聴覚障害者が著したホームページ
2012年 10月 03日
聴覚障害者が著したホームページ
http://www.haru-aozora.com/index.html
http://www.haru-aozora.com/tyoukakus.html
>「はっきりした事はわからないが、
僕はおそらく生まれた時から耳が聞こえない。」
私と同じだ。
いたのか、自分と同じように思っている聴覚障害者が。
だけど彼は
>「なぜ耳が聞こえなくて本当によかったと思うのか?
それは手話に出会えたからである。
そして石神井ろう学校という母校に出会えたから。」
と語っている。
彼にはろう学校で出会った友がいる。
私には誰もいない。
私は恩師と言える人には出会ったが、
その方はもう亡くなられていることだろう。
また、私は日本手話を完全には獲得できていない。
その点でも、日本手話だけでは不自由に感じることもある。
>「みんなからは
「なぜ聴覚障害者なのに口話ができるのか?」
とよく聞かれる。
そして文法や単語の意味など、どうやって身につけたのか?」
と書かれている部分がある。
私も同じことを、よく健聴者に聞かれる。
彼の場合、著したホームページを見ると手話の話しが長々と続くが、
彼は口話と日本手話の両方が使える。
つまり、手話と日本語の文法上の違いをきちんと認識し、
学習努力したということが大きいのだろうか。
それから、私とのもう一つの大きな共通点を見つけました。
>「なぜ文法ができたのか?
それは小さい頃から本を読むかのが好きだった。
学校の帰り、電車の中で教科書を読むほど好きだった。
その読書で独学として文法を覚えていき、
コミュニケーションが役に立ったのです。」
私も中学2年のとき、恩師の担任教師の勧めで、
本をよく読むようになりました。
それから人間として、伸び始めたのです。
言葉が人を真の人間へと導くのだと、
そんな体験をした今の自分にはわかります。
先生が初めて薦めてくれた本が、カバ園長が著した
上野動物園飼育日記のような本でした。
それからは、『読書の鬼』と呼べるほど、読書に夢中になった、
記憶がある。
だいぶ後に聴覚障害者文章教室でろうの講師が
「国語は好きか?」
と受講生に尋ねたが、そこにいる「ろう者」(日本手話の達人)は皆、嫌いと答えていた。
昔のろう学校では国語の授業の時、先生が全員の生徒の両手を縛って手話を使えなくしてから、授業をさせたらしい。そのせいで、「国語」嫌いのろうあ者がたくさんできたのだろう。昔のNHKテレビ『みんなの手話』(石原初代講師の時代)では、「木村」という中途失聴者がそう証言していた。
だから親に聴覚障害を気づかれず、普通学校に行かされた私だけ、他の聴覚障害者とは随分違う。
周りの大人(よその親)には
「普通の学校に行けて、良かったね」
とよく言われた記憶がある。
でも今、正直に言って、複雑だ。
一長一短があると思う。
時代が変わっても、インテグルーシヴ教育を受けたろう者も、挫折して手話になっていた。
その人も苦労している。
双方(ろう者と聞こえる人たち)のバリアは、想像以上に固い。
今でも「手話は出来ません」と平然と言う健聴者がいる。そればかりか、「手話は結局、覚えても役に立たない」と考えている聴覚障害者も少なくない。現行法『手話言語法』『障害者差別解消法』とも矛盾するが、これが現実である。昔と同様に、今でも溝になっている。国連・障害者権利条約の道のりは、あまりにも遠く感じる。
(2020年7月29日追記)
>「完璧にわかるわけじゃないので、
ほとんど予測してるといってもいい。」
これも共通している。
後で書きたいと思っていることなのだが、
私の特殊能力についてです。
私も聞くことに関しては予測能力を用いるほうです。
このブログ・カテゴリー『聴覚障害者就労後問題』では
しばしば、対話形式の記述が見られますが、
ほとんどが補聴器を通して曖昧にしか聞こえない音声からの、
私の予測能力による記述です。
ですから、ごく簡単な言葉に変えて書いています。
当然、忠実に書けているわけではありません。
しかしそれでも聴覚障害者のひとりとして、
現代社会の問題点を指摘する権利はある(※)
と思います。
(※)詳細は
『健聴者も聴覚障害者を理解しようとするには、
勇気が必要』
〔2012-02-07 22:54〕
を参照して下さい。
健聴者がこの能力を見て不思議がる、ということは、
特殊な聴覚障害者が持つ、特殊な能力と言っても
いいのかもしれません。
勿論、聴覚障害者にはいろいろな人がいます。
だから、誰もがこの能力を持てるわけではないようです。
特殊な環境で育ったことも影響していると思います。
彼は
>「日本語以上に美しい言語がある。
それは手話だと自分はそう思う。
手話には輝きがある。」
と語っています。
しかし、健聴者にはそう思わない人も多いことだろう。
その理由を、彼はろう者視点で、次のように語っています。
>「口話は口で話すから”言葉”が見えない。
手話は手で話すから”言葉”が見える。
つまり口で言った単語は音として捉えるから
見えない。
手話は手で話すから目に見える。
だから美しく見えるのだろう。」
手話で話すときに、まず相手同士でどうすると
思いますか?
それは、お互いに見つめ合うことから始まります。
それが手話コミュニケーションの基本原則だからです。
だから手話には、ごまかしがきかない、
とも言われています。
ウソも見破られるそうです。
そうやって使う手話ですから、健聴者が筆談をする
のと違って、ニュアンスも非常に細やかに伝わる
場合があるのです。
「美しく見える」というのは、そのせいではないかと
私は思いました。
最後に気づいたのですが、HPタイトルが驚いたことに、
当ブログと同じ意味を持つ『青空』。
かなり似ている人もいるんだなー。
HPの主旨も、私のブログと共通点もあります。
>「この はるHP、そして はる語録はあくまで
僕が経験した事を表現したもので美化してる
訳でも正論を書いている訳でもない…
はるイズムとして書きました。
僕は立派になろうとも偉くなろうとも思わない。
ただ、みんなにこの はるHPを見ていただけたらと…
何かを悩んでる人、何かを考えている人、
何かを探している人達にヒントや勇気に
なってくれたらという気持ちを込めて作りました。」
ちなみに、当ブログの主旨は、下記参照。
『ブログ・タイトルの意味 (1)』
〔2012-01-14 00:11〕
『ブログ・タイトルの意味 (2)』
〔2012-01-17 19:11〕
http://www.haru-aozora.com/index.html
http://www.haru-aozora.com/tyoukakus.html
>「はっきりした事はわからないが、
僕はおそらく生まれた時から耳が聞こえない。」
私と同じだ。
いたのか、自分と同じように思っている聴覚障害者が。
だけど彼は
>「なぜ耳が聞こえなくて本当によかったと思うのか?
それは手話に出会えたからである。
そして石神井ろう学校という母校に出会えたから。」
と語っている。
彼にはろう学校で出会った友がいる。
私には誰もいない。
私は恩師と言える人には出会ったが、
その方はもう亡くなられていることだろう。
また、私は日本手話を完全には獲得できていない。
その点でも、日本手話だけでは不自由に感じることもある。
>「みんなからは
「なぜ聴覚障害者なのに口話ができるのか?」
とよく聞かれる。
そして文法や単語の意味など、どうやって身につけたのか?」
と書かれている部分がある。
私も同じことを、よく健聴者に聞かれる。
彼の場合、著したホームページを見ると手話の話しが長々と続くが、
彼は口話と日本手話の両方が使える。
つまり、手話と日本語の文法上の違いをきちんと認識し、
学習努力したということが大きいのだろうか。
それから、私とのもう一つの大きな共通点を見つけました。
>「なぜ文法ができたのか?
それは小さい頃から本を読むかのが好きだった。
学校の帰り、電車の中で教科書を読むほど好きだった。
その読書で独学として文法を覚えていき、
コミュニケーションが役に立ったのです。」
私も中学2年のとき、恩師の担任教師の勧めで、
本をよく読むようになりました。
それから人間として、伸び始めたのです。
言葉が人を真の人間へと導くのだと、
そんな体験をした今の自分にはわかります。
先生が初めて薦めてくれた本が、カバ園長が著した
上野動物園飼育日記のような本でした。
それからは、『読書の鬼』と呼べるほど、読書に夢中になった、
記憶がある。
だいぶ後に聴覚障害者文章教室でろうの講師が
「国語は好きか?」
と受講生に尋ねたが、そこにいる「ろう者」(日本手話の達人)は皆、嫌いと答えていた。
昔のろう学校では国語の授業の時、先生が全員の生徒の両手を縛って手話を使えなくしてから、授業をさせたらしい。そのせいで、「国語」嫌いのろうあ者がたくさんできたのだろう。昔のNHKテレビ『みんなの手話』(石原初代講師の時代)では、「木村」という中途失聴者がそう証言していた。
だから親に聴覚障害を気づかれず、普通学校に行かされた私だけ、他の聴覚障害者とは随分違う。
周りの大人(よその親)には
「普通の学校に行けて、良かったね」
とよく言われた記憶がある。
でも今、正直に言って、複雑だ。
一長一短があると思う。
時代が変わっても、インテグルーシヴ教育を受けたろう者も、挫折して手話になっていた。
その人も苦労している。
双方(ろう者と聞こえる人たち)のバリアは、想像以上に固い。
今でも「手話は出来ません」と平然と言う健聴者がいる。そればかりか、「手話は結局、覚えても役に立たない」と考えている聴覚障害者も少なくない。現行法『手話言語法』『障害者差別解消法』とも矛盾するが、これが現実である。昔と同様に、今でも溝になっている。国連・障害者権利条約の道のりは、あまりにも遠く感じる。
(2020年7月29日追記)
>「完璧にわかるわけじゃないので、
ほとんど予測してるといってもいい。」
これも共通している。
後で書きたいと思っていることなのだが、
私の特殊能力についてです。
私も聞くことに関しては予測能力を用いるほうです。
このブログ・カテゴリー『聴覚障害者就労後問題』では
しばしば、対話形式の記述が見られますが、
ほとんどが補聴器を通して曖昧にしか聞こえない音声からの、
私の予測能力による記述です。
ですから、ごく簡単な言葉に変えて書いています。
当然、忠実に書けているわけではありません。
しかしそれでも聴覚障害者のひとりとして、
現代社会の問題点を指摘する権利はある(※)
と思います。
(※)詳細は
『健聴者も聴覚障害者を理解しようとするには、
勇気が必要』
〔2012-02-07 22:54〕
を参照して下さい。
健聴者がこの能力を見て不思議がる、ということは、
特殊な聴覚障害者が持つ、特殊な能力と言っても
いいのかもしれません。
勿論、聴覚障害者にはいろいろな人がいます。
だから、誰もがこの能力を持てるわけではないようです。
特殊な環境で育ったことも影響していると思います。
彼は
>「日本語以上に美しい言語がある。
それは手話だと自分はそう思う。
手話には輝きがある。」
と語っています。
しかし、健聴者にはそう思わない人も多いことだろう。
その理由を、彼はろう者視点で、次のように語っています。
>「口話は口で話すから”言葉”が見えない。
手話は手で話すから”言葉”が見える。
つまり口で言った単語は音として捉えるから
見えない。
手話は手で話すから目に見える。
だから美しく見えるのだろう。」
手話で話すときに、まず相手同士でどうすると
思いますか?
それは、お互いに見つめ合うことから始まります。
それが手話コミュニケーションの基本原則だからです。
だから手話には、ごまかしがきかない、
とも言われています。
ウソも見破られるそうです。
そうやって使う手話ですから、健聴者が筆談をする
のと違って、ニュアンスも非常に細やかに伝わる
場合があるのです。
「美しく見える」というのは、そのせいではないかと
私は思いました。
最後に気づいたのですが、HPタイトルが驚いたことに、
当ブログと同じ意味を持つ『青空』。
かなり似ている人もいるんだなー。
HPの主旨も、私のブログと共通点もあります。
>「この はるHP、そして はる語録はあくまで
僕が経験した事を表現したもので美化してる
訳でも正論を書いている訳でもない…
はるイズムとして書きました。
僕は立派になろうとも偉くなろうとも思わない。
ただ、みんなにこの はるHPを見ていただけたらと…
何かを悩んでる人、何かを考えている人、
何かを探している人達にヒントや勇気に
なってくれたらという気持ちを込めて作りました。」
ちなみに、当ブログの主旨は、下記参照。
『ブログ・タイトルの意味 (1)』
〔2012-01-14 00:11〕
『ブログ・タイトルの意味 (2)』
〔2012-01-17 19:11〕
by bunbun6610
| 2012-10-03 18:30
| 聴覚障害者の世界【ろう、聾唖、ろう文化】