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聴覚障害者が著したホームページ

聴覚障害者が著したホームページ

 http://www.haru-aozora.com/index.html

 http://www.haru-aozora.com/tyoukakus.html


>「はっきりした事はわからないが、
僕はおそらく生まれた時から耳が聞こえない。」



私と同じだ。
いたのか、自分と同じように思っている聴覚障害者が。

だけど彼は


>「なぜ耳が聞こえなくて本当によかったと思うのか?
それは手話に出会えたからである。
そして石神井ろう学校という母校に出会えたから。」


と語っている。

彼にはろう学校で出会った友がいる。
私には誰もいない。

私は恩師と言える人には出会ったが、
その方はもう亡くなられていることだろう。

また、私は日本手話を完全には獲得できていない。
その点でも、日本手話だけでは不自由に感じることもある。


>「みんなからは

「なぜ聴覚障害者なのに口話ができるのか?」

とよく聞かれる。
そして文法や単語の意味など、どうやって身につけたのか?」



と書かれている部分がある。
私も同じことを、よく健聴者に聞かれる。

彼の場合、著したホームページを見ると手話の話しが長々と続くが、
彼は口話と日本手話の両方が使える。
つまり、手話と日本語の文法上の違いをきちんと認識し、
学習努力したということが大きいのだろうか。

それから、私とのもう一つの大きな共通点を見つけました。


>「なぜ文法ができたのか?
それは小さい頃から本を読むかのが好きだった。
学校の帰り、電車の中で教科書を読むほど好きだった。
その読書で独学として文法を覚えていき、
コミュニケーションが役に立ったのです。」



私も中学2年のとき、恩師の担任教師の勧めで、
本をよく読むようになりました。
それから人間として、伸び始めたのです。
言葉が人を真の人間へと導くのだと、
そんな体験をした今の自分にはわかります。

先生が初めて薦めてくれた本が、カバ園長が著した
上野動物園飼育日記のような本でした。

それからは、『読書の鬼』と呼べるほど、読書に夢中になった、
記憶がある。
だいぶ後に聴覚障害者文章教室でろうの講師が

「国語は好きか?」

と受講生に尋ねたが、そこにいる「ろう者」(日本手話の達人)は皆、嫌いと答えていた。

昔のろう学校では国語の授業の時、先生が全員の生徒の両手を縛って手話を使えなくしてから、授業をさせたらしい。そのせいで、「国語」嫌いのろうあ者がたくさんできたのだろう。昔のNHKテレビ『みんなの手話』(石原初代講師の時代)では、「木村」という中途失聴者がそう証言していた。
だから親に聴覚障害を気づかれず、普通学校に行かされた私だけ、他の聴覚障害者とは随分違う。
周りの大人(よその親)には

「普通の学校に行けて、良かったね」

とよく言われた記憶がある。
でも今、正直に言って、複雑だ。
一長一短があると思う。
時代が変わっても、インテグルーシヴ教育を受けたろう者も、挫折して手話になっていた。
その人も苦労している。
双方(ろう者と聞こえる人たち)のバリアは、想像以上に固い。
今でも「手話は出来ません」と平然と言う健聴者がいる。そればかりか、「手話は結局、覚えても役に立たない」と考えている聴覚障害者も少なくない。現行法『手話言語法』『障害者差別解消法』とも矛盾するが、これが現実である。昔と同様に、今でも溝になっている。国連・障害者権利条約の道のりは、あまりにも遠く感じる。
(2020年7月29日追記)



>「完璧にわかるわけじゃないので、
ほとんど予測してるといってもいい。」



これも共通している。
後で書きたいと思っていることなのだが、
私の特殊能力についてです。
私も聞くことに関しては予測能力を用いるほうです。

このブログ・カテゴリー『聴覚障害者就労後問題』では
しばしば、対話形式の記述が見られますが、
ほとんどが補聴器を通して曖昧にしか聞こえない音声からの、
私の予測能力による記述です。

ですから、ごく簡単な言葉に変えて書いています。
当然、忠実に書けているわけではありません。

しかしそれでも聴覚障害者のひとりとして、
現代社会の問題点を指摘する権利はある(※)
と思います。

(※)詳細は

『健聴者も聴覚障害者を理解しようとするには、
勇気が必要』
〔2012-02-07 22:54〕

を参照して下さい。



健聴者がこの能力を見て不思議がる、ということは、
特殊な聴覚障害者が持つ、特殊な能力と言っても
いいのかもしれません。

勿論、聴覚障害者にはいろいろな人がいます。
だから、誰もがこの能力を持てるわけではないようです。
特殊な環境で育ったことも影響していると思います。

彼は


>「日本語以上に美しい言語がある。
それは手話だと自分はそう思う。
手話には輝きがある。」



と語っています。
しかし、健聴者にはそう思わない人も多いことだろう。
その理由を、彼はろう者視点で、次のように語っています。


>「口話は口で話すから”言葉”が見えない。
手話は手で話すから”言葉”が見える。
つまり口で言った単語は音として捉えるから
見えない。

手話は手で話すから目に見える。
だから美しく見えるのだろう。」



手話で話すときに、まず相手同士でどうすると
思いますか?
それは、お互いに見つめ合うことから始まります。
それが手話コミュニケーションの基本原則だからです。

だから手話には、ごまかしがきかない、
とも言われています。
ウソも見破られるそうです。

そうやって使う手話ですから、健聴者が筆談をする
のと違って、ニュアンスも非常に細やかに伝わる
場合があるのです。

「美しく見える」というのは、そのせいではないかと
私は思いました。


最後に気づいたのですが、HPタイトルが驚いたことに、
当ブログと同じ意味を持つ『青空』。

かなり似ている人もいるんだなー。

HPの主旨も、私のブログと共通点もあります。


>「この はるHP、そして はる語録はあくまで
僕が経験した事を表現したもので美化してる
訳でも正論を書いている訳でもない…
はるイズムとして書きました。
僕は立派になろうとも偉くなろうとも思わない。
ただ、みんなにこの はるHPを見ていただけたらと…
何かを悩んでる人、何かを考えている人、
何かを探している人達にヒントや勇気に
なってくれたらという気持ちを込めて作りました。」



ちなみに、当ブログの主旨は、下記参照。

『ブログ・タイトルの意味 (1)』
〔2012-01-14 00:11〕


『ブログ・タイトルの意味 (2)』
〔2012-01-17 19:11〕

by bunbun6610 | 2012-10-03 18:30 | 聴覚障害者の世界【ろう、聾唖、ろう文化】

ある障害者から見た世界


by bunbun6610