限定し分類・等級化
することを連動している。

しかし、WHOの1980年国際障害分類(ICIDH)、
2001年5月採択の国際障害分類改訂版(ICF)
の流れが示すように、障害はその人に属するのではなく、
障害をもつ人と環境の間にあるもの、さらには、
障害はあらゆる人に起こりうるものとしてとらえられる
ようになってきた。

これは、人と人との間に、障害の有無に関して決定的な
境界線を引くことを否定し、カテゴリー別に分断・排除
するのではなく、あくまでも人を一個人として見ようと
いうものであり、雇用の場もそのような接触の場として
期待されている。
人を分類することで、障害をもつ人個々に固有であるはずの、
環境調整ニーズを具体的に把握することはできない。

障害をもつ人に対する差別禁止・権利法の制定に際し、
一定程度の雇用が確保されるまでの間、
時限的に法定雇用率設定による割当雇用制を設ける
という選択肢もありえようが、これまでの割当雇用制が
残してきた功罪を検証し、慎重な制度設計をしなければ
ならないことは言うまでもない。
『障害』と『雇用の場における能力』とはどのような
関係にあるのか、何を障害と定義するのか。
検証は、そこまで立ち返るものでなくてはならないだろう。」
(29~31ページ)


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読者の皆さんは、この企業が障害者を雇用した狙いは
何だかわかるでしょうか?
私は、法令遵守(違反金逃れのための法定雇用率達成)
と障害者雇用助成金だけだと思います。
そういう会社は日本には実に多いのです。
法定雇用率を達成している優良企業、
と言われる会社でも、です。


私も有名な大企業に勤めていたとき、
聴覚障害者団体の相談員(健聴者、手話通訳者)に、
自分も似たような状況にあることを相談したことがあります。
そうしたら

「いい会社じゃないか。
聴覚障害者だからといって、
あなたのように不満を言う人ばかりじゃない」

と言われました。
全く相談相手になってくれませんでした。
相談した私のほうこそ悪い、
とでも言われているような感じでした。

その相談員から見れば

「ありがたく思うべき」

と考えていたのかも知れません。

「お客様扱い」「特別扱い」は「差別」と思わず、
むしろいいことではないか、というふうに言うので、
びっくりしました。

これが健聴者と聴覚障害者との温度差なのだと思います。

その相談員は要するに

「我慢して働き、そこで(その地位と、状況のなかで)
自分の満足を得るべきだ」

と言いたかったのかもしれません。

ろう者が、昔からそうだったからなのだろう。
ろう者は長い間、差別に耐え、
我慢して働き続けてきた人も少なくありません。
そういった姿勢が世の中では
「障害者に出来る美徳」
とされてきたのではないだろうか。

つまり、健聴者に押し付けられた職業観と
障害者イメージではないか、
ということです。

『名もなく貧しく美しく』(※)という映画に
描かれたような、ただただ真面目に働く、
昔のろう者像を理想と、
健聴者は考えてきたのだと思う。


(※)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E3%82%82%E3%81%AA%E3%81%8F%E8%B2%A7%E3%81%97%E3%81%8F%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%8F

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by bunbun6610 | 2012-10-23 18:00 | 国連・障害者権利条約
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