飲み会に要約筆記通訳は嫌われる?

30年ぶりの同級生(健聴者)と会う約束をしました。
そのとき彼は

「ずいぶん久しぶりだから、一緒に飲もう」

と言いました。

しかし会ってみて、私が今では中度難聴ではなく、
耳が全く聞こえなくなったことを知らせると、
驚いていました。

さらに私は、通訳として要約筆記者を同行していたので、
それにも驚いていたようでした。

彼は用件だけをさっさと済ませて、
すぐに別れてしまいました。

彼の方から「一緒に飲もう」と話していたのに、
会うなり突然中止してしまいました。

読者のなかには要約筆記通訳を利用される
中途難聴者・失聴者もいると思いますが、
こういう経験をされた方は多いだろうと思います。

30年以上たっても忘れない仲の同級生でも、
聴覚障害は簡単に仲を引き裂いてしまうように
思えました。

耳の聞こえる人と、聞こえない人とはもう違うのだな、
と思いました。
そういう気持ちを味わいたくないから、
難聴者は自分の聴覚障害を隠すものです。

筆記通訳がいることも、健聴者の彼には
敬遠されてしまいました。
同じ聴覚障害者同士では、何の障害にも
ならないはずなのに。

通訳者同行は本来、健聴者にも配慮しての
ことだったのに。

難聴者が要約筆記通訳を利用したがらない理由も、
このへんにあるのかもしれません。



「目が見えないということは、あなたを物から孤立させます。
耳が聞こえないということは、あなたを人々から孤立させます」
         (イマニュエル・カント〔18世紀ドイツの哲学者〕)

[PR]
by bunbun6610 | 2012-10-04 18:30 | 情報保障・通訳(就労)

ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610