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ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610

健常者も、自らの考え方の転換を

就労後の障害者問題

『健常者も、自らの考え方の転換を』


障害者雇用で、ある会社の面接に行ったとき、
変わった面接官に出会ったことがあります。

相手は聴覚障害者の私なのに、
面接中、他の障害者の話をし出します。
知的障害者や精神障害者のことを、
愚痴みたいに話し出したのです。
その人は、私との面接など眼中にない様子だったので、

「これは、やっぱり落ちるな」

と、一週間後の面接結果が容易に推測できました。
私も、こんな会社面接には

「行くだけ無駄だった」

と思っています。
そんな無駄足になってしまう会社面接もありました。

その面接官の愚痴とは、
それまで知的障害者や精神障害者を雇ったが、
本人が仕事になじめず、入社させてもすぐ辞めてしまう、
という。
そして、その理由がわからない、という。
それで後釜探しの障害者面接を行っている、というわけです。
障害者法定雇用率遵守の観点からも、
辞められたらまた別の人を探さなくてはならない、
という苦労もあったでしょう。

精神・知的障害者の場合は、本人が仕事を覚えて、
なじめるまでの間はジョブコーチがついている、
という。
受け入れ体制として会社がそこまで配慮しているのだが、
いざ本人だけになってしまうと、だんだんと休みがちになって
いくのだという。
その理由がわからない、のだという。

私は面接官の、その独り言を聞いて

「コミュニケーションがないから、
そういうことが起きるのではないか?」

と推測しました。
聴覚障害者に限らず、他の障害者も会社では健常者と
コミュニケーションがないのではないか?
と疑いました。
健常者と障害者の心の壁があるのではないだろうか。
もしそうならば、誰だって居づらいと思う。

障害者雇用においても、障害者にも勝ち組と負け組がいる、
と思う。
勝ち組、負け組がいるのは、健常者の世界だけではない。
そういう言い方ではなく「適応力」と言うべきなのかも
しれないが、やはりそういう問題はある。
障害者に限らないことだが、
「仕事をする場だから」といって割り切れる、
あるいは鈍感力のある障害者は、健常者からも
「適応力がある」と見なされる。

逆にバリアや差別に敏感な障害者はそれに苦しみ続け、
なかなか適応できなかったりし「適応力がない」と
見なされてゆくのかもしれない。

聴覚障害者の場合だと、読話ができる聴覚障害者は
しばしば褒められ、適応力がある、と見られやすいようですが、
できない聴覚障害者は適応力がない、と見られているようです。
少なくとも「協調性がない」と誤解されやすい。

会社面接では、ほぼ必ず

「補聴器で聞こえますか?」か「読話はできますか?」

は聞かれます。
しかし、実を言うと、聴覚障害者だからといって、
誰もが読話もできる、というわけではないのです。
読話技術というのはろう学校出身のろう者には得意な人が多い、
と言っても、中途難聴・失聴者には苦手な人も少なからずいます。
なぜ、個々の特性に合わせた配慮ができないのでしょうか。
それでは、障害者雇用の意味がわかりません。

健常者の考える「適応力」というのは

「この障害者は健常者に合わせられるか?」

という基準で、常に考えているのです。

すると障害者は、健常者の側からの杓子定規的な判断だけが、
自分の価値判断になってしまう。
歩み寄りではなく、一方的な選択によってなされる。
それが勝ち組と負け組を生むのかもしれない。

自分がどう考えるか、でも判断は変えられるが、
そうできなくなってしまう障害者心理、
あるいは病的心理になる、ということは、
健常者には理解できないのだろうか。

今の社会は

「勝ち組、負け組がいるのは当然」

という考え方なのだろうが、それでは人間社会は必ずや、
行き詰ってしまうだろう。

本当のコミュニケーションとは何なのかを、
健常者にも真剣に考えて欲しい。
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by bunbun6610 | 2012-05-02 19:14 | 就労後の聴覚障害者問題B