健聴者の手話否定

20年以上前、職場の先輩に

「私は耳がよく聞こえないので、手話かジェスチャー、
指差しなどで指示して下さい」

と頼んだことがありました。
しかし、先輩には

「あなたのために、何でそんなことをしなくちゃいけないのか?」

と言われ、悲しくなった。

「聞こえなかったら、何度も言うから」

というのが、先輩なりの聴覚障害者への理解だと思われていた。
先輩たちは、感音性難聴障害とは何かを、
全くと言っていいほど理解できていなかった。
いや、理解しなかった。
人々のそうした状況は今でも、ほとんど変わっていない。

健聴者と障害者が「お互いに歩み寄る」よりも、
聴覚障害者だけに一方的な聞く努力が求められていた。
(よく考えるとこれ自体が「おかしい」のだが)

誰も助けてくれるわけではない。
それが当たり前だった。

障害は障害者自身が、自分で乗り越えていかなければならないものだ、
と考えられてきた。
障害者のなかにも、まだそう考えている人たちが多かった時代だ。
ろう者には厳しく育てられた人もいて、
そういう教育を受けてきた子もいた。
だから、そうしたろう者には我慢が出来たのだろう。
我慢強さが適応力だと思われてきたのかもしれない。

そういう聴覚障害者だけが自立できていると見なされ、
立派な聴覚障害者だと思われてきた。
それが当たり前の時代だった。
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by bunbun6610 | 2012-05-02 18:57 | 就労後の聴覚障害者問題B

ある聴覚障害者から見た世界


by bunbun6610